text:towazu:towazu1-09
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text:towazu:towazu1-09 [2019/03/15 14:59] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:towazu:towazu1-09 [2019/09/03 15:14] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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われゆゑの思ひならねど小夜衣涙の聞けば濡るる袖かな | われゆゑの思ひならねど小夜衣涙の聞けば濡るる袖かな | ||
- | いくほどの日数も隔てて、このたびは常のやうにて参りたれども、何とやらむ、そぞろはしきやうなることもある上、いつしか人の物いひさがなさは、「大納言の秘蔵(ひさう)して、女御参りの儀式にもてなし参らせたる」など言ふ凶害(けうがい)ども出で来て、いつしか女院((東二条院・後深草院中宮藤原公子))の御方ざま、心よからぬ御気色(きそく)になりもて行くより、いとどものすさまじき心地しながら、まがよひゐたり。 | + | いくほどの日数も隔てて、このたびは常のやうにて参りたれども、何とやらむ、そぞろはしきやうなることもある上、いつしか人の物いひさがなさは、「大納言の秘蔵(ひさう)して、女御参りの儀式にもてなし参らせたる」など言ふ凶害(けうがい)ども出で来て、いつしか女院((東二条院・後深草院中宮西園寺公子))の御方ざま、心よからぬ御気色(きそく)になりもて行くより、いとどものすさまじき心地しながら、まがよひゐたり。 |
御夜離れと言ふべきにしあらねど、積もる日数もすさまじく、また参る人の出だし入れ((「入れ」は底本「いね」))も、人のやうに子細がましく申すべきならねば、その道芝をするにつけても、「世に従ふは憂き習ひかな」とのみ思えつつ、とにかくに、「またこのごろやしのばれん((『新古今和歌集』雑下 藤原清輔「長らへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」))」とのみ思えて、明け暮れつつ、秋にもなりぬ。 | 御夜離れと言ふべきにしあらねど、積もる日数もすさまじく、また参る人の出だし入れ((「入れ」は底本「いね」))も、人のやうに子細がましく申すべきならねば、その道芝をするにつけても、「世に従ふは憂き習ひかな」とのみ思えつつ、とにかくに、「またこのごろやしのばれん((『新古今和歌集』雑下 藤原清輔「長らへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」))」とのみ思えて、明け暮れつつ、秋にもなりぬ。 | ||
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text/towazu/towazu1-09.txt · 最終更新: 2019/09/03 15:14 by Satoshi Nakagawa