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text:shaseki:ko_shaseki04b-03 [2018/12/06 12:26] – [巻4第3話(41) 上人の子を持つ事] Satoshi Nakagawatext:shaseki:ko_shaseki04b-03 [2019/04/27 12:41] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 南山((道宣))の感通伝((律相感通伝))に、「大師、天人に問ひていはく、『羅什、乱行の聞こえあり。実か不や』。答へていはく、『三賢の菩薩なり。沙汰すべからず』」と云々。 南山((道宣))の感通伝((律相感通伝))に、「大師、天人に問ひていはく、『羅什、乱行の聞こえあり。実か不や』。答へていはく、『三賢の菩薩なり。沙汰すべからず』」と云々。
  
-私に推していはく、「末代は持戒の人まれなり。然れども正法を弘通せば、益あるべし。その跡を示し給ふにや」。また問ひていはく、「法華は前後四品あり。何ぞ、ただ什公訳、天下に之を翫(もてあそ)ぶや」。答へていはく、「什公、七仏の出世の毎度、翻訳の三蔵なり。十輪経に、『正見僧と言ふは、犯戒なれども正法を説く。師と為すべし』と言へり。心地観経の心、之に同じ。安楽行品の『不親近国王大臣。(国王大臣に親近せず)』の文を、慈恩大師((基))、釈すとして、呉王妻を譲りしかば、恥を千歳に残すと言へり』と。犯戒の後は、縵衣をかけて、寺の外に居し、寺に入りて説法の時は、度ごとに、『わが身は淤泥のごとし。所説の法は蓮華のごとし』と言へり。さて、法華翻訳の庭に、四人の弟子と共に訳せり。富楼那の授記の文の、『人天交接両得相見。』は肇公の訳の語なり。古訳には、『人見天、天見人。(人は天を見、天は人を見る』と訳せられけるを、『聞きにくく候ふ』とて釈し直さる。よつて時の人、これを讃めて、まさる肇公と言へり。一説には叡公」と云々。+私に推していはく、「末代は持戒の人まれなり。然れども正法を弘通せば、益あるべし。その跡を示し給ふにや」。また問ひていはく、「法華は前後四品あり。何ぞ、ただ什公訳、天下に之を翫(もてあそ)ぶや」。答へていはく、「什公、七仏の出世の毎度、翻訳の三蔵なり。十輪経に、『正見僧と言ふは、犯戒なれども正法を説く。師と為すべし』と言へり。心地観経の心、之に同じ。安楽行品の『不親近国王大臣。(国王大臣に親近せず)』の文を、慈恩大師((基))、釈すとして、呉王妻を譲りしかば、恥を千歳に残すと言へり』と。犯戒の後は、縵衣をかけて、寺の外に居し、寺に入りて説法の時は、度ごとに、『わが身は淤泥のごとし。所説の法は蓮華のごとし』と言へり。さて、法華翻訳の庭に、四人の弟子と共に訳せり。富楼那の授記の文の、『人天交接両得相見。』は肇公((僧肇))の訳の語なり。古訳には、『人見天、天見人。(人は天を見、天は人を見る』と訳せられけるを、『聞きにくく候ふ』とて釈し直さる。よつて時の人、これを讃めて、まさる肇公と言へり。一説には叡公」と云々。
  
 かかるためしもあれども、かの上代の聖人は、智行徳たけ、和光の方便、利益の因縁、まことに量りがたし。されば、その子も智慧有り、利益広し。近代の上人は、父上人も愚痴なれば、まして、その子上人の、いかでかはかばかしからん。させる益もなく、よそよりおとすこともなきに、よしなき種をのみ継ぐにこそ。およそ、代下り人つたなくして、智慧もあり徳行もある上人、年追ひてまれなり。 かかるためしもあれども、かの上代の聖人は、智行徳たけ、和光の方便、利益の因縁、まことに量りがたし。されば、その子も智慧有り、利益広し。近代の上人は、父上人も愚痴なれば、まして、その子上人の、いかでかはかばかしからん。させる益もなく、よそよりおとすこともなきに、よしなき種をのみ継ぐにこそ。およそ、代下り人つたなくして、智慧もあり徳行もある上人、年追ひてまれなり。
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 南山宣律師((道宣))、業疏釈中に、智論を引きていはく、「六情根完具、智鑒亦明利。而不求道法。唐受身智慧。禽獣亦皆知欲楽。以自恣而不知方便為道修善事。既已得人身。宜勉自利益。不知修道行。与彼亦何異。道行何耶。一切無染者是也。良由衆生無始封著。是此是彼。是得是失、因之起染、纏縛有獄。故世鈍者多著財色。小有利者多貪名見。已上。」 南山宣律師((道宣))、業疏釈中に、智論を引きていはく、「六情根完具、智鑒亦明利。而不求道法。唐受身智慧。禽獣亦皆知欲楽。以自恣而不知方便為道修善事。既已得人身。宜勉自利益。不知修道行。与彼亦何異。道行何耶。一切無染者是也。良由衆生無始封著。是此是彼。是得是失、因之起染、纏縛有獄。故世鈍者多著財色。小有利者多貪名見。已上。」
  
-祖師の意、みな同じきにや。大慧禅師((大恵))いはく、「ただ染を誡む。世間事より、乃至菩提涅槃まで着(ぢやく)するを染と言へり」。+祖師の意、みな同じきにや。大慧禅師((大恵))いはく、「ただ染を誡む。世間事より、乃至菩提涅槃まで着(ぢやく)するを染と言へり」。
  
 ===== 翻刻 ===== ===== 翻刻 =====
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   此是彼是得是失因之起染纏縛有獄故世鈍者多著財   此是彼是得是失因之起染纏縛有獄故世鈍者多著財
   色小有利者多貪名見已上祖師ノ意ミナヲナシキニヤ大慧   色小有利者多貪名見已上祖師ノ意ミナヲナシキニヤ大慧
-  禅師云只染ヲ誡ム世間事ヨリ乃至菩提涅槃マテ著ス +  禅師云只染ヲ誡ム世間事ヨリ乃至菩提涅槃マテ著ス 
-  ルヲ染トイヘリ/k4-142r+  ルヲ染トイヘリ/k4-142r
  
 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=141&r=0&xywh=244%2C389%2C5841%2C3451 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=141&r=0&xywh=244%2C389%2C5841%2C3451
  
text/shaseki/ko_shaseki04b-03.txt · 最終更新: 2019/04/27 12:41 by Satoshi Nakagawa