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text:towazu:towazu1-01

とはずがたり

巻1 1 呉竹の一夜に春の立つ霞・・・

校訂本文

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呉竹(くれたけ)の一夜に春の立つ霞、今朝しも待ち出で顔に花を折り、匂ひを争ひて並み居たれば、われも人なみなみにさし出でたり。莟(つぼみ)紅梅にやあらむ七つに、紅(くれなゐ)の袿(うちぎ)、萌黄(もよぎ)の表着(うはぎ)、赤色の唐衣(からぎぬ)などにてありしやらん。梅唐草を浮き織りたるに、小袖に唐垣(からかき)に梅を縫ひて侍りしをぞ着たりし。

今日の御薬には、大納言1)、陪膳(ばいぜむ)に参らる。外様の式果てて、また内へ召し入れられて、台盤所の女房たちなど召されて、如法折れこだれたる九献の式あるに2)、大納言、三々九とて、外様にても九返(ここのかへり)の献杯にてありけるに、「また内々(うちうち)の御ことにも、その数にてこそ」と申されけれど、も、「このたびは九三にてあるべし」と仰せ3)ありて、如法、上下酔(ゑ)ひ過ぎさせおはしましたる後、御所の御土器(かはらけ)を大納言に給はすとて、「この春よりは、たのむの雁もわが方(かた)によ」とて給ふ。

ことさらかしこまりて、九三返し給ひて、まかり出づるに、何とやらん、忍びやかに仰せらるることありとは見れど、何事とはいかでか知らむ。

拝礼など果てて後、局(つぼね)へすべりたるに、「昨日の雪も今日よりは跡踏み付けん行く末」など書きて御文あり。紅の薄様八つ・濃き単(ひとへ)・萌黄の表着・唐衣・袴三つ、小袖二つ、小袖など、平包みにてあり。いと思はずにむつかしければ、返しつかはすに、袖の上に薄様の札にてありけり。見れば、

  翼こそ重ぬることのかなはずと着てだになれよ鶴の毛衣(けごろも)

心ざしありて、したため賜びたるを返すも情けなき心地しながら、

  「よそながらなれてはよしや小夜衣いとど袂の朽ちもこそすれ

思ふ心の末、むなしからずは」など書きて返しぬ。

上臥(うへぶ)しに参りたるに、夜中ばかりに、下口(しもくち)の遣戸4)」をうち叩く人あり。何心なく、小さき女の童開けたれば、「さし入れて、使はやがて見えず」とて、また、ありつるままのものあり。

  契りをきし心の末の変らずは一人片敷け夜半の狭衣

いづくへまた返しやるべきならねば、とどめぬ。

三日、法皇5)の御幸、この御所へなるに、この衣(きぬ)を着たれば、大納言、「なべてならず、色も匂ひも見ゆるは。御所より賜はりたるか」と言ふも、胸騒がしく思えながら、「常磐井(ときはい)の准后(じゆごう)6)より」とぞ、つれなくいらへ侍りし。

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翻刻

くれたけの一夜に春のたつかすみけさしもまち出
かほに花ををりにほひをあらそひてなみゐたれは
我も人なみなみにさしいてたりつほみ紅はひにやあ
らむ七にくれなゐのうちきもよきのうはきあか色
のからきぬなとにてありしやらん梅からくさをうき
をりたるに小袖にからかきに梅をぬひて侍しをそき
たりしけふの御くすりには大納言はいせむにまいらると
さまのしきはててまたうちへめし入られて臺盤所の
女房たちなとめされて如法をれこたれたるくこんのしき
あきに大納言三々九とてとさまにてもここの返のけん
はいにてありけるに又うちうちの御事にもその数にて/s5l k1-1

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/5

こそと申されけれとも此たひは九三にてあるへし
とおほせありて如法上下ゑひすきさせおはしましたる
のち御所の御かはらけを大納言に玉はすとてこの春より
はたのむのかりも我かたによとて給ふことさらかしこま
りて九三返給てまかりいつるになにとやらんしのひや
かにおほせらるる事ありとはみれとなにこととはいかてか
しらむ拝礼なとはてて後つほねへすへりたるに昨日の
雪もけふよりはあとふみつけん行すゑなとかきて御
ふみあり紅のうすやう八こきひとへもよきのうはきから
きぬはかま三小袖二こそてなとひらつつみにてありいと
思はすにむつかしけれは返つかはすに袖のうへに/s6r k1-2
うすやうのふたにてありけりみれは
  つはさこそかさぬることのかなはすときてたになれよ
つるのけころも心さしありてしたためたひたるを返も
なさけなき心地しなから
  よそなからなれてはよしやさよ衣いとと袂の朽もこそすれ
おもふ心のすゑむなしからすはなとかきて返しぬうへふしに
まいりたるに夜中はかりにしもくちのやりきをうちたた
く人ありなに心なくちいさきめのわらはあけたれはさし
いれてつかひはやかてみえすとてまたありつるままの物あり
  契をきし心のすゑのかはらすはひとりかたしけ夜はのさ
ころもいつくへ又返しやるへきならねはととめぬ三日法皇の/s6l k1-3

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/6

御幸この御所へなるにこのきぬをきたれは大納言なへて
ならす色もにほひもみゆるは御所より給はりたるかといふもむ
ねさはかしくおほえなからときはいのしゆこうよりとそ
つれなくいらへ侍し十五日の夕つかたかはさきよりむかへに/s7r k1-4

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/7

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1)
父、久我雅忠
2)
「あるに」は底本「あきに」。文脈により訂正。
3)
御深草院
4)
「遣戸」は底本「やりき。文脈により訂正。
5)
後嵯峨法皇
6)
西園寺実氏室、貞子
text/towazu/towazu1-01.txt · 最終更新: 2019/03/09 12:28 by Satoshi Nakagawa