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text:shaseki:ko_shaseki06b-18 [2019/01/26 17:31] – 作成 Satoshi Nakagawatext:shaseki:ko_shaseki06b-18 [2019/01/26 17:32] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 ===== 校訂本文 ===== ===== 校訂本文 =====
  
-先年のころ、何者の言ひ出だしたりけるにや、「相手を孔子(くじ)に取りてことをし、相手引出物をせば、時の横災をまぬかるべし」といふこと、京・田舎にあまねくその沙汰ありて、上(かみ)つかたにもこのことありけるにや、ある公卿((「公卿」は底本「公郷」。諸本により訂正。))の御所に。「このことあるべし」とて、相手を定められけるに、恩も蒙らず、私(わたくし)の蓄へもなくして、貧しき侍の宮仕へけるが、主(しゆ)の御相手に取りあたりぬ。+先年のころ、何者の言ひ出だしたりけるにや、「相手を孔子(くじ)に取りてことをし、相手引出物をせば、時の横災をまぬかるべし」といふこと、京・田舎にあまねくその沙汰ありて、上(かみ)つかたにもこのことありけるにや、ある公卿((「公卿」は底本「公郷」。諸本により訂正。))の御所に。「このことあるべし」とて、相手を定められけるに、恩も蒙らず、私(わたくし)の蓄へもなくして、貧しき侍の宮仕へけるが、主(しゆ)の御相手に取りあたりぬ。「これも不運の至り」と、身にも思ひ、よそにも沙汰しけり
  
-「これも不運の至り」と、身にも思ひ、よそにも沙汰しけり。かたのごとく商ひて世を渡りける貧しき((「貧しき」は底本「貪シキ」。諸本により訂正。))女人を、年ごろあひ語らひて過ぎけるが、妻に語り申しけるは、「しかるべき契りにて、年ごろたがひに志浅からずして過ぎつれば、『かぎりあらん道にも、遅れ先立たじ』とこそ思へども、思ひのほかのこと出で来れば、『出家入道して国々をも修行せばや』と思ひ立ちたり。『あひ添はんことも、今夜ばかり』と思ふに、名残の惜しさこそ、心に思ふほども言はれね」とて、さめざめと泣きければ、妻、「何事によりて、かかる心の出で来ける。道心のおこり給へるか」と問へば、「道心にはあらず。御所中に、『世間に沙汰する御事あるべし』とて、相手を孔子(くじ)に取りつるに、人こそ多かるに、上(かみ)の御相手にしも取り当たりて、恥をかきなんず。傍官(ぼうくわん)ならば、かたのごとく前をも払ふべきに、見苦しからんことも恐れあること、よろしく営まんとすれば、その力なし。ただ跡をくらふして、ついでに、道心なくとも山々寺々をも修行して、恥がましきことを遁れんと思ふばかりなり」と言へば、この妻、申しけるは、「そのことならば何しに歎き給はん。人は果報も幸も、心にこそあれ。たとひ、つひに世を遁れんと思はんに +かたのごとく商ひて世を渡りける貧しき((「貧しき」は底本「貪シキ」。諸本により訂正。))女人を、年ごろあひ語らひて過ぎけるが、妻に語り申しけるは、「しかるべき契りにて、年ごろたがひに志浅からずして過ぎつれば、『かぎりあらん道にも、遅れ先立たじ』とこそ思へども、思ひのほかのこと出で来れば、『出家入道して国々をも修行せばや』と思ひ立ちたり。『あひ添はんことも、今夜ばかり』と思ふに、名残の惜しさこそ、心に思ふほども言はれね」とて、さめざめと泣きければ、妻、「何事によりて、かかる心の出で来ける。道心のおこり給へるか」と問へば、「道心にはあらず。御所中に、『世間に沙汰する御事あるべし』とて、相手を孔子(くじ)に取りつるに、人こそ多かるに、上(かみ)の御相手にしも取り当たりて、恥をかきなんず。傍官(ぼうくわん)ならば、かたのごとく前をも払ふべきに、見苦しからんことも恐れあること、よろしく営まんとすれば、その力なし。ただ跡をくらふして、ついでに、道心なくとも山々寺々をも修行して、恥がましきことを遁れんと思ふばかりなり」と言へば、この妻、申しけるは、「そのことならば何しに歎き給はん。人は果報も幸も、心にこそあれ。たとひ、つひに世を遁れんと思はんにつけても、すでに御相手に参りぬ。尋常なる御引出物をも進(まゐ)らせてこそ、御所中をもまかり出で給はめ。先世の契あればこそ、妻男ともなりて、今日まで志変らずして過ごしつらめ。栄えば同じく栄え、まどはばともにこそまどはめ。この家地(やち)なんどあれば、質(しち)かへて営み給へ」と言ふに、夫、申けるは、「果報つたなくして、今まで御恩も蒙らねば、思ひ出でもなくて、年ごろ日ごろ過ごしつるだにも、心苦くかたはらいたきに、われゆゑ、それさへまどひ給はんことこそ口惜しけれ」と言へば、「いかにかくは思ひ給はん。ことのついでに、ともに尼法師にもなりて、後世菩提の勤めせば、善知識とこそ思ひ奉らめ。これほどのありがひもなき世間は、まどふとても歎きにもあらず」と言ひければ、「志の色、まことに浅からず見えける上は、さらば、ともかくも女房のはからひにしたがはん」とて、屋地を売りて、用途五・六十貫がほどありけるにて、銀の折敷(おしき)に金の橘を作らせて、ことごとしからぬやうに紙に包み、懐中して、手にいろいろの引出物どもしけり。
-つけても、すでに御相手に参りぬ。尋常なる御引出物をも進(まゐ)らせてこそ、御所中をもまかり出で給はめ。先世の契あればこそ、妻男ともなりて、今日まで志変らずして過ごしつらめ。栄えば同じく栄え、まどはばともにこそまどはめ。この家地(やち)なんどあれば、質(しち)かへて営み給へ」と言ふに、夫、申けるは、「果報つたなくして、今まで御恩も蒙らねば、思ひ出でもなくて、年ごろ日ごろ過ごしつるだにも、心苦くかたはらいたきに、われゆゑ、それさへまどひ給はんことこそ口惜しけれ」と言へば、「いかにかくは思ひ給はん。ことのついでに、ともに尼法師にもなりて、後世菩提の勤めせば、善知識とこそ思ひ奉らめ。これほどのありがひもなき世間は、まどふとても歎きにもあらず」と言ひければ、「志の色、まことに浅からず見えける上は、さらば、ともかくも女房のはからひにしたがはん」とて、屋地を売りて、用途五・六十貫がほどありけるにて、銀の折敷(おしき)に金の橘を作らせて、ことごとしからぬやうに紙に包み、懐中して、手にいろいろの引出物どもしけり。+
  
 「いかにも、某(それがし)は上の御相手に参りて、その用意あるか」と、傍官ども問ひければ、「いかでか用意つかまつらざらん」と言ふ。「いかばかりのことか、し出だすべき」とて、目引き鼻引き顔をそばめてぞ、をかしげに思ひける。上にも、よにかたはらいたきことに思し召したる気色なりけり。 「いかにも、某(それがし)は上の御相手に参りて、その用意あるか」と、傍官ども問ひければ、「いかでか用意つかまつらざらん」と言ふ。「いかばかりのことか、し出だすべき」とて、目引き鼻引き顔をそばめてぞ、をかしげに思ひける。上にも、よにかたはらいたきことに思し召したる気色なりけり。
text/shaseki/ko_shaseki06b-18.txt · 最終更新: 2019/01/26 17:32 by Satoshi Nakagawa