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text:shaseki:ko_shaseki07a-03 [2019/02/02 12:14] – 作成 Satoshi Nakagawatext:shaseki:ko_shaseki07a-03 [2019/02/02 12:39] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 さて、かの家へ行きて見れば、女人、食物を持ちて、門にあふ。「しかじか」と語れば、「さては」とて、一人が食をとどむ。家の内に老女あり。僧問ふ、「かの死せる人は、その御子か」と問ふ。「しかり」と答ふ。「など歎きたる気色なき」と問へば、「何をか歎くべき。母子の契は、渡りに船に乗りて行くが、岸に着きぬれば、散り散りになるがごとし。おのおのが業にまかせて行くなり。驚くべきことにあらず」と言ふ。 さて、かの家へ行きて見れば、女人、食物を持ちて、門にあふ。「しかじか」と語れば、「さては」とて、一人が食をとどむ。家の内に老女あり。僧問ふ、「かの死せる人は、その御子か」と問ふ。「しかり」と答ふ。「など歎きたる気色なき」と問へば、「何をか歎くべき。母子の契は、渡りに船に乗りて行くが、岸に着きぬれば、散り散りになるがごとし。おのおのが業にまかせて行くなり。驚くべきことにあらず」と言ふ。
  
-またこの女人に、「この死せる人は、そこには何ぞ」と問ふ。答へていはく、「わが男なり」と言ふ。「いかに歎きたる気色なきぞ」と言へば、「何をか歎くべき。夫婦のなからひは、市に人の行き会ひて、要事過ぎぬれば、方々に散るがごとし。添ひ果つべき習ひにあらず」と言ひける時、この道人、「万法の因縁、仮にして執心あるべからず。在家人の中にすら、かかる心もあり」と、慚愧の心おこりて、諸法の因縁、幻化虚妄(げんけこまう)のことを頼りとして、すなはち仏法を悟りにけるとぞ。+またこの女人に、「この死せる人は、そこには何ぞ」と問ふ。答へていはく、「わが男なり」と言ふ。「いかに歎きたる気色なきぞ」と言へば、「何をか歎くべき。夫婦のなからひは、市に人の行き会ひて、要事過ぎぬれば、方々に散るがごとし。添ひ果つべき習ひにあらず」と言ひける時、この道人、「万法の因縁、仮にして執心あるべからず。在家人の中にすら、かかる心もあり」と、慚愧の心おこりて、諸法の因縁、幻化虚妄(げんけこまう)のことを頼りとして、すなはち仏法を悟りにけるとぞ(([[:text:k_konjaku:k_konjaku4-35|『今昔物語集』4-35]]に類話がある。))
  
 まことに深き悟りまでは堅くとも、無常転変の世、幻化虚妄のこと、見ても知り、聞きてもわきまふべし。誰か長生の齢(よはひ)に楽しみ、不死の薬を服せる。よくよく無常の道理を知りて、常住の仏法を尋ぬべし。 まことに深き悟りまでは堅くとも、無常転変の世、幻化虚妄のこと、見ても知り、聞きてもわきまふべし。誰か長生の齢(よはひ)に楽しみ、不死の薬を服せる。よくよく無常の道理を知りて、常住の仏法を尋ぬべし。
text/shaseki/ko_shaseki07a-03.txt · 最終更新: 2019/02/02 12:39 by Satoshi Nakagawa