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text:shaseki:ko_shaseki02b-09
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text:shaseki:ko_shaseki02b-09 [2018/08/15 16:46] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +沙石集
 +====== 巻2第9話(19) 菩薩の利生、代受苦の事 ======
 +
 +===== 校訂本文 =====
 +
 +仏法の効験(かうけん)の掲焉(けちえん)なること、菩薩の利生の広大なることを聞くに、衆生の苦患(くげん)に沈み、感応の滞ること、あるべからず。しかるに、受苦(じゆく)の衆生も多くして尽きず。仏菩薩を頼む人あれども、感応のいちじるきこともまれなり。このこと、凡夫の心に不審開きがたし。
 +
 +今、経論の意になずらへ、古徳の釈によりて意得(こころえ)ば、一切衆生、自心に業を作りて、おのおの苦報を受く。所作の業、百千劫を経れども亡ぜずして、因縁会ひ遇ひて、かへつてその報を受くと言へり。菩薩の行願ありといへども、いかでか、たやすくこれを助けむ。神力、業力に勝たずと言へり。もし、よしなく押して救はば、一切衆生、苦に落つべからず。
 +
 +これゆゑに、代受苦の義に、古徳、七つの意を述べたり。
 +
 +一つには、慈悲の意楽(いげう)をなす。必ずしも、代はりて受けず。これは初心の時の意楽と言へり、
 +
 +二つには、もろもろの苦行を修して、物のために増上縁となるを代はると言ふ。慈善根の力、衆生の信心に加して、代はりて苦を受け、法を説き、もしは来迎すと見る。みな法身は無相なれども、宿願に答へて、衆生の善根熟((「熟」は底本「熱」。諸本により訂正。))すれば、かのの識の上に感得して利益有り。これを増上縁と言へり。衆生の微少の善根を助けて、苦を抜き、楽を与ふ。涅槃経((大般涅槃経))の中に見えたり。
 +
 +在世((釈迦の在世中))に女人ありて、僧を信じ供養す。僧ありて、重病を受く。肉を薬に用ゐるべき病なるに、すべて世間に得がたし。よて、女人、みづからの股の肉を裂きて、与へ服せしむるに、僧の病、癒えぬ。女人、苦痛忍びがたくして、「南無仏陀、南無仏陀」と唱へて、信心をいたす時、釈尊来て、薬を付け給ふに、痛みやみぬ。また、法を説くを聞きて、道を悟る。
 +
 +ついで、仏所に詣(けい)して、このことを仏に申す。仏、言く、「われ、かつて行かず。薬を付け、法を説くことなし。ただ、わが慈善根の力、なんぢが信心にたたかれて、このことを見るなり」と。
 +
 +これ増上縁なるべし。無心の上の妙用、みな、かくのごとし。日の暖かにして霜を消し、月の明らかにして水に浮ぶがごとし。何ぞ必ずしも心あらん。無心のゆゑになさずといふことなく、遍ぜずといふことなし。もし有心ならば、限りありて平等ならじ。仏菩薩の利生、ただ増上縁となる。もしこの縁なくば、衆生の自善根ありとも、その力弱し。また、菩薩の慈悲深しといふとも、衆生の善根なくば、加すべき所なし。月明らかなれども、濁り障(さふ)れば、水に浮ばず、日暖かなれども、雲隔つれば、霜消えざるがごとし。これ天然の道理なり。世間のことをもても知りぬべし。
 +
 +三つには、惑(わく)をとどめて苦を受くる身となり、物の為に法を説きて悪行をやむ。業因亡ずれば、苦果滅ぶるを代受苦と言ふ。これ、その道理なり。説法は無間の業を転ずと言へり。
 +
 +四つには、衆生の無間の業を造らんとするを見て、かれが命を断ちて、みづから代りて地獄に入るがごときなり。これ、まさしく代りて受くることなり。
 +
 +五つには、初発心(しよほつしん)より常に悪道に処し、ないし、飢餓(けが)の世に、身、大魚となりて、衆生のために食せらる。
 +
 +釈尊の昔、大蛇となりて、斎戒を受けて、昼眠る時に((「昼眠る時に」は底本「書子フル時ニ」。諸本により訂正。))、金色の文現ずるによりて、猟師これを剥がんとす。眠り覚めて、「毒を吐いて害せん」と思ふ。また思惟(しゆい)すらく、「今日、斎戒を受く。人を害すべからず」。よて、苦を忍びて、皮を剥がる。虫、多く吸ひ食らふに、願をおこしていはく、「われを食せん衆生、ことごとく未来に度せん」と。さて、命終(みやうじゆ)して、つひにこの因縁をもて、ことごとくかの虫を度すと言へり。これすなはち代受苦なり。
 +
 +六つには、願も苦も、みな同じく真性(しんしやう)なれば、願即苦・苦即願なるを代と言ふ。
 +
 +七つには、法界を身として、自他異(ことな)らざれば、衆生の苦、すなはち菩薩の苦なるを、代はりて受くと言へり。
 +
 +この中に、余は義勢意楽法門なり。まさしくは、第二の増上縁と、四と五と代受苦の益あるべし。これに付けて、感応の有無、利益の遅速、その道理を心得べし。
 +
 +喩へをもて言はば、衆生の機根は木のごとし。菩薩の慈悲は火に似たり。火をもて薪(たきぎ)を焼く、外の火は増上縁のごとし。木の中の火をおこす力あり。この縁ばかりにて、もし木の中の火を待たずは、枯れたるも生(なま)しきも、焼くこと同じかるべし。しかるに、中の火を待つゆゑに、遅速同じからず。これがごとく、仏菩薩の慈悲願力は、衆生に平等にかうらしむれども、衆生の機生(なま)しき時は感応なし。生しと言ふは、罪障の水の気ありて、慈悲の応火つくことなし。信心の薄く、智解(ちげ)の発せざること、これ生しき姿なり。生しき木に火のつかざるがごとし。もし、信解まことあれば、感応むなしからず。枯れたる木の、火のつきやすきがごとし。衆生の心中(しんぢう)に仏性あるは、木の中の火性のごとし。やうやく乾くは、善根の生ずるがごとし。仏菩薩の願力は、外より来たる火のごとし。木の中に火性ありといふとも、方便なければ現れず。火の縁ありといふとも、火性なくは、また現ずべからず。
 +
 +かくのごとく仏性ありといへども、仏菩薩の慈悲方便なくは、現はるべからず。大願大悲ありといふとも、仏性なく自善なくは、また成仏すべからず。この因縁、天然の道理、経論の中に見えたり。
 +
 +しかれば、内には真如仏性もとよりあることを信じ、外には仏菩薩の慈悲願力の妙(たへ)なる事を頼みて、増上縁として、悪趣を出で、浄刹に生じ、凡身を改め、仏身を得べきなり。増上の勝縁、もつとも頼むべし。
 +
 +盛りなる火の中には、生しき木もなほ燃ゆるがごとく、仏法の盛りなる寺なんどには、初めたる出家の者も勤行し精進す。これ、縁の強きによる。
 +
 +ただし、寺を出でて、その善縁を遠ざかれば、仏法の気分なし。生しき木の燃ゆるやうなれども、引き出だせば、やがて消ゆるがごとし。これ内の火の用(ゆう)、弱きゆゑなり。たびたびになれば、やうやう枯れ乾く。しひても善縁に近付くべし。宿習となるべし。
 +
 +もし、宿善ある人は、善縁を去れども、仏法を捨てず。枯たる木の、引き出だして後もなほ燃ゆるがごとし。これをもつて、機の成熟((「熟」は底本「熱」。諸本により訂正。))と感応の遅速とのあはひを心得て、みだりに仏菩薩の悲願を疑ふべからず。ただ、罪障の水を乾かして、悲願の火を待るべし。自善の力もしあらば、聖応(しやうおう)の益疑ひなし。よくよく信心を堅固にして、大聖(だいしやう)の化儀(けぎ)を疑はざれ。
 +
 +===== 翻刻 =====
 +
 +   菩薩之利生代受苦事
 +  仏法ノ効験ノ掲焉ナル事菩薩ノ利生ノ広大ナル事ヲ聞ニ
 +  衆生ノ苦患ニ沈ミ感応ノトトコホル事有ヘカラス然ニ受苦ノ
 +  衆生モオホクシテツキス仏菩薩ヲタノム人有レトモ感応ノイチシ
 +  ルキ事モ希也此事凡夫ノ心ニ不審開キカタシ今経論ノ意
 +  ニナスラヘ古徳ノ釈ニヨリテ意得ハ一切衆生自心ニ業ヲツク
 +  リテ各々苦報ヲウク所作ノ業百千劫ヲフレトモ亡セスシテ因
 +  縁会遇テ還テ其報ヲウクトイヘリ菩薩ノ行願有リトイヘトモ
 +  イカテカタヤスクコレヲタスケム神力業力ニカタストイヘリ若シ由/k2-70r
 +
 +  ナクヲシテスクハハ一切衆生苦ニオツヘカラス是故ニ代受苦
 +  ノ義ニ古徳七ノ意ヲノヘタリ一ニハ慈悲ノ意楽ヲナスカナラ
 +  スシモ代テウケス是ハ初心ノ時ノ意楽云リ二ニハ諸ノ苦行ヲ
 +  修シテ物ノタメニ増上縁トナルヲ代ルト云慈善根ノ力衆生ノ
 +  信心ニ加シテ代テ苦ヲウケ法ヲトキ若ハ来迎スト見ルミナ法
 +  身ハ無相ナレトモ宿願ニコタヘテ衆生ノ善根熱スレハ彼識ノ
 +  上ニ感得シテ利益有リコレヲ増上縁トイヘリ衆生ノ微少ノ善
 +  根ヲ助テ苦ヲヌキ楽ヲアタフ涅槃経ノ中ニ見ヘタリ在世ニ
 +  女人有テ僧ヲ信シ供養ス僧有テ重病ヲウク肉ヲ薬ニ用ヘキ
 +  病ナルニスヘテ世間ニエカタシヨテ女人自ノ股ノ肉ヲサキテアタ
 +  ヘ服セシムルニ僧ノ病イヘヌ女人苦痛忍ヒカタクシテ南無仏
 +  陀南無仏陀ト唱ヘテ信心ヲイタス時釈尊来テ薬ヲ付給ニ痛ヤミヌ/k2-70l
 +
 +https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=69&r=0&xywh=-1814%2C636%2C5205%2C3075
 +
 +  又法ヲ説ヲ聞テ道ヲ悟ルツイテ仏所ニ詣シテコノ事ヲ仏
 +  ニ曰ス仏言ク我カツテユカス薬ヲ付ケ法ヲ説クコト無シ只我
 +  慈善根ノ力汝カ信心ニタタカレテ此事ヲ見ルナリトコレ増上
 +  縁ナルヘシ無心ノ上ノ妙用ミナカクノコトシ日ノアタタカニシテ
 +  霜ヲケシ月ノアキラカニシテ水ニウカフカ如シ何ソカナラスシモ心ア
 +  ラン無心ノ故ニナサストイフ事ナク遍セストイフ事ナシモシ有
 +  心ナラハ限アリテ平等ナラシ仏菩薩ノ利生只増上縁トナル
 +  モシ此縁ナクハ衆生ノ自善根有トモ其力ヨハシ又菩薩ノ慈
 +  悲深シトイフトモ衆生ノ善根ナクハ加スヘキ所ナシ月明ナレ
 +  トモ濁サフレハ水ニウカハス日アタタカナレトモ雲ヘタツレハ霜キ
 +  ヱサルカコトシコレ天然ノ道理也世間ノ事ヲモテモシリヌヘシ
 +  三ニハ惑ヲトトメテ苦ヲ受ル身トナリ物ノ為ニ法ヲ説テ悪行/k2-71r
 +
 +  ヲヤム業因亡スレハ苦果ホロフルヲ代受苦トイフコレ其道理
 +  也説法ハ無間ノ業ヲ転ストイヘリ四ニハ衆生ノ無間ノ業ヲ
 +  造ラントスルヲ見テカレカ命ヲ断テ自ラ代テ地獄ニ入カコトキ
 +  也コレマサシク代テウクル事也五ニハ初発心ヨリ常ニ悪道ニ
 +  処シ乃至飢餓ノ世ニ身大魚ト成テ衆生ノタメニ食セラル釈
 +  尊ノ昔シ大蛇ト成テ済戒ヲ受テ書子フル時ニ金色ノ文現
 +  スルニヨリテ猟師コレヲハカントス眠サメテ毒ヲハイテ害セント思
 +  又思惟スラク今日済戒ヲウク人ヲ害スヘカラスヨテクヲ忍テ
 +  皮ヲハカル虫オホクスイクラフニ願ヲオコシテイハク我ヲ食セン衆
 +  生コトコトク未来ニ度セントサテ命終シテツヰニコノ因縁ヲモテ
 +  コトコトクカノ虫ヲ度ストイヘリ此則代受苦也六ニハ願モクモ
 +  ミナ同ク真性ナレハ願即苦々即願ナルヲ代トイフ七ニハ法/k2-71l
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 +https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=70&r=0&xywh=-1882%2C476%2C5368%2C3172
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 +  界ヲ身トシテ自他コトナラサレハ衆生ノ苦即菩薩ノ苦ナルヲ
 +  代テ受トイヘリ此中ニ餘ハ義勢意楽法門ナリマサシクハ第
 +  二ノ増上縁ト四ト五ト代受苦ノ益有ヘシコレニ付テ感応
 +  ノ有無利益ノ遅速其道理ヲ心得ヘシ喩ヲモテイハハ衆生ノ
 +  機根ハ木ノコトシ菩薩ノ慈悲ハ火ニ似タリ火ヲモテ薪ヲヤク
 +  外ノ火ハ増上縁ノコトシ木ノ中ノ火ヲオコス力ラアリ此縁ハ
 +  カリニテ若シ木ノ中ノ火ヲマタスハ枯タルモ生シキモヤク事同シ
 +  カルヘシ然ニ中ノ火ヲマツ故ニ遅速同シカラスコレカコトク仏
 +  菩薩ノ慈悲願力ハ衆生ニ平等ニカフラシムレトモ衆生ノ機
 +  ナマシキ時ハ感応ナシナマシトイフハ罪障ノ水ノ気アリテ慈悲
 +  ノ応火ツク事ナシ信心ノウスク智解ノ発セサル事コレナマシキ
 +  スカタナリ生シキ木ニ火ノツカサルカ如シ若信解マコトアレハ感/k2-72r
 +
 +  応ムナシカラス枯タル木ノ火ノツキヤスキカ如シ衆生ノ心中ニ
 +  仏性アルハ木ノ中ノ火性ノ如シヤウヤクカハクハ善根ノ生スル
 +  カ如シ仏菩薩ノ願力ハ外ヨリ来ル火ノ如シ木ノ中ニ火性有
 +  トイフトモ方便ナケレハアラハレス火ノエン有トイフトモ火性ナク
 +  ハ又現スヘカラス如此仏性有トイヘトモ仏菩薩ノ慈悲方便
 +  無クハアラハルヘカラス大願大悲有リト云トモ仏性ナク自善
 +  ナクハ又成仏スヘカラスコノ因縁天然ノ道理経論ノ中ニ見
 +  ヘタリ然ハ内ニハ真如仏性モトヨリアル事ヲ信シ外ニハ仏菩
 +  薩ノ慈悲願力ノタヘナル事ヲタノミテ増上縁トシテ悪趣ヲイテ
 +  浄刹ニ生シ凡身ヲアラタメ仏身ヲウヘキナリ増上ノ勝縁尤
 +  モタノムヘシサカリナル火ノ中ニハ生シキ木モ猶モユルカコトク仏
 +  法ノサカリナル寺ナントニハ初タル出家ノ者モ勤行シ精進ス/k2-72l
 +
 +https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=71&r=0&xywh=-2268%2C370%2C5798%2C3425
 +
 +  コレヱンノツヨキニヨルタタシ寺ヲイテテ其善縁ヲトヲサカレハ仏
 +  法ノ気分ナシ生シキ木ノモユルヤウナレトモ引出セハヤカテキユ
 +  ルカ如シコレ内ノ火ノ用ヨハキ故也タヒタヒニナレハヤウヤウカレカ
 +  ハクシヰテモ善縁ニ近ツクヘシ宿習ト成ヘシ若シ宿善有ル人
 +  ハ善縁ヲサレトモ仏法ヲステス枯タル木ノヒキイタシテ後モ猶
 +  モユルカコトシコレヲ以機ノ成熱ト感応ノ遅速トノアハヒヲ心
 +  得テミタリニ仏菩薩ノ悲願ヲウタカフヘカラス只罪障ノ水ヲ
 +  カハカシテ悲願ノ火ヲ待ヘシ自善ノ力モシアラハ聖応ノ益ウ
 +  タカヒナシ能々信心ヲ堅固ニシテ大聖ノ化儀ヲウタカハサレ/k2-73r
 +
 +https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=72&r=0&xywh=-13%2C445%2C5798%2C3425
  
text/shaseki/ko_shaseki02b-09.txt · 最終更新: 2018/08/15 16:46 by Satoshi Nakagawa