とはずがたり
巻2 21 紫の上には東の御方・・・
校訂本文
紫の上には東の御方1)、女三の宮の琴(きん)の代はりに、箏(しやう)の琴(こと)を隆親2)の女(むすめ)3)の今参りに弾かせんに、隆親ことさら所望ありと聞くより、などやらん、むつかしくて、参りたくもなきに、「御鞠の折に、ことさら御言葉かかりなどして、御覧じ知りたるに」とて、「明石の上にて、琵琶に参るべし」とてあり。
琵琶は七つの年より、雅光の中納言4)に初めて楽(がく)二・三習ひて侍りしを、いたく心にも入らでありしを、九つの年より、またしばし御所に教へさせおはしまして、三曲5)まではなかりしかども、蘇合(そがう)・万秋楽(まんじゆらく)などはみな弾きて、御賀の折、白河殿、くわいそ6)とかやいひしことにも、「十にて御琵琶を頼りて、いたいけして弾きたり」とて、花梨木(くわりぼく)の直甲(ひたこう)の琵琶の、紫檀の転手(てんじゆ)したるを、赤地の錦の袋に入れて、後嵯峨の院7)より給はりなどして、折々は弾きしかども、いたく心にも入らでありしを、弾けとてあるもむつかしく、などやらん、ものくさながら出で立ちて、「柳の衣(きぬ)に紅(くれなゐ)の袿(うちき)、萌黄(もよぎ)の表着(うはぎ)、裏山吹(うらやまぶき)の小袿(こうちき)を着るべし」とてあるが、なぞしも必ず人よりことに落ち離る明石になることは。
東(ひむがし)の御方の和琴(わごん)とても、日ごろしつけたることならねども、ただこのほどの御習ひなり。琴(きむ)の琴(こと)の代りの、今参りの琴(こと)ばかりぞ、しつけたることならめ8)。
女御の君は、花山院太政大臣9)の女、西の御方なれば、紫の上に並び給へり。これ10)は、対座(たいざ)に敷かれたる畳の右の上臈に据ゑらるべし。「御鞠の折にたがふべからず」とてあれば、などやらん、さるべしとも思えず。「今参りは女三宮とて、一定(いちぢやう)上にこそあらめ」と思ひながら、「御気色の上は」と思ひて、まづ伏見殿へは御供に参りぬ。
今参りは、当日に紋の車にて、侍(さぶらひ)具しなどして参りたるを見るも、わが身の昔思ひ出でられて、あはれなるに、新院11)御幸なりぬ。
翻刻
まねはるむらさきのうへには東の御かた女三の宮のきん のかはりにしやうのことをたかちかの女のいままいりにひ かせんにたかちかことさら所まうありときくよりなとやら んむつかしくてまいりたくもなきに御まりのおりに ことさら御ことはかかりなとして御覧ししりたるにと てあかしのうへにてひわにまいるへしとてありひわは七の としより雅光の中納言にはしめてかく二三ならひて 侍しをいたく心にも入て有しを九のとしより又しはし 御所にをしへさせおはしまして三きよくまてはなかりし かともそかう万しゆらくなとはみなひきて御賀の/s89r k2-48
おりしらかは殿くわいそとかやいひし事にも十にて御ひわを たよりていたいけしてひきたりとてくわりほくのひたこ うのひはのしたんのてんしゆしたるをあかちのにしきのふく ろに入て後さかの院より給はりなとしておりおりはひきし かともいたく心にもいらて有しをひけとてあるもむつかし くなとやらん物くさなから出たちてやなきのきぬにくれなゐ のうちきもよきのうはきうら山ふきのこうちきをきる へしとてあるかなそしもかならす人よりことにおちはなる あかしになる事はひむかしの御かたのわこんとても日比しつ けたる事ならねともたたこのほとの御ならひなりきむの ことのかはりのいままいりのことはかりそしつけたることならね女/s89l k2-49
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/89
御の君は花山院太政大臣の女にしの御かたなれはむらさきの上 にならひ給へりこれはたいさにしかれたるたたみのみきの上らふ にすゑらるへし御まりのおりにたかふへからすとてあれはなと やらんさるへしともおほえす今まいりは女三宮とて一てう うへにこそあらめとおもひなから御気色のうへはとおもひてまつ ふしみ殿へは御ともにまいりぬいままいりはたう日にもんの 車にてさふらひくしなとしてまいりたるをみるも我身 のむかしおもひいてられてあはれなるに新院御かうなり ぬすてに九こんはしまりなとしてこなたに女房したいに/s90r k2-50