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沙石集

巻2第6話(16) 地蔵菩薩、種々の利益の事

校訂本文

鎌倉の浜に、古き地蔵堂あり。丈六の地蔵を安置す。その辺の浦人、常に詣でけり。

ある時、日ごろ詣でつる浦人ども、面々に夢に見けるは、若き僧の見目(みめ)美しきが、「日ごろ常に見参しつるに、人に売られて、ほかへこそまかれ。さて、名残惜しくて、詣で来たり」とのたまふと見て、怪しみ思ふほどに、この堂の主、貧しきままに、先祖の堂を売る間、東寺の大勧進の願行房の上人1)、これを買ひて、「二階堂2)の辺に移し作らん」とて、仏像を渡し奉るに、人夫不足にして、思ひ煩ふところに、いづくよりともなく、下種法師の勢大きなるが来て、「十人か振舞ひはつかまつるべし」とて持ち奉る。十人ばかり不足なるに、この法師、かひがひしく持ちて、やすやすとぞ渡しつ。

さて、食せさせんとするほどに、かき消すやうに失せぬ。「権化のしわざにや」と、人、怪しむ。同法の僧、たしかに見て語り侍りき。

さてかの仏、うなじの貧相におはしますを、上人、仏師を呼びて、直さしめんとするに、「霊像にておはしませば、たやすく破(やぶ)りがたし」と言ひければ、別の仏師を呼ばんとするところに、件(くだん)の仏師来たりて、「夢に、若き僧来て、『ただ、わが身をば直せ。苦しみなきぞ3)』と仰せらると見て候へば」とて、直し奉 りぬ。その後、檀那出で来て、供料など寄進してけり。

仏の相も人の相にたがはすと言へり。当代の不思議なり。かの上人の弟子の説なり。世間また隠れなし。

さて、かの夢に見奉る浦人、信をいたし、歩みを運びて詣でて、よその人も聞き及びて、尊び4)崇め奉るとなん。

仏像を破りて修補(しゆほ)すること、大論5)の中には、「好(かう)のために破るは、罪なくして福を得(う)」と言へり。よくなし奉る意楽(いげう)なるは苦しみなし。されば調達(でうだつ)6)は血を出だして阿鼻獄に落ち、耆婆は血を出だして忉利天に生まる。血を出だすことは同じけれども、報を得ることは異(こと)なり。善悪は心のおもむきによるべし。作業は定まりなし。生身すでにかくのごとし。遺像なずらふべし。

ただし、たやすくは破るべからず。笠置7)の弥勒は、色どり奉りて後、霊験おはしまさずと言へり。古き仏像は、ただそのままにて崇むる、一の様(やう)なり。ただし、形みにくく、かたはしきをば、律の中には、「戸帳をかけよ」と言へり。見目悪(わろ)き姫君なんどは、隠れて見えねば心にくきやうに、仏も、ただ心にくく思えて、行者の信心をもよほさしむべきなり。


近ごろ、勘解由(かで)の小路に、利生あらたなる地蔵おはします。京中の男女、市をなして詣でる中に、若き女房の、見目・形なびらかなるが、常に通夜しけり。

また、若き法師、常に参籠しけるが、この女房に心をかけて、「いかにしてか近付かん」と思ひけるあまり、「同じくは、本尊の示現のよしにて近付かん」と思ひめぐらすに、この女房、宵のほど、勤めし疲れて、うち休みけるに、耳に、「下向の時、初めて合ひたらん人を頼め」と言ひて、立ちのきて見れば、やがて起き上り、女の童を起しき。急ぎ下向しけり。

「しおほせつ」と思ひて、出で違(ちが)ひて行き逢はんとするほどに、履物(はきもの)を置き失ひて、尋ぬれども見えず。遅かりぬべければ、履物かたがた履きて、さきざき下向する方を見置きて、「勘解由の小路を東へ行かんずらん」とて、走めぐりて見るになし。この女房、しかるべきことにや、烏丸を下りにぞ行きける。

暁月夜(あかつきつきよ)に見れば、入道の、馬にのりて、供の者四・五人ばかり具して行き合ひにけり。立ち止まりて、もの言はんとする気色を見て、入道、馬より下りて、「仰せらるべきことの候ふにや」と言へば、左右(さう)なくもうち出でず。やや久しくありて、女の童をもつて言はせけるは、「申すにつけて憚り侍れども、勘解由の小路の地蔵に、この日ごろ詣でて申すことの侍りつるが、『この暁、下向の時、初めて合ひたらん人を頼め』と示現をかうぶりて侍るを、申すにつけて憚りあれども、『申さでもまたいかが』と思ひて」と言ひて、もの恥かしげなる気色なり。

この入道は、妻におくれて三年になりけるが、この地蔵に参りて、「仏の御はからひに任せて、契を結ばん」とて、妻もせざりけり。地蔵堂へ参る道にて、かかることありければ、子細にも及ばず。やがて、馬にうち乗せて帰りぬ。田舎に所領なんど持ちて、貧しからぬ武士入道なりけり。

さて、この法師は、縦ざまに走り、横ざまに走り、履物かたがた履きて、汗を流し、息を切りて走りめぐれども、なじかは行き合ふべき。夜も明けぬれば、あまねく人に問ふに、「さる人は、しかじかの所へこそおはしつれ」と言ひければ、心のあられぬままに、その家の門に行きて、「地蔵の示現にはあらず。法師か示現ををこがましく」とののしりけれども、「こは何ごとぞ。物狂(ものぐるひ)か」と言ふ人こそあれども用ゐる人なし。

心濁れるは益なし。信心深くして、仏の御詞(おんことば)と仰ぎければ、この女房は、思ひのごとく望む所かなひてけり。大聖の方便、めでたくこそ思え侍れ。鞍馬の老僧もそら示現のゆゑに、牛に8)房もみな踏み破られ候ひけること思ひあはせらる9)。常の物語なれば、これらは書かず。


駿河国富士河の上(ほとり)に、殺生を業とせる男あり。人の勧めによりて、小地蔵を一体、花・香時々参らせて、家に崇め奉りけり。

ある時、夢に鬼に捕られて行きけるを、この地蔵、乞ひ給ひけるに、鬼、「これは殺生の業によりて、地獄へ行くべき者なり」と申すに、地蔵、「これより後は止(とど)むべきよしを教ふべし。まげて許せ」とて、具して帰り給ふと見て、一両月がほどは殺生止(と)めたりけるが、またもとのごとくしけり。

いささか煩(わづら)ふことありて、絶入(ぜつにふ)しぬ。今度は、牛頭・馬頭、縛りて追ひ立てて行くに、地蔵来たりて乞ひ給ふに、「先に約束申したがへて侍れば、かなひ候ふまじ」と申すを、やうやうに仰せられて。「今度ばかり、理(ことわり)をまげて助けよ。自今以後は助くまじ」と仰せられて、乞ひ取りて、よくよく戒め給ふに、今はふつと殺生止(と)むべきよし申して、蘇りぬ。

その後、一年ばかり止(とど)めたりけるが、また殺生しけるほどに、重き病に責め伏せられて、息絶えぬ。獄卒あまた縛りて、追ひ立てて行くに、今度は地蔵も見え給はず。「あら悲し。たびたび約束違へて、地蔵にも捨てられ奉りぬ」と思ひて、一心に念じ奉るに、地蔵の、影のごとくにて、そばを通り給ふを、御衣の裾(すそ)に取り付きて、引とどめんとす。地蔵は引き放ちて逃げんとし給ふ。獄卒、「いかに、かかる悪人をば、よこざまに救ひ給ふぞ。たびたん誑言(わうげん)申して候ふ者を」と申すに、「われは助けず。かれが取り付けるなり」と仰せらるる時、一人の獄卒、矢をもつて背中より前へ射通しぬ。また一人、鉾(ほこ)をもて胸を突き貫きて、土に突き通して、「獄卒去りぬ」と思ひて、蘇生して後、胸に傷ありて、瘡(かさ)となり、はるかになやみて後、出家して、当時、後世菩提の勤めねんごろにしつつ、地蔵を恭敬供養し奉ると言へり。弘安年中のことなり。

和州の生駒に、論識房といふ僧ありけり。説経なんどしけるが、「信施(しんぜ)受けてもよしなし」と思ひて、持斎(じさい)になり、小田作らせて時料として、庵室をかまへて隠居し、法華経読みて、後世の行と思ひあてけり。他界の後、讃岐房といふ弟子に庵室をば譲りてけり。

かの弟子、いささか煩ふことありて、息絶えぬ。一日一夜ありて蘇(よみがへ)り、語りてけるは、「炎魔王宮10)へ参りて、報命を勘(かんが)へられつるに、『報命いまだ尽きず』とて、うち捨てらる。何方(いづかた)へ行くべしとも、東西も覚えず。

さるほどに、師匠論識房、法華経一巻、手に握りて出で来、『あれはいかに』と問ふに、『かかる次第にて、御許されは候へども、何方へ行くべしとも、方角も覚えず』と言ふ。『いさ、御房、法師が栖(すみか)も見よ』とて、具して行く。

小さき庵室に釈迦の像懸け奉り。文机(ぶんき)に法華経一部置きたり。『われ、悪しき意楽(いげう)に住して、召人(めしうど)になれり。仏弟子の習(ならひ)なれば、法を説きて人にも聞かせ、聞法の縁を結ばしむべかりけり。『田作るとても、仏子の儀にあらず。それも過(とが)なり』とて召さる。わがごときの召人は多くあるなり。されども、別の苦患(くげん)はなし』と言ふ。『さて、この身はいかになり候ふべきにや』と言へば、『しばらく待て。地蔵菩薩のおはしまさんずるに、歎き申してみよ』と言ふ。

しばらくありて、錫杖の声して、地蔵菩薩、通り給ふに、走りつき奉りて、『御助け候へ。報命尽きずとて許されて候へども、いかになるべしとも思え候はず』と申せば、『いざいざ』とて、炎魔王の御前へ具しておはしまして、『まことにこの法師は御許されあるにや』と仰せらるれば、『さること候ふ。許して侍り』と申し給ひければ、『さらば、いざ』とて、野中をはるばると具しておはします。

野の中に、餓鬼ども、いくらといふ数も知らずありけり。その形、絵に描けるに違(たが)はず。その中に、ある餓鬼申しけるは、『あの讃岐房は、わが子なり。あれ養ふとて、多くの罪を作りて、この報を受けて、飢渇(けかつ)に責められて、術(じゆつ)なく候ふ。あれ賜はりて、食ひ候はん』と申しければ、『僻事(ひかごと)なり。これは、なんぢが子に少しも違(たが)はぬ別の者なり』と仰せらるるに、『たしかに、わが子にて侍り。所も父もしかじか』と明らかに申しけれども、『そぞろごとぞ。かれに似たる別の者なり。いざいざ』とて、やがて具しておはす。

『あはれ、あはれ』と餓鬼申しけれども、用ゐ給はで、遥に行き過ぎて、『げに、かれはなんぢが母なり。なんぢを養ひしゆゑに、かの報を得たり。しかれども、なんぢを食ひたりとても、その苦の助かることも久しかるまじ。また、なんぢ、人間に生じて、思出(おもひで)もなうして、命を失なはんことも不便なれば、われ、そらごとをもてなんぢを助けつるなり。あなかしこ、あなかしこ、母の孝養よくよくして、かの苦患を助け、おのれが後生菩提のために、勤め行ふべし。われは暇(ひま)なき身なれば行くぞ。これよりは道は覚えんずらん』とて、うち捨てて、いそがはしげにておはしつると思ひて、蘇りぬ」と語る。

かの師弟、ともに見たる上人の物語なり。近きことなり。


ある遁世門の僧、随分に後世の心ありて、念仏の行者なるあり。時料のために耕作なんどせさすること、さすがよしなく、罪深く思ひける夜の夢に、ある山の辺に火車あり。これを師子11)にかく。獄卒、これをやる。火焔、おびただし。見るに、恐しなんど言ふばかりなし。獄卒が言ふやう、「これは、敵(かたき)のあるを、責むべきなり」と言ふ。何とも返答にも及ばず、恐れ入りて過ぐ。

その山の峰に、若き僧三人、立ちていはく、「獄卒が言ひつることは、御房は聞きつるか」とのたまふ。「承り候ひつ」と答ふ。「あれは、耕作して多くの虫を殺す者の、敵として戒むべき者なり」。

  極楽へ参らんことを喜ばで何歎くらん穢土の思ひを

かく三返ばかり詠じ給ふと見て、夢覚めぬ。

さて、耕作のこと、ゆめゆめ思ひ止まりたるよし、まのあたり語り侍りき。地蔵の御方便にや。かたじけなくこそ思え侍れ。


鎌倉にある武士、二人知音なりけるが、地蔵を信じて、ともに崇め供養しけり。一人は、世間貧しかりければ、古き地蔵の相好もととのほらぬを、花・香奉りて、崇めける。一人は、世間豊かなりければ、いみじく造立して、厨子なんど美麗にしたてて、崇め供養しけり。

この人、先立ちて、世を早くしける時、貧しき知音に、「地蔵を信ずる人なれば」とて、本尊を譲りけり。悦びて、今の本尊を崇め供養して、年ごろの古地蔵をば、傍らにうち置きて、供養もせざりけり。

ある時、夢にこの地蔵、もの恨みたる気色にて、

  世を救ふ心はわれもあるものを仮の姿はさもあらばあれ

かくうちながめ給ふと見て、おどろきさはぎて、一つ厨子に安置して、同じく供養をのべけるとぞ。


常州筑波山の麓に、老入道あり。手づから地蔵を、をかしげに刻みて、崇め供養しけり。家中の男女、よろづのこと、この地蔵に申しける。随分の利益、面々にむなしからずなんありけり。

その家に、幼き者ありけり。あやまちに井に落ち入りて死にけり。母、泣き悲しみて、「よろづの願ひも満て給ふに、地蔵のわが子を殺し給ひたる口惜しさよ」とて、理(ことわり)もなく歎きける夜の夢に、この地蔵、井の端(はた)に立ちて、われを恨むることなかれ。力及ばぬ定業(ぢやうごふ)なり。後世は助けんずるぞ」とて、井の底より、この幼き者を負うて出で給ふと見て、歎きも少しやみにけり。


古徳の口伝にいはく、「仏の真身(しんじん)は無相無念なり。大悲本誓(だいひほんぜい)、善根の力によりて、種々の形を現じ給ふ。形像(ぎやうざう)も応身(おうじん)の一つなり。しかるに、行者の信心・智慧の分にしたがひて、木石の思ひをなせば、仏体もただ木石の分なり。木石をも仏の想をなせば、仏の利益あり。恭敬の心も、信仰の思ひも、まことに深く、まめやかに、ねんごろなれば、生身の利益に少しも違(たが)ふべからず。愚かなる心にて、軽慢(きやうまん)の振舞ひなれば、利益の用あらはれがたし。人をば敬へども、仏の御前には恥ぢず、恐れずのみ、世間には振舞ふ。いかでか仏徳をもかぶり、利益にもあづかるべき。かへすがへすも愚かなる人の習なり。

翻刻

 地蔵菩薩種々利益事
鎌倉ノ浜ニ古キ地蔵堂有丈六ノ地蔵ヲ安置ス其辺ノ浦
人常ニ詣ケリ或時日来詣ツル浦人共面々ニ夢ニ見ケルハ
若キ僧ノミメウツクシキカ日来常ニ見参シツルニ人ニウラレテホ
カヘコソマカレサテナゴリオシクテマウデキタリトノ給ト見テアヤシミ
思程ニ此堂ノ主マヅシキママニ先祖ノ堂ヲ売間ダ東寺ノ大
勧進ノ願行房ノ上人是ヲ買テ二階堂ノ辺ニウツシツクラン
トテ仏像ヲワタシ奉ルニ人夫不足ニシテ思ヒ煩フ処ニイヅクヨ
リトモナク下手法師ノ勢大ナルカ来テ十人カ振舞ハツカマツ
ルヘシトテモチ奉ル十人計不足ナルニ此法師カヒカヒシクモチテ
ヤスヤストソワタシツサテ食セサセントスルホトニカキケスヤウニウセヌ/k2-52r
権化ノシワサニヤト人アヤシム同法ノ僧慥ニ見テ語リ侍リキサ
テ彼仏御ウナシノ貧相ニ御坐スヲ上人仏師ヲヨヒテナオサシ
メントスルニ霊像ニテ御坐セハタヤスクヤフリ難シトイヒケレハ別
ノ仏師ヲヨハントスル処ニ件ノ仏師来テ夢ニ若キ僧来テ只
我身ヲバナオセクルシミテキソト仰ラルト見テ候ヘハトテナオシ奉
リヌ其後檀那出来テ供料ナト寄進シテケリ仏ノ相モ人ノ相
ニタカハストイヘリ当代ノ不思議也彼上人ノ弟子ノ説也世
間又カクレナシサテ彼夢ニ見奉ル浦人信ヲイタシアユミヲハコ
ヒテ詣テヨソノ人モキキ及テ縦アカメ奉ルトナン仏像ヲヤフリテ
修補スル事大論ノ中ニハ好ノタメニヤフルハ罪ナクシテ福ヲウト
イヘリヨクナシ奉ル意楽ナルハクルシミナシサレハ調達ハ血ヲ出
シテ阿鼻獄ニオチ耆婆ハ血ヲイタシテ忉利天ニ生ル血ヲ出ス事/k2-52l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=51&r=0&xywh=-1698%2C564%2C5368%2C3172

ハ同シケレトモ報ヲ得ル事ハコトナリ善悪ハ心ノオモムキニヨル
ヘシ作業ハ定リナシ生身既ニ如此遺像ナスラフヘシ但シタヤ
スクハヤフルヘカラス笠置ノ弥勒ハイロトリ奉テ後霊験御坐サ
ストイヘリ古キ仏像ハタタ其ママニテアカムル一ノ様也但シ形
チ見ニククカタワシキヲハ律ノ中ニハ戸帳ヲカケヨトイヘリミメワ
ロキ姫君ナントハカクレテ見エネハ心ニクキ様ニ仏モ只心ニクク
覚テ行者ノ信心ヲモヨヲサシムヘキ也
一 近比勘解由ノ小路ニ利生アラタナル地蔵御坐京中
ノ男女市ヲナシテ詣ル中ニ若キ女房ノミメカタチナヒラカナルカ
常ニ通夜シケリ又若キ法師常ニ参籠シケルカ此女房ニ心ヲ
カケテイカニシテカチカツカント思ケルアマリ同クハ本尊ノ示現ノ
由ニテチカツカント思ヒメクラスニ此女房ヨヒノホトツトメシツカ/k2-53r
レテウチヤスミケルニ耳下向ノ時初テアヒタラン人ヲタノメトイヒ
テタチノキテ見レハヤカテヲキアカリメノワラハヲオコシキイソキ下
向シケリシオウセツト思テ出チカヒテユキアハントスルホトニハキ物
ヲオキウシナヒテタツヌレトモ見ヘスヲソカリヌヘケレハハキ物カタカ
タハキテサキサキ下向スル方ヲ見ヲキテカテノ小路ヲ東ヘユカンス
ラントテ走メクリテ見ルニナシ此女房可然事ニヤ烏丸ヲクタリ
ニソユキケル暁月夜ニ見レハ入道ノ馬ニノリテ供ノ者四五人
計具シテユキアヒニケリ立トマリテ物イハントスル気色ヲ見テ入道
馬ヨリオリテ仰ラルヘキ事ノ候ニヤトイヘハ左右ナクモウチイテス
ヤヤ久クアリテメノワラハヲ以イハセケルハ申ニツケテ憚リ侍レト
モカテノ小路ノ地蔵ニ此日来詣テ申事ノ侍ツルカ此暁下
向ノ時ハシメテアヒタラン人ヲタノメト示現ヲカウフリテ侍ヲ申/k2-53l

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ニツケテ憚アレトモ申サテモ又イカカト思テトイヒテ物ハツカシケ
ナル気色ナリ此入道ハ妻ニヲクレテ三年ニナリケルカ此地蔵
ニ参テ仏ノ御計ヒニマカセテ契ヲムスハントテ妻モセサリケリ地
蔵堂ヘ参ル道ニテカカル事アリケレハ子細ニモヲヨハスヤカテ馬
ニウチノセテ帰ヌ田舎ニ所領ナントモチテマツシカラヌ武士入
道也ケリサテ此法師ハタテサマニハシリヨコサマニハシリハキ物カ
タカタハキテアセヲナカシ息ヲキリテハシリメクレトモナシカハユキア
フヘキ夜モアケヌレハアマネク人ニ問ニサル人ハシカシカノ所ヘコソ
ヲハシツレトイヒケレハ心ノアラレヌママニ其家ノ門ニユキテ地蔵
ノ示現ニハアラス法師カ示現ヲオコカマシクトノノシリケレトモ
コハ何事ソ物狂カトイフ人コソアレトモモチヰル人ナシ心濁レルハ
益ナシ信心フカクシテ仏ノ御詞ト仰キケレハ此女房ハ思ノ如ク/k2-54r
ノソム所カナヒテケリ大聖ノ方便目出クコソ覚ヘ侍レ鞍馬ノ
老僧モソラ示現ノ故ニ互ニ房モ皆フミヤフラレ候ケル事思ア
ハセラル常ノ物語ナレハ是ラハカカス
一 駿河国冨士河ノ上ニ殺生ヲ業トセル男有人ノススメ
ニヨリテ小地蔵ヲ一体華香時々マイラセテ家ニアカメ奉リケ
リ或時夢ニ鬼ニトラレテユキケルヲ此地蔵コヒ給ケルニ鬼コレ
ハ殺生ノ業ニヨリテ地獄ヘユクヘキ者也ト申ニ地蔵是ヨリ後
ハトトムヘキヨシヲオシフヘシマケテユルセトテ具シテ帰給ト見テ一
両月カ程ハ殺生トメタリケルカ又本ノ如クシケリイササカ煩フ
事有テ絶入シヌ今度ハ牛頭馬頭シハリテ追立テユクニ地蔵
来テコヒ給ニ先ニ約束申タカヘテ侍レハカナヒ候マシト申ヲヤ
ウヤウニ仰ラレテ今度計理ヲマケテタスケヨ自今以後ハタスク/k2-54l
マシト仰ラレテコヒ取テ能々イマシメ給ニ今ハフツト殺生トムヘ
キヨシ申テ穌リヌ其後一年計トトメタリケルカ又殺生シケル
程ニ重キ病ニ責伏ラレテ息絶ヌ獄率アマタシハリテ追立テユ
クニ今度ハ地蔵モ見ヘ給ハスアラカナシタヒタヒ約束タカヘテ地
蔵ニモステラレ奉ヌト思テ一心ニ念シ奉ルニ地蔵ノ影ノ如ク
ニテソハヲトヲリ給ヲ御衣ノスソニ取ツキテ引トトメントス地蔵
ハヒキハナチテニケントシ給獄率イカニカカル悪人ヲハヨコサマニ
スクヒ給ソタヒタヒ誑言申テ候者ヲト申ニ我ハタスケスカレカト
リツケルナリト仰ラルル時一人ノ獄率矢ヲ以セナカヨリマヘヘ
イトヲシヌ又一人ホコヲモテムネヲツキツラヌキテ土ニツキトヲシ
テ獄率サリヌト思テ穌生シテ後胸ニ傷有テカサトナリ遥ニナヤミ
テ後出家シテ当時後世菩提ノ勤メ懇ニシツ地蔵ヲ恭敬供/k2-55r
養シ奉ト云リ弘安年中ノ事也
一 和州ノ生駒ニ論識房トイフ僧有ケリ説経ナントシケル
カ信施ウケテモヨシナシト思テ持斎ニナリ小田ツクラセテ時䉼
トシテ庵室ヲカマヘテ隠居シ法華経読テ後世ノ行ト思アテケ
リ他界ノ後讃岐房ト云弟子ニ庵室ヲハ譲テケリ彼弟子イ
ササカ煩フ事有テ息タエヌ一日一夜有テ穌リ語リテケルハ炎
魔王宮ヘ参テ報命ヲカンカヘラレツルニ報命イマタツキストテウ
チステラル何方ヘユクヘシトモ東西モ覚ス去程ニ師匠論識
房法華経一巻手ニニキリテ出来アレハイカニト問ニカカル次
第ニテ御ユルサレハ候ヘ共何方ヘユクヘシトモ方角モ覚ヘスト
云フイサ御房法師カ栖カモ見ヨトテ具シテユク小キ庵室ニ釈迦
ノ像カケ奉リ文机ニ法華経一部置タリ我悪キ意楽ニ住シテ/k2-55l

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召人ニ成レリ仏弟子ノ習ナレハ法ヲ説テ人ニモキカセ聞法ノ
縁ヲムスハシムヘカリケリ田ツクルトテモ仏子ノ儀ニアラス其モ
過ナリトテメサル我カ如ノ召人ハオホクアルナリサレトモ別ノ苦
患ハ無ト云サテ此身ハイカニ成候ヘキニヤトイヘハ暫待地
蔵菩薩ノオハシマサンスルニ歎申テ見ヨト云暫ク有テ錫杖ノ
声シテ地蔵菩薩トヲリ給ニ走ツキ奉リテ御タスケ候ヘ報命ツ
キストテユルサレテ候ヘ共イカニナルヘシトモ覚ヘ候ハスト申セハ
イサイサトテ炎魔王ノ御前ヘ具シテ御坐シテ誠ニ此法師ハ御ユ
ルサレ有ニヤト仰ラルレハサル事候ユルシテ侍ト申給ケレハサラハ
イサトテ野中ヲハルハルト具シテ御坐ス野ノ中ニ餓鬼共イクラト
イフ数モシラス有ケリ其形絵ニカケルニタカハス其中ニ或餓鬼
申ケルハアノ讃岐房ハ我子ナリアレヤシナフトテ多クノ罪ヲ作/k2-56r
テ此報ヲウケテ飢渇ニセメラレテ術ナク候アレ給リテ食候ハン
ト申ケレハヒカ事也是ハ汝カ子ニ少モタカハヌ別ノ者ナリト仰
ラルルニ慥ニ我子ニテ侍リ所モ父モシカシカトアキラカニ申ケレ
共ソソロ事ソカレニ似タル別ノ者也イサイサトテヤカテ具シテオハス
哀々ト餓鬼申ケレトモ用ヰ給ハテ遥ニユキスキテケニカレハ
汝カ母ナリ汝ヲヤシナヒシ故ニ彼報ヲ得タリ然トモ汝ヲ食タリ
トテモ其苦ノタスカル事モ久シカルマシ又汝人間ニ生シテ思出
モナウシテ命ヲウシナハン事モ不便ナレハ我空事ヲモテ汝ヲタス
ケツル也穴賢々々母ノ孝養能々シテ彼苦患ヲタスケヲノレ
カ後生菩提ノ為ニ勤ヲコナウヘシ我ハ暇ナキ身ナレハユクソ是
ヨリハ道ハオホヘンスラントテウチステテイソカハシケニテオハシツル
ト思テヨミカヘリヌトカタル彼師弟共ニ見タル上人ノ物語ナリ/k2-56l

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近事也
一 或遁世門ノ僧随分ニ後世ノ心有テ念仏ノ行者ナル
有時䉼ノ為ニ耕作ナントセサスル事サスカヨシナク罪深ク思ケ
ル夜ノ夢ニ有山ノ辺ニ火車アリ是ヲ師子ニカク獄率是ヲヤ
ル火焔オヒタタシ見ルニオソロシナント云計ナシ獄率カ云様是
ハカタキノ有ヲセムヘキ也トイフ何トモ返答ニモヲヨハス恐入テ
スク其山ノ峰ニ若キ僧三人タチテ云ク獄率カイヒツル事ハ御
房ハキキツルカトノ給承リ候ツト答フアレハ耕作シテ多クノ虫ヲ
コロス者ノカタキトシテイマシムヘキ者也
  極楽ヘマイラン事ヲヨロコハテナニナケクラン穢土ノ思ヒヲ
カク三返計詠シ給フト見テ夢サメヌサテ耕作ノ事ユメユメ思ト
マリタルヨシマノアタリ語侍キ地蔵ノ御方便ニヤ忝コソ覚侍レ/k2-57r
一 鎌倉ニ或武士二人知音也ケルカ地蔵ヲ信シテ倶ニア
カメ供養シケリ一人ハ世間貧シカリケレハフルキ地蔵ノ相好
モトトノヲラヌヲ花香奉テアカメケル一人ハ世間ユタカナリケレ
ハイミシク造立シテ厨子ナント美麗ニシタテテアカメ供養シケリ
此人サキタチテ世ヲハヤクシケル時マツシキ知音ニ地蔵ヲ信ス
ル人ナレハトテ本尊ヲ譲ケリ悦ヒテ今ノ本尊ヲアカメ供養シテ
年コロノフル地蔵ヲハカタハラニウチヲキテ供養モセサリケリ或
時夢ニ此地蔵物ウラミタル気色ニテ
  世ヲスクフ心ハ我モ有モノヲカリノスカタハサモアラハアレ
カクウチナカメ給ト見テオトロキサハキテ一ツ厨子ニ安置シテ同ク
供養ヲノヘケルトソ
一 常州築波山ノ麓ニ老入道有手ツカラ地蔵ヲオカシケ/k2-57l

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ニキサミテアカメ供養シケリ家中ノ男女ヨロツノ事此地蔵ニ
申ケル随分ノ利益面々ニムナシカラスナン有ケリ其家ニオサナ
キ者有ケリアヤマチニ井ニオチ入テ死ニケリ母泣悲ミテヨロツ
ノネカヒモミテ給ニ地蔵ノ我子ヲコロシ給タル口惜サヨトテ理
モナク歎ケル夜ノ夢ニ此地蔵井ノハタニタチテ我ヲウラムル事
ナカレ力ヲヨハヌ定業ナリ後世ハタスケンスルソトテ井ノ底ヨリ
此ヲサナキ者ヲオフテ出給ト見テ歎モ少ヤミニケリ古徳ノ口
伝ニ云仏ノ真身ハ無相無念ナリ大悲本誓善根ノ力ニヨ
リテ種々ノ形ヲ現シ給形像モ応身ノ一也然ニ行者ノ信
心智慧ノ分ニ随テ木石ノ思ヲナセハ仏体モ只木石ノ分ナリ
木石ヲモ仏ノ想ヲナセハ仏ノ利益有恭敬ノ心モ信仰ノ思モ
誠ニ深クマメヤカニ懇ナレハ生身ノ利益ニ少モタカフヘカラスヲ/k2-58r
ロカナル心ニテ軽慢ノ振舞ナレハ利益ノ用アラハレカタシ人ヲハ
ウヤマヘトモ仏ノ御前ニハハチス恐スノミ世間ニハフルマフ争カ
仏徳ヲモカフリ利益ニモアツカルヘキ返々モヲロカナル人ノ習也

沙石集巻第二上終/k2-58l

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1)
憲静
2)
現在の鎌倉市二階堂
3)
「なきぞ」は底本「テキソ」。諸本により訂正
4)
「尊び」は底本「縦」。縦の読み「たとひ」による誤りとみて訂正。
5)
大智度論
6)
提婆達多
7)
笠置寺
8)
「牛に」は底本「互ニ」。諸本により訂正。
9)
『雑談集』5「信智之徳事」など
10)
閻魔王宮
11)
獅子
text/shaseki/ko_shaseki02a-06.txt · 最終更新: 2018/08/04 23:18 by Satoshi Nakagawa
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