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text:shaseki:ko_shaseki01a-03 [2018/07/04 16:37] – [翻刻] Satoshi Nakagawatext:shaseki:ko_shaseki01a-03 [2018/07/04 16:38] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 天台の心ならば、性具(しやうぐ)の三千十界の依正(えしやう)、みな法身所具の万徳なれば、性徳の十界を修徳にあらはして、普現色身の力をもて、九界の迷情を度す。また密教の心ならば、四重曼荼羅は法身所具の十界なり。内証自性会の本質をうつして、外用大悲の利益をたる。顕密の意によりて、はかり知りぬ。法身地より十界の身を現じて、衆生を利益す。 天台の心ならば、性具(しやうぐ)の三千十界の依正(えしやう)、みな法身所具の万徳なれば、性徳の十界を修徳にあらはして、普現色身の力をもて、九界の迷情を度す。また密教の心ならば、四重曼荼羅は法身所具の十界なり。内証自性会の本質をうつして、外用大悲の利益をたる。顕密の意によりて、はかり知りぬ。法身地より十界の身を現じて、衆生を利益す。
  
-妙体の上の妙用なれば、水を離れぬ波のごとし。真如をはなれたる縁起なし((「縁起なし」は底本「縁(ヱン)ナ起(ヲコラ)」。諸本により訂正))。宝蔵論いはく、『海の千波を湧かす、千波、すなはち海水なり」と。しかれば、西天上代の機には、仏菩薩の形を現じて、これを度す。わが国は、粟散辺地なり。剛強の衆生、因果を知らず。仏法を信ぜぬたぐひには、同体無縁の慈悲によりて、等流法身(ほうしん)の応用を垂れ、悪鬼・邪神の形を現じ、毒蛇・猛獣の身を示し、暴悪のやからを調伏して、仏法に入れ給ふ。+妙体の上の妙用なれば、水を離れぬ波のごとし。真如をはなれたる縁起なし((「縁起なし」は底本「縁(ヱン)ナ起(ヲコラ)」。諸本により訂正))。宝蔵論いはく、『海の千波を湧かす、千波、すなはち海水なり」と。しかれば、西天上代の機には、仏菩薩の形を現じて、これを度す。わが国は、粟散辺地なり。剛強の衆生、因果を知らず。仏法を信ぜぬたぐひには、同体無縁の慈悲によりて、等流法身(ほうしん)の応用を垂れ、悪鬼・邪神の形を現じ、毒蛇・猛獣の身を示し、暴悪のやからを調伏して、仏法に入れ給ふ。
  
 されば、他国有縁の身をのみ重くして、本朝相応の形を軽(かろ)しむべからず。わが朝は、神国として、大権、迹(あと)を垂れ給ふ。また、われらみながら((諸本「我等みな彼の」))、孫裔なり。気を同じくする因縁浅からず。このほかの本尊を尋ねば、かへりて感応隔たりぬべし。 されば、他国有縁の身をのみ重くして、本朝相応の形を軽(かろ)しむべからず。わが朝は、神国として、大権、迹(あと)を垂れ給ふ。また、われらみながら((諸本「我等みな彼の」))、孫裔なり。気を同じくする因縁浅からず。このほかの本尊を尋ねば、かへりて感応隔たりぬべし。
text/shaseki/ko_shaseki01a-03.txt · 最終更新: 2018/07/04 16:38 by Satoshi Nakagawa