text:shaseki:ko_shaseki08b-13
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text:shaseki:ko_shaseki08b-13 [2019/03/02 22:42] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | text:shaseki:ko_shaseki08b-13 [2019/03/03 11:59] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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沙石集 | 沙石集 | ||
- | ====== 巻8第13話(106) 執心の堅固なるによりて仏法臈る事 ====== | + | ====== 巻8第13話(106) 執心の堅固なるも仏法によりて臈る事 ====== |
===== 校訂本文 ===== | ===== 校訂本文 ===== | ||
- | 常州に、ある入道法師の念仏の行者なるありけり。去んぬる弘安元年の疫癘(えきれい)に、臨終心よからずして死す。 | + | 常州に、ある入道法師の念仏の行者なるありけり。去んぬる弘安元年の疫癘(えきれい)に、臨終心よからずして死す。火葬にして見るに、堅き物、手取りの勢にて、おほかた焼けぬ物あり。堅木(かたき)をもて焼けども焼けず。炭多くそへて焼くに、灰白くなるまで焼けず。 |
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- | 火葬にして見るに、堅き物、手取りの勢にて、おほかた焼けぬ物あり。堅木(かたき)をもて焼けども焼けず。炭多くそへて焼くに、灰白くなるまで焼けず。 | + | |
子息の僧、これを見て、「執心の固まりて焼けぬにや。いかなる腹病なりとも、この炭木には焼くべし。あやし」と思ひて、昔、天竺に外道ありけり、常見を起こして、石になりてありけるを、仏弟子、量を立てて、石の面に書くによりて、石吠え割れて失せにけり。このこと思ひよりて、「かの文は覚えねども、執心のとらくることやある」と思ひて、幡(はた)の足の紙に、諸行無常の四句の文を書きて、堅き物の上に投げかくる。 | 子息の僧、これを見て、「執心の固まりて焼けぬにや。いかなる腹病なりとも、この炭木には焼くべし。あやし」と思ひて、昔、天竺に外道ありけり、常見を起こして、石になりてありけるを、仏弟子、量を立てて、石の面に書くによりて、石吠え割れて失せにけり。このこと思ひよりて、「かの文は覚えねども、執心のとらくることやある」と思ひて、幡(はた)の足の紙に、諸行無常の四句の文を書きて、堅き物の上に投げかくる。 | ||
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「すでに消えかかりたる炭の火、この紙に燃え付きて、油をかけたるやうに、へらへらと焼けて、跡なく失せにし」と、かの僧、まのあたり物語りて、かの昔の、量立てたる文を尋ね申すこと侍りき。 | 「すでに消えかかりたる炭の火、この紙に燃え付きて、油をかけたるやうに、へらへらと焼けて、跡なく失せにし」と、かの僧、まのあたり物語りて、かの昔の、量立てたる文を尋ね申すこと侍りき。 | ||
- | 末代なれども、仏法の功能めでたくこそ侍(はんべ)れ。まして、まことしく観念・座禅もせん人、執心もとらけ、罪障も消えんこと、疑ふべからず。「量を立つ」といふは、因明の法門なり。外道を破することは、因明の道理なり。宗・因・喩の三つをもつて、義理を成ずるなり。劫毘羅外道、常見を起こして、大きなる石になれりしを、陳那菩薩(ぢんなぼさつ)、量を立てて石に書き付く。石吠え破れて失せにき。 | + | 末代なれども、仏法の功能めでたくこそ侍(はんべ)れ。まして、まことしく観念・座禅もせん人、執心もとらけ、罪障も消えんこと、疑ふべからず。 |
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+ | 「量を立つ」といふは、因明の法門なり。外道を破することは、因明の道理なり。宗・因・喩の三つをもつて、義理を成ずるなり。劫毘羅外道、常見を起こして、大きなる石になれりしを、陳那菩薩(ぢんなぼさつ)、量を立てて石に書き付く。石吠え破れて失せにき。 | ||
- | 「汝我無常(汝も我も無常なり)**宗**。受外行故(外行を受くる故に)**因**。尚如聚雲(なほ聚雲の如し)**喩**。」。声論外道も、「声は色形なし、常住の法なり」と計せしを、仏弟子、量を立てていはく、「声是無常(声は是無常なり)**宗**。作所成故(作所成る故に)**因**。猶如瓶等(なほ瓶等の如し)**喩**。」 | + | 「汝我無常(汝も我も無常なり)**宗**。受外行故(外行を受くる故に)**因**。尚如聚雲(なほ聚雲の如し)**喩**。」。声論外道も、「声は色形なし、常住の法なり」と計せしを、仏弟子、量を立てていはく、「声是無常(声は是無常なり)**宗**。作所成故(作る所成るが故に)**因**。猶如瓶等(なほ瓶等の如し)**喩**。」 |
先年、南都に侍りしに、ある人の物語に、故明慧上人((明恵))の、「われらは犬時者なり」とて、非時に菓子など召しけると申し候ふを、何とも思ひよらず侍りしほどに、信濃国の山里をことの縁ありて越え侍りし時、犬辛夷(いぬこぶし)の花を見て、このこと心得て侍りき。「悟道得法もかくや」と思え侍りしかば、南都に遊びなれて侍(はんべ)りし同法のもとへ、量を立てて一首送りたること侍りき。思ひ出でて侍(はんべ)るままに、いたづらごとなれども、書き給へり。 | 先年、南都に侍りしに、ある人の物語に、故明慧上人((明恵))の、「われらは犬時者なり」とて、非時に菓子など召しけると申し候ふを、何とも思ひよらず侍りしほどに、信濃国の山里をことの縁ありて越え侍りし時、犬辛夷(いぬこぶし)の花を見て、このこと心得て侍りき。「悟道得法もかくや」と思え侍りしかば、南都に遊びなれて侍(はんべ)りし同法のもとへ、量を立てて一首送りたること侍りき。思ひ出でて侍(はんべ)るままに、いたづらごとなれども、書き給へり。 | ||
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和州のある山寺法師、竹を愛して、惜しみ持つに、笋の時、われも食はず、人にも与へずして、病死して後、中陰に、弟子ども笋を取りて、「僧膳の菜(さい)の汁にせん」とて割りて見るに、黒虫多かりけり。師、妄念ゆゑに虫となりたるよし、夢に見えけるとなん言へり。 | 和州のある山寺法師、竹を愛して、惜しみ持つに、笋の時、われも食はず、人にも与へずして、病死して後、中陰に、弟子ども笋を取りて、「僧膳の菜(さい)の汁にせん」とて割りて見るに、黒虫多かりけり。師、妄念ゆゑに虫となりたるよし、夢に見えけるとなん言へり。 | ||
- | 昔も橘の木を愛して、蛇となりて、まとひけることあり。また、銭入れたる鉼の中に、小蛇になりてあること、申す伝へたり。執心・妄念、恐るべし、恐るべし。流転生死の咎(とが)これなり。 | + | 昔も橘の木を愛して、蛇となりて、まとひけることあり。また、銭入れたる瓶の中に、小蛇になりてあること、申す伝へたり。執心・妄念、恐るべし、恐るべし。流転生死の咎(とが)これなり。 |
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text/shaseki/ko_shaseki08b-13.1551534164.txt.gz · 最終更新: 2019/03/02 22:42 by Satoshi Nakagawa