text:shaseki:ko_shaseki06b-19
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text:shaseki:ko_shaseki06b-19 [2019/01/27 17:22] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | text:shaseki:ko_shaseki06b-19 [2020/02/03 01:21] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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信心のまことにおはしければ、若宮((鶴岡八幡宮若宮))の御告にや、師資の礼儀を存じ給ひけるこそ、ありがたく思え侍れ。 | 信心のまことにおはしければ、若宮((鶴岡八幡宮若宮))の御告にや、師資の礼儀を存じ給ひけるこそ、ありがたく思え侍れ。 | ||
- | 洛陽に、猫間の随乗房の上人と聞こえしは、渡宋の径山(きんざん)((径山寺))の仏法をとぶらひ、達磨の宗風を学びて、尊(たと)き禅師なりけり。故法性寺の光明峯寺禅定殿下((藤原道家・九条道家))、召して法門御尋ねありけり。 | + | 洛陽に、猫間の随乗房の上人と聞こえしは、渡宋の径山(きんざん)((径山寺))の仏法をとぶらひ、達磨の宗風を学びて、尊(たと)き禅師なりけり。故法性寺の光明峰寺禅定殿下((藤原道家・九条道家))、召して法門御尋ねありけり。 |
一長押(なげし)下がりたる所に、上人、候はれけり。「禅の法門といふこと、いまだ聞かず。いか体(てい)の法門ぞ」と仰せられければ、上人、申されけるは、「下座(げざ)にて法門申すことは、仏法の中に候はぬこと」と申されければ、「まことに」とて、驚きて上へ召し上ぐ。「さてのたまへ」と仰せらる((「仰せらる」は底本「仰セラレ」。諸本により訂正))。「対座にても申すこと候はず」と申さるれば、「さらば」とて、御座敷に高く座をかまへて、「それにてのたまへ」と仰せらるれば、「師弟の礼を御振舞ひ候はば申さん」と。「子細に及ばず」とて、御約束ありて、禅の法門、問ひたまひけり。法門聞こし召されて、御信心ありて、師弟の礼儀乱れず、御帰依、浅からざりけり。 | 一長押(なげし)下がりたる所に、上人、候はれけり。「禅の法門といふこと、いまだ聞かず。いか体(てい)の法門ぞ」と仰せられければ、上人、申されけるは、「下座(げざ)にて法門申すことは、仏法の中に候はぬこと」と申されければ、「まことに」とて、驚きて上へ召し上ぐ。「さてのたまへ」と仰せらる((「仰せらる」は底本「仰セラレ」。諸本により訂正))。「対座にても申すこと候はず」と申さるれば、「さらば」とて、御座敷に高く座をかまへて、「それにてのたまへ」と仰せらるれば、「師弟の礼を御振舞ひ候はば申さん」と。「子細に及ばず」とて、御約束ありて、禅の法門、問ひたまひけり。法門聞こし召されて、御信心ありて、師弟の礼儀乱れず、御帰依、浅からざりけり。 |
text/shaseki/ko_shaseki06b-19.txt · 最終更新: 2020/02/03 01:21 by Satoshi Nakagawa