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text:shaseki:ko_shaseki06b-19

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沙石集

巻6第19話(77) 師の礼ある事

校訂本文

寿福寺の故荘厳房の法印1)は、貴く聞こえありし上人なり。鎌倉の大臣殿2)、御帰依重くして、師弟の礼を存し給へり。

法印、慈悲深き人にて、訴訟人の歎き申すことあれば、「御はからひ候へ」と申されけり。かの申さるることをば、一事もそむき給はず、やすやすとかなひけり。

さて、かれもこれも申しければ、常に申し入られけるを、「世間のやうは、一人は悦べども、一人は歎くことなり。今は御いろひな候ひそ。ただし、『仰せをば違(たが)へじ』と思ひ給へ候へば、こればかりは承りぬ。自今以後は御口入れあるべからず」と申されけるを、「承り候ひぬ」と申して、あながちに歎き申す人あれば、心弱く「こればかり、こればかり」と、たびたび申されけるほどに、もつてのほかに大きなることにいろひて申されける時、「たびたび申して候ふに、御承引なくて、かやうに仰せられ候ふこと、心得られず候ふ。国の政(まつりごと)には偏頗(へんぱ)なきことに候ふ。自今以後は、永く申し承り候ふまじ」と、あららかに御返事ありければ、恐れ入りて、退出せられぬ。その後、音信(いんしん)なくて、七十余日に及びぬ。

ある時、大臣殿、夜半ばかりに、にはかに寿福寺へ入御あり。人これを知らず。門を叩くに、「誰(た)そ」と問へば、「御所に入らせ給ふ」と言ふ。法印、驚きて、入れ奉る。大臣殿、さうなく法印の足をとりて、頂戴して、泣く泣く仰せられけるは、「師こそ弟子をば勘当することにて侍るに、御弟子として勘当し奉りたる罪障、いかがして懺悔し候ふべき。『申したることを違へじ』とて、百日がほどは、『申し承はらじ』と思ひ給へつれども、忍びかねて参りたる」とて、はらはらと泣き給ひければ、法印も思はずに思えて、涙を流して申されけるは、「御勘当蒙るも、しかるべきこと。また、御許し候ふも、しかるべきことにこそ」とて、はるかに御物語ありて御帰りありけり。

このことは、かの寺の老僧語り侍りき。大臣殿に宮仕へしたる古き人の語りしは、「御夢に気高げなる俗の白張装束(しらはりしやうぞく)にて、『いかに貴き僧の心をば悩まし給ふぞ」とのたまふと御覧じて、おどろきて、夜半ばかりに急ぎ寺へ入御ありけるとぞ承りし3)」と語りき。

信心のまことにおはしければ、若宮4)の御告にや、師資の礼儀を存じ給ひけるこそ、ありがたく思え侍れ。

洛陽に、猫間の随乗房の上人と聞こえしは、渡宋の径山(きんざん)5)の仏法をとぶらひ、達磨の宗風を学びて、尊(たと)き禅師なりけり。故法性寺の光明峯寺禅定殿下6)、召して法門御尋ねありけり。

一長押(なげし)下がりたる所に、上人、候はれけり。「禅の法門といふこと、いまだ聞かず。いか体(てい)の法門ぞ」と仰せられければ、上人、申されけるは、「下座(げざ)にて法門申すことは、仏法の中に候はぬこと」と申されければ、「まことに」とて、驚きて上へ召し上ぐ。「さてのたまへ」と仰せらる7)。「対座にても申すこと候はず」と申さるれば、「さらば」とて、御座敷に高く座をかまへて、「それにてのたまへ」と仰せらるれば、「師弟の礼を御振舞ひ候はば申さん」と。「子細に及ばず」とて、御約束ありて、禅の法門、問ひたまひけり。法門聞こし召されて、御信心ありて、師弟の礼儀乱れず、御帰依、浅からざりけり。

さて、申されけるは、「鎮西に円爾房と申し候ふこそ、径山の仏法を伝へて帰朝の僧にて、禅門も教門も明らかに候へ。某(それがし)には十倍のまさりにて、師匠と存ずる」よし、申されければ、「さらば」とて、御使者ありて、請じ上(のぼ)せ、月の輪殿にて、はじめて禅門弘通(ぐづう)し、普門寺にて叢林行ひ始め、後に東福寺建立ありて、和尚号ありて、聖一和尚とて、師弟の儀にておはしき。

禅定殿下の仰せに、「僧正にならせたまへ。建仁寺の本願もさることにてこそ」と仰せられけれども、辞退申されけり。「さらば、日本国の惣講師になし奉らん」と仰せられけれども、それも辞退申されけり。

惣講師と思し召されけることは、本寺・本山のその時の碩徳に召合せられて、禅教の法門、問答ありけるに、教門の碩学も口を閉ぢ、あまさへ、その宗の人、この法門を聞きて、教家の法門、いよいよ奥義をわきまへけり。また、密宗の明匠に問答ありけるも、この上人の難勢を申し述べらるる人もなし。すべて顕密ともに、その旨を深く達せりと聞こえき。

しかる間、「惣講師になし奉らん」と思し召されける、このゆゑへなり。しかれども、固く辞し申されければ、聖の一と思し召されてつけられけるとも言へり。円爾をば、後に実名にせられけり。本朝の禅門の繁昌、これよりことおこれり。

およそ、法を信ぜんには、まづ弘通の人を崇(あが)むべきものなり。正像末の三時のつかさどる所、在世には仏を本として、法と僧とは仏による。滅後、正法の時は、法は面として、仏と僧とは威あり。像末に及び、仏と法とはみづから威徳なし。僧の弘通によりて、仏法の利益あり。

よつて、末代は、たとひ破戒無慙なりとも、正知正見にして仏法を開演せば、国の師ともなり、世の福田たるべし。そのよし、十輪経・心地観経に見えたり。僧の弘通するによりて、仏の威も法の験もあるべし。されば、仏法を信ぜんには、まづ弘通の人を尊(たとぶ)べし。相を取りて賤しみ、失を見て軽むることなかれ。智論8)には、「犬の皮の袋の臭(くさ)きに包める金をば、袋の臭きによりて捨つべからず。たとひ僧は破戒なりとも、説の所の法、真実ならば、信じて人の失をたださざれ」と言へり。

過去に、仏世に出で給はずして、仏法の名字も聞かざりける時、宿命智ありて、悟り深き野干ありけり。獅子に追はれて逃げ走りけるが、深き穴に落ち入りて、出づべき力なうして、数日を経て思ひけるは、いたづらに捨てける命を、同じくは獅子に与ふべかりけるを、慈悲もなくして、もろくあやうき身を惜しみて、他に施さぬことを悔しみて、「南無三世の諸仏、この心を照らし給へ」といひける音(こゑ)、忉利天へ聞こえければ、帝釈驚きて、声を尋ねて、無数の諸天とともに下りて、見給ひければ、穴の中の野干が声なり。さて、さまざまのことども、さかしく申しければ、「なんぢ、法を説け」と帝釈請じ給ふに、野干のいはく、「三十三天の主として、礼儀なく軌則も知り給はぬものかな。法水は下へこそ流るれ、師は下に弟子は上にして、いかが法を説かん」と言ふ。帝釈、恥ぢ驚きて、天衣を重ねて高座を設けて、その上にして法を説かしむ。諸天聞きて、益を得たりき。天帝、野干を敬ひき。師を敬ふ先蹤に引きけり。

近代は、在家のまことしく仏法を信ずる者なければ、僧を敬ふことまれなり。出家、また法のごとくに振舞ひ、釈門の儀を存ずる者まれなれば、かへりて在家を敬ひ、仏法を軽しめ、利養を重くし、へつらふ。まことに経の中に、「白衣は高座にして聞き、出家は地に立ちて法を説くは、滅法の相」と言へるに合うて、心憂くこそ思ゆれ。

よくよく道俗ともにこの儀を存せば、仏法久住の因縁たるべきをや。仏法の利益、大きなることを信ずべし。むかしの大王、千歳の給仕をいたして妙法を聞き、雪山の大士は、半偈のために身命を捨てき。一文一句も、生死を出で、菩提を悟る因縁あり。仏法の妙なること、仰ぎて信ずべし。みだりに軽しむることあるべからず。よくよく心をとどめて、この道理を思ひとくべきものなり。

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  師礼有事
寿福寺之故庄厳房ノ法印ハ貴ク聞ヱ有シ上人ナリ鎌倉
ノ大臣殿御帰依重クシテ師弟ノ礼ヲ存シタマヘリ法印慈悲
フカキ人ニテ訴詔人ノ歎キ申スコトアレハ御計候ヘト申サレケ/k6-240l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=239&r=0&xywh=-2688%2C579%2C5375%2C3195

リ彼ノ申サルル事ヲハ一事モソムキ給ハスヤスヤストカナヒケリ
サテ彼モ此モ申ケレハ常ニ申入ラレケルヲ世間ノ様ハ一人ハ
悦ヘトモ一人ハナケク事ナリ今ハ御イロヒナ候ソ但シ仰ヲハ
タカヘシト思給候ヘハ此計ハ承ヌ自今以後ハ御口入アルヘ
カラスト申サレケルヲ承候ヌト申テアナカチニ歎申人アレハ心
ヨハク此計此計ト度々申サレケルホトニ以外ニ大ナル事ニイロ
ヒテ申サレケル時度々申テ候ニ御承引ナクテカヤウニ仰ラレ
候事心ヱラレス候国ノ政ニハ偏頗ナキ事ニ候自今以後ハ
永ク申ウケタマハリ候マシトアララカニ御返事アリケレハ恐入
テ退出セラレヌ其後音信ナクテ七十余日ニ及ヒヌアルトキ
大臣殿夜半計ニ俄ニ寿福寺ヘ入御有リ人是ヲシラス門ヲ
タタクニ誰ソト問ヘハ御所ニ入セ給トイフ法印驚キテ入レタ/k6-241r
テマツル大臣殿左右ナク法印ノ足ヲトリテ頂戴シテナクナク仰
ラレケルハ師コソ弟子ヲハ勘当スル事ニテ侍ルニ御弟子トシテ
勘当シタテマツリタル罪障イカカシテ懺悔シ候ヘキ申タル事ヲタ
カヘシトテ百日カホトハ申ウケタマハラシト思給ツレトモ忍ヒカ
ネテ参タルトテハラハラト泣タマヒケレハ法印モ思ハスニ覚テ涙
ヲナカシテ申サレケルハ御勘当カフムルモ然ルヘキ事又御ユルシ
候モ然ルヘキ事ニコソトテハルカニ御物語有リテ御帰リアリ
ケリ此事ハ彼ノ寺ノ老僧語リ侍リキ大臣殿ニ宮仕シタル
古キ人ノカタリシハ御夢ニケタカケナル俗ノ白ラハリ装束ニテ
イカニ貴キ僧ノ心ヲハ悩シ給ソトノ給ト御覧シテオトロキテ夜
半ハカリニ急キ寺ヘ入御有リケルトソウケタマハラシト語リキ
信心ノマコトニオハシケレハ若宮ノ御告ニヤ師資ノ礼儀ヲ存/k6-241l

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シ給ケルコソアリカタク覚ヘ侍レ洛陽ニ猫間ノ随乗房ノ上
人ト聞ヱシハ渡宋ノ径山ノ仏法ヲトフラヒ達磨ノ宗風ヲ学
ヒテタトキ禅師ナリケリ故法性寺ノ光明峯寺禅定殿下召
シテ法門御タツネアリケリ一ナケシサカリタル所ニ上人候ハレケ
リ禅ノ法門ト云事未聞何カ体ノ法門ソト仰ラレケレハ上
人申サレケルハ下座ニテ法門申事ハ仏法ノ中ニ候ハヌ事ト
申サレケレハ実ニトテオトロキテ上ヘ召アクサテノタマヘト仰セラ
レ対座ニテモ申事候ハスト申サルレハサラハトテ御座シキニタ
カク座ヲカマヘテ其ニテノタマヘト仰セラルレハ師弟ノ礼ヲ御
振舞候ハハ申サント子細ニヲヨハストテ御ヤクソクアリテ禅ノ
法門問ヒタマヒケリ法門キコシメサレテ御信心アリテ師弟ノ
礼儀不乱レ御帰依アサカラサリケリサテ申サレケルハ鎮西ニ/k6-242r
円爾房ト申候コソ径山ノ仏法ヲツタヘテ帰朝ノ僧ニテ禅門
モ教門モアキラカニ候ヘ某ニハ十倍ノマサリニテ師匠ト存スル
ヨシ申サレケレハサラハトテ御使者アリテ請シノホセ月ノ輪殿
ニテ始テ禅門弘通シ普門寺ニテ叢林ヲコナヒハシメ後ニ東
福寺建立アリテ和尚号アリテ聖一和尚トテ師弟ノ儀ニテ
オハシキ禅定殿下ノ仰ニ僧正ニナラセタマヘ建仁寺ノ本願
モサル事ニテコソトオホセラレケレトモ辞退申サレケリサラハ日
本国ノ惣講師ニナシタテマツラントオホセラレケレトモ其モ辞
退申サレケリ惣講師トオホシメサレケルコトハ本寺本山ノソノ
時ノ碩徳ニ被テ召合セ禅教ノ法門問答有リケルニ教門ノ
碩学モ口ヲトチアマサヘ其ノ宗ノ人コノ法門ヲ聞テ教家ノ
法門イヨイヨ奥義ヲワキマヘケリ又密宗ノ明匠ニ問答有リケ/k6-242l

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ルモコノ上人ノ難勢ヲ申ノヘラルル人モナシスヘテ顕密共ニ
其旨ヲフカク達セリトキコヘキ然ル間惣講師ニナシタテマツ
ラント思食レケルコノユヘナリシカレトモカタク辞シ被申ケレハ
聖ノ一ト被レ思食シツケラレケルトモイヘリ円爾ヲハ後ニ実
名ニセラレケリ本朝ノ禅門ノ繁昌是ヨリコトヲコレリ凡ソ法
ヲ信センニハ先弘通ノ人ヲアカムヘキモノナリ正像末ノ三時
ツカサトル所在世ニハ仏ヲ本トシテ法ト僧トハ仏ニヨル滅後
正法之時ハ法ハ面トシテ仏ト僧トハ威アリ像末ニ及仏ト法
トハミツカラ威徳ナシ僧ノ弘通ニヨリテ仏法ノ利益アリ仍
末代ハタトヒ破戒無慙也共正知正見ニシテ仏法ヲ開演セ
ハ国ノ師トモナリ世ノ福田タルヘシ其由十輪経心地観経
ニ見ヘタリ僧ノ弘通スルニヨリテ仏ノ威モ法ノ験モアルヘシサ/k6-243r
レハ仏法ヲ信センニハ先弘通ノ人ヲタトフヘシ相ヲ取テ賤シ
ミ失ヲ見テ軽ムル事ナカレ智論ニハ犬ノ皮ノ袋ノクサキニツツ
メル金ヲハ袋ノクサキニヨリテスツヘカラスタトヒ僧ハ破戒ナリ
トモ説ノ所ノ法真実ナラハ信シテ人ノ失ヲタタササレトイヘリ過
去ニ仏世ニ出給ハスシテ仏法ノ名字モキカサリケル時宿命智
アリテサトリフカキ野干有リケリ師子ニオハレテニケハシリケルカ
フカキ穴ニ落入テイツヘキ力ナウシテ数日ヲヘテ思ケルハ徒ニス
テケル命ヲ同クハ師子ニアタフヘカリケルヲ慈悲モナクシテモロク
アヤウキ身ヲ惜ミテ他ニホトコサヌ事ヲクヤシミテ南無三世ノ
諸仏此心ヲ照シタマヘトイヒケル音忉利天ヘ聞ヘケレハ帝
釈驚キテ声ヲ尋テ無数ノ諸天ト共ニ下リテ見タマヒケレハ
穴ノ中ノ野干カ声ナリサテサマサマノ事トモサカシク申ケレハ汝/k6-243l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=242&r=0&xywh=-891%2C-1%2C6967%2C4142

法ヲトケト帝釈請シ給フニ野干ノイハク三十三天ノ主トシテ
礼儀ナク軌則モシリ給ハヌモノカナ法水ハ下ヘコソナカルレ
師ハ下ニ弟子ハ上ニシテイカカ法ヲトカントイフ帝釈ハチ驚キ
テ天衣ヲカサネテ高座ヲマウケテソノ上ニシテ法ヲトカシム諸天
聞テ益ヲヱタリキ天帝野干ヲ敬ヒキ師ヲ敬フ先蹤ニヒキケリ
近代ハ在家ノマコトシク仏法ヲ信スルモノナケレハ僧ヲウヤマ
フ事希ナリ出家又法ノ如クニ振舞ヒ釈門ノ儀ヲ存スルモノ
希ナレハ反テ在家ヲ敬ヒ仏法ヲ軽シメ利養ヲ重クシヘツラフ
誠ニ経ノ中ニ白衣ハ高座ニシテキキ出家ハ地ニ立テ法ヲ説
ハ滅法ノ相トイヘルニアフテ心ウクコソ覚ユレ能々道俗共ニ
此儀ヲ存セハ仏法久住ノ因縁タルヘキヲヤ仏法ノ利益大
ナル事ヲ信スヘシムカシノ大王千歳ノ給仕ヲイタシテ妙法ヲ聞/k6-244r
雪山ノ大士ハ半偈ノタメニ身命ヲステキ一文一句モ生死
ヲ出菩提ヲサトル因縁有仏法ノ妙ナル事仰テ信スヘシミタ
リニ軽ムル事アルヘカラスヨクヨク心ヲトトメテ此道理ヲ思トク
ヘキ者也
沙石集巻第六下終    神護寺  迎接院/k6-244l

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1)
行勇
2)
源実朝
3)
「承りし」は底本「ウケタマハラシ」。諸本により訂正。
4)
鶴岡八幡宮若宮
5)
径山寺
6)
藤原道家・九条道家
7)
「仰せらる」は底本「仰セラレ」。諸本により訂正
8)
大智度論
text/shaseki/ko_shaseki06b-19.1548575763.txt.gz · 最終更新: 2019/01/27 16:56 by Satoshi Nakagawa