ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:shaseki:ko_shaseki01a-01

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

最新のリビジョン両方とも次のリビジョン
text:shaseki:ko_shaseki01a-01 [2018/06/30 14:49] – 作成 Satoshi Nakagawatext:shaseki:ko_shaseki01a-01 [2018/06/30 14:49] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
行 28: 行 28:
 漢朝には仏法を弘めんために、儒童((釈迦))・迦葉・定光((錠光とも。燃燈仏。))の三人の菩薩、孔子・老子・顔回とて、まづ外典をもて人の心を和(やは)らげて、後に仏法流布せしかば、人、みなこれを信じき。 漢朝には仏法を弘めんために、儒童((釈迦))・迦葉・定光((錠光とも。燃燈仏。))の三人の菩薩、孔子・老子・顔回とて、まづ外典をもて人の心を和(やは)らげて、後に仏法流布せしかば、人、みなこれを信じき。
  
-わが朝には、和光の神明、まづ迹を垂れて、人の荒き心を和らげて、仏法を信ずる方便とし給へり。本地の深き利益を仰ぎ、和光の近き方便を信ぜば、現生には息災安穏の望みをとげ、当世には無為常住の悟りを開くべし。わが国に生を受けん人、この意をわきまふべきをや+わが朝には、和光の神明、まづ迹を垂れて、人の荒き心を和らげて、仏法を信ずる方便とし給へり。本地の深き利益を仰ぎ、和光の近き方便を信ぜば、現生には息災安穏の望みをとげ、当世には無為常住の悟りを開くべし。わが国に生を受けん人、この意をわきまふべきをや
  
 ===== 翻刻 ===== ===== 翻刻 =====
text/shaseki/ko_shaseki01a-01.txt · 最終更新: 2018/06/30 14:51 by Satoshi Nakagawa