ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:towazu:towazu2-12

とはずがたり

巻2 12 さても一昨年の七月にしばし里に侍りて参るとて・・・

校訂本文

<<PREV 『とはずがたり』TOP NEXT>>

さても、一昨年(おととし)の七月に、しばし里に侍りて、参るとて、うらうへ1)に小さき洲流しをして、中縹(はなだ)なる紙に水を描きて、異物(こともの)は何もなくて、水の上に白き泥(でい)にて、「くゆる煙(けぶり)よ2)」とばかり書きたる扇紙(あふぎがみ)を、上木(じやうぎ)の骨に具して、張らせに、ある人のもとへ遣はしたれば、その女(むすめ)のこれを見て、それも絵を美しう描く人にて、ひた水に秋の野を描きて、「異浦(ことうら)に澄む月は見るとも3)」と書きたるをおこせて、扇(あふぎ)かへにしたりしを、持ちて参りたるを、先々の筆とも見えねば、「いかなる人の形見ぞ」など、ねんごろに御尋ねあるもむつかしくて、ありのままに申すほどに、絵の美しきより始め、うはのそらなる恋路に迷ひ初めさせ給ひて、三年(みとせ)がほど、とかくその道芝4)はいしいしと、御心のいとまなく言ひ渡り給へるを、いかにし給ひけるにや、神無月十日宵のほどに参るべきになりて、御心の置き所なく、心ことに出で立ち給ふところへ資行の中将5)参りて、「承り候ひし御傾城、具して参りつる」よし6)、案内(あむない)すれば、「しばし、車ながら、京極面(おもて)の南の端の釣殿の辺(へん)に置け」と仰せありぬ。

初夜打つほどに、三年の人、参りたり。青格子(あをがうし)の二衣に、紫の糸にて蔦(つた)を縫ひたりしに、蘇芳の薄衣重ねて、赤色の唐衣(からきぬ)ぞ着て侍りし。例の、「導け」とてありしかば、車寄せへ行きたるに、降るる音なひなど、衣(きぬ)の音よりけしからず、おびたたしく鳴りひそめくさまも思はずなるに、具して参りつつ、例の昼(ひ)の御座(おまし)のそばの四間、心ことにしつらひ、薫物(たきもの)の香(か)も心ことにて入りたるに、一尺ばかりなる檜扇を浮き織りたる衣(きぬ)に、青裏(あをうら)の二衣に紅の袴、いづれもなべてならず強(こは)きを、いと着しつけざりけるにや、かうこ聖がかうこ7)などのやうに、後ろに多く高々と見えて、顔のやうもいとたはやかに、目も鼻もあざやかにて、「ひびしげなる人かな」と見ゆれども、姫君などは言ひぬべくもなし。肥へらかに高く太く、色白くなどありて、内裏などの女房にて、大極殿の行幸の儀式などに、一の内侍などにて、髪上げて、御剣の役などを勤めさせたくぞ見え侍りし。

「はや参りぬ」と奏せしかば、御所は、菊を織りたる薄色の御直衣に、御大口にて入らせ給ふ。百歩(ひやくぶ)の外(ほか)と言ふほどなる御匂ひ、御屏風のこなたまで、いとこちたし。御物語などあるに、いと御いらへがちなるも、「御心に合はずや」と思ひやられてをかしきに、御夜(よる)になりぬ。

例のほど近く、上臥(うへぶ)ししたるに、西園寺の大納言8)、明かり障子の外(と)、長押の下に御宿直したるに、いたく更けぬ先に、はや何事も果てぬるにや、いとあさましきほどのことなり。さて、いづくかあらはへ出でさせおはしまして召すに、参りたれば、「玉川の里9)」と承はるぞ、よそも悲しき。

深き鐘だに打たぬさきに帰されぬ。御心地わびしくて、御衣(おんぞ)召し替へなどして、小供御(こくご)だに参らで、「ここ、あそこ、打て」などて、御夜になりぬ。雨おびたたしく降れば、帰るさの袖の上も思ひやられて。

<<PREV 『とはずがたり』TOP NEXT>>

翻刻

き九こんの御しきとも有て還御さてもおととしの七月
にしはしさとに侍てまいるとてうらかへにちいさき/s78r k2-26
すなかしをして中はなたなるかみに水をかきてことものは
なにもなくて水のうへにしろきていにてくゆるけふりよ
とはかりかきたるあふきかみをしやう木のほねにくして
はらせにある人のもとへつかはしたれはそのむすめのこれを
みてそれもゑをうつくしうかく人にてひた水に秋の野
をかきてことうらにすむ月はみるともとかきたるをおこせて
あふきかへにしたりしをもちてまいりたるをさきさきの
ふてともみえねはいかなる人のかたみそなとねん比に御
たつねあるもむつかしくてありのままに申ほとにゑのう
つくしきよりはしめうはのそらなる恋ちにまよひそめ
させ給て三とせかほととかくその道々はいしいしと御心の/s78l k2-27

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/78

いとまなくいひわたり給へるをいかにし給けるにや神無月
十日よひのほとに参るへきに成て御心のをき所なくこころ
ことにいてたち給ところへすけ行の中将まいりてうけ給候し
御けいせいくしてまいりつつよしあむないすれはしはし
車なから京こくおもてのみなみのはしのつり殿のへんに
をけとおほせありぬしよやうつほとにみとせの人まいりたり
あをかうしの二きぬにむらさきのいとにてつたをぬいたりし
にすわうのうすきぬかさねてあか色のからきぬそきて
侍しれいのみちひけとてありしかはくるまよせへ行た
るにおるるをとなひなときぬのをとよりけしからす
おひたたしくなりひそめくさまもおもわすなるに/s79r k2-28
くしてまいりつつれいのひの御座のそはの四ま心ことにしつ
らひたき物のかも心ことにて入たるに一しやくはかりなる
ひあふきをうきをりたるきぬにあをうらの二きぬに
紅のはかまいつれもなへてならすこはきをいときしつけ
さりけるにやかうこひしりかかうこなとのやうにうし
ろにおほくたかたかとみえてかほのやうもいとたはやかに
めもはなもあさやかにてひひしけなる人かなとみゆれとも
姫きみなとはいひぬへくもなしこへらかにたかくふとくいろ
しろくなと有てたいりなとの女房にて大こく殿の
行幸のきしきなとに一の内侍なとにてかみあけて
御けむのやくなとをつとめさせたくそみえ侍しはやまいり/s79l k2-29

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/79

ぬとそうせしかは御所はきくををりたるうす色の御なをし
に御大くちにていらせ給百歩のほかといふほとなる御にほひ
御ひやうふのこなたまていとこちたし御物かたりなとあるに
いと御いらへかちなるも御心にあはすやとおもひやられてお
かしきに御よるになりぬれいのほとちかくうへふししたるに
さいをんしの大納言あかりしやうしのとなけしのしたに御と
のゐしたるにいたくふけぬさきにはやなに事もはて
ぬるにやいとあさましきほとの事なりさていつくかあら
はへいてさせおはしましてめすに参りたれはたま川のさととう
け給はるそよそもかなしきふかきかねたにうたぬさきに
かへされぬ御心ちわひしくて御そめしかへなとしてこく御たに/s80r k2-30
まいらてここあそこうてなとて御よるに成ぬ雨をひたたしく
ふれはかへるさの袖のうへもおもひやられてまことやあけ行/s80l k2-31

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/80

<<PREV 『とはずがたり』TOP NEXT>>

1)
「うらうへ」は底本「うらかへ」
2)
『源氏物語』須磨「浦にたくあまだにつつむ恋なればくゆる煙よ行くかたぞなき」
3)
『新古今和歌集』秋上 宜秋門院丹後「忘れじな難波の秋の夜半の空異浦に澄む月は見るとも」
4)
「道芝」は底本「道々」
5)
山科資行
6)
「つるよし」は底本「つつよし」
7)
「高野聖・空也聖が皮籠・紙子」、「僧綱聖が僧綱」、「紙子、聖が紙子」などの説がある。
8)
雪の曙・西園寺実兼
9)
卯の花の名所。「憂」の意。
text/towazu/towazu2-12.txt · 最終更新: 2019/05/28 23:44 by Satoshi Nakagawa