text:shaseki:ko_shaseki03b-08
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text:shaseki:ko_shaseki03b-08 [2018/09/23 23:56] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:shaseki:ko_shaseki03b-08 [2018/09/24 00:08] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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ある遁世の長斎(ぢやうさい)の上人、河内国へ請用(しやうよう)して行く。七里の道を、冬の日、「時(とき)以前におはしませ」と請ず。いと道も歩まぬ馬に乗りて行くに、曇りて日影も見えねども、はるかに日たけて思えければ、「今日は日下(さが)りぬらん」と言ふに、檀那、「いまだ午時にてぞ候ふらん」とて、種々の珍物をもつて斎(とき)いとなみてすすむ。もとより食者(じきしや)なれば、かひがひしく行ひ、食後(じきご)の菓子まて至極せめ食ひて、楊枝使ふに、鐘の声聞こゆ。「これは何の鐘ぞ」と問へば、「日没」と言ふ。日没の鐘をまがふことは似たれども、食にまがへるは、かの上人の物語に忘れたるよりも、まさなくこそ思ゆれ。 | ある遁世の長斎(ぢやうさい)の上人、河内国へ請用(しやうよう)して行く。七里の道を、冬の日、「時(とき)以前におはしませ」と請ず。いと道も歩まぬ馬に乗りて行くに、曇りて日影も見えねども、はるかに日たけて思えければ、「今日は日下(さが)りぬらん」と言ふに、檀那、「いまだ午時にてぞ候ふらん」とて、種々の珍物をもつて斎(とき)いとなみてすすむ。もとより食者(じきしや)なれば、かひがひしく行ひ、食後(じきご)の菓子まて至極せめ食ひて、楊枝使ふに、鐘の声聞こゆ。「これは何の鐘ぞ」と問へば、「日没」と言ふ。日没の鐘をまがふことは似たれども、食にまがへるは、かの上人の物語に忘れたるよりも、まさなくこそ思ゆれ。 | ||
- | 古(いにしへ)をもつて鏡として、今の世を見るに、興廃まことに異なり。古の遁世の人は、仏法に心を染めて、世間の万事を忘る。近代は、世間の名利を忘れずして、仏法は廃るるにこそ。かかるままに、遁世の名のみありて、遁世のまことなし。世にあては、人にも知られず名利もなき人、遁世門に入りては、なかなか名も利もあるままに、必ず道心にあらねども、ただ度世のために遁世する人、年々に多く見え侍るにや。されば、当世は遁世の遁の字を改めて、貪世と書くべきにや。この心を思ひ続け侍り。 | + | 古(いにしへ)をもつて鏡として、今の世を見るに、興廃まことに異なり。古の遁世の人は、仏法に心を染めて、世間の万事を忘る。近代は、世間の名利を忘れずして、仏法は廃るるにこそ。かかるままに、遁世の名のみありて、遁世のまことなし。世にあては、人にも知られず名利もなき人、遁世門に入りては、なかなか名も利もあるままに、必ず道心にあらねども、ただ渡世のために遁世する人、年々に多く見え侍るにや。されば、当世は遁世の遁の字を改めて、貪世と書くべきにや。この心を思ひ続け侍り。 |
遁世の遁は時代に書きかへん昔は遁(のが)る今は貪(むさぼ)る | 遁世の遁は時代に書きかへん昔は遁(のが)る今は貪(むさぼ)る |
text/shaseki/ko_shaseki03b-08.txt · 最終更新: 2018/12/06 12:25 by Satoshi Nakagawa