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text:shaseki:ko_shaseki06a-03 [2019/01/10 23:27] – 作成 Satoshi Nakagawatext:shaseki:ko_shaseki06a-03 [2019/01/10 23:28] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 嵯峨の釈迦堂炎上の時、勧進のために、五十箇日の間、毎日に説法ありけり。 嵯峨の釈迦堂炎上の時、勧進のために、五十箇日の間、毎日に説法ありけり。
  
-そのなかに、浄遍僧都の説法に、「釈尊((釈迦))、一代の教主として、八相の化儀を示し、八万四千の法門を説き、六趣四生の群類を度し給ふこと。昔、菩薩の行を行じ、三千世界に身命を捨て、十方の浄土に擯棄(ひんき)せられたるわれらを、世々番々に出世して、調伏し、教化して、『今此三界皆是我有。其中衆生悉是吾子。而今此処多諸患難。唯我一人能為救護。(今この三界皆これ我が有なり。その中の衆生は悉くこれ吾が子なり。而今この処諸の患難多し。ただ我一人能く救護をなす)』と説き給ひて、この娑婆世界の衆生をば、わが子とのたまへり。諸仏の中に、一人本師として、種々の方便をもて済度し給へば、世間の父母は、ただ今生一世の身を助く、釈迦大師は、多生利益の恩、出離解脱の道を教へ給ふ真実の父母なり。その恩、世間の父母には百千万億倍すぐれて、たとふべきにもあらず。しかれば、心あらん人は、世間の父母の家の焼けたらんには、その子としては、一人しても造るべし。いはんや、真実の父母の御堂の焼けぬるをば、一人しても力あらば造りて奉るべし。まして、随分して資財を投げて、などか助成し給はざるべき」と、めでたく弁説ありて申し立てらる。諸人、袂(たもと)をしぼりけり。+そのなかに、浄遍僧都の説法に、「釈尊((釈迦))、一代の教主として、八相の化儀を示し、八万四千の法門を説き、六趣四生の群類を度し給ふこと。昔、菩薩の行を行じ、三千世界に身命を捨て、十方の浄土に擯棄(ひんき)せられたるわれらを、世々番々に出世して、調伏し、教化して、『今此三界皆是我有。其中衆生悉是吾子。而今此処多諸患難。唯我一人能為救護。(今この三界皆これ我が有なり。その中の衆生は悉くこれ吾が子なり。而今この処諸の患難多し。ただ我一人能く救護をなす)』と説き給ひて、この娑婆世界の衆生をば、わが子とのたまへり。諸仏の中に、一人本師として、種々の方便をもて済度し給へば、世間の父母は、ただ今生一世の身を助く、釈迦大師は、多生利益の恩、出離解脱の道を教へ給ふ真実の父母なり。その恩、世間の父母には百千万億倍すぐれて、たとふべきにもあらず。しかれば、心あらん人は、世間の父母の家の焼けたらんには、その子としては、一人しても造るべし。いはんや、真実の父母の御堂の焼けぬるをば、一人しても力あらば造りて奉るべし。まして、随分して資財を投げて、などか助成(じよじやう)し給はざるべき」と、めでたく弁説ありて申し立てらる。諸人、袂(たもと)をしぼりけり。
  
-さて、申されけるは「このこと、さすが道理なれば、面々に奉加の志は増しますらん。されども、凡夫の心のつたなさは、家に帰り給ひなば、『明日進ぜん、明後日奉加せん』なんど思はんほどに、さしあたりたる世間・公私のぞめきにうち忘れて、多くはむなしきことなるべし。『奉加せん』と思ひ給はん人は、やがてこの座に奉り給へ」と責められければ、衣脱ぎ小袖脱ぎ直垂・帷(かたびら)・太刀・刀、はらはらと、あるほどの人、奉加しければ、日ごろ二・三十日の間の奉加よりも物出で来て、ほどなく造営ありけり。時にとりてめでたかりけることと、申し伝へ侍り。+さて、申されけるは「このこと、さすが道理なれば、面々に奉加の志は増しますらん。されども、凡夫の心のつたなさは、家に帰り給ひなば、『明日進ぜん、明後日奉加せん』なんど思はんほどに、さしあたりたる世間・公私のぞめきにうち忘れて、多くはむなしきことなるべし。『奉加せん』と思ひ給はん人は、やがてこの座に奉り給へ」と責められければ、衣脱ぎ小袖脱ぎ直垂(ひたたれ)・帷(かたびら)・太刀・刀、はらはらと、あるほどの人、奉加しければ、日ごろ二・三十日の間の奉加よりも物出で来て、ほどなく造営ありけり。時にとりてめでたかりけることと、申し伝へ侍り。
  
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text/shaseki/ko_shaseki06a-03.txt · 最終更新: 2019/01/10 23:28 by Satoshi Nakagawa