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text:sesuisho:n_sesuisho5-043f [2022/04/29 21:52] – 作成 Satoshi Nakagawatext:sesuisho:n_sesuisho5-043f [2022/05/15 12:46] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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-僧云はく、「汝愚なり。文の如く義を取り、三世諸仏を怨トク。夫人、飲酒せずんば、厨官が命忽滅びん((「滅」は底本「減(减)」。諸本により訂正。))。飲みたるを以て助けたり。見よ、悪全くして善にして、破りたるが持ちたるなり。毘婆沙論(びばしやろん)を以てすれば、一の鄔波索迦(うばさか)((優婆塞に同じ。「鄔」は底本「𨹅(ただし、へんとつくりが逆)」。))有り。禀性仁賢にして、五戒を受持し、専精不犯。後一時、渇の逼むる所と為る。一器の中に酒有るを見る。水の如し。遂に取りてこれを飲み、飲酒戒を犯す。時に隣に鶏有り。その舎に入りて盗み、殺して噉(くら)ひ、また邪行戒を犯す。官に告て訊問するに、諱(いみな)を拒む。また誑語戒を犯す。是の如く、五戒皆酒によつて犯せり。一波起る処、万波随ひ来たるかな。酒戒破りて四戒((「四戒」は底本「回戒」。諸本により訂正。))同じく滅す。思ふべし。十地論((十地経論))に、『瞻葡華雖萎、勝余諸花。故破戒諸比丘、猶勝外道。(瞻葡華は萎むといへども、余の諸花に勝る。故に、破戒の諸比丘、なほ外道に勝る。)』と有り。彼の持戒の者、すでに過(あやま)ちに落つ。いはんや、一生無戒にして、酒愛の外、観解一毫も無き者に於てをや」。+僧云はく、「汝愚なり。文の如く義を取り、三世諸仏を怨。夫人、飲酒せずんば、厨官が命忽滅びん((「滅」は底本「減(减)」。諸本により訂正。))。飲みたるを以て助けたり。見よ、悪全くして善にして、破りたるが持ちたるなり。毘婆沙論(びばしやろん)を以てすれば、一の鄔波索迦(うばさか)((優婆塞に同じ。「鄔」は底本「𨹅(ただし、へんとつくりが逆)」。))有り。禀性仁賢にして、五戒を受持し、専精不犯。後一時、渇の逼むる所と為る。一器の中に酒有るを見る。水の如し。遂に取りてこれを飲み、飲酒戒を犯す。時に隣に鶏有り。その舎に入りて盗み、殺して噉(くら)ひ、また邪行戒を犯す。官に告て訊問するに、諱(いみな)を拒む。また誑語戒を犯す。是の如く、五戒皆酒によつて犯せり。一波起る処、万波随ひ来たるかな。酒戒破りて四戒((「四戒」は底本「回戒」。諸本により訂正。))同じく滅す。思ふべし。十地論((十地経論))に、『瞻葡華雖萎、勝余諸花。故破戒諸比丘、猶勝外道。(瞻葡華は萎むといへども、余の諸花に勝る。故に、破戒の諸比丘、なほ外道に勝る。)』と有り。彼の持戒の者、すでに過(あやま)ちに落つ。いはんや、一生無戒にして、酒愛の外、観解一毫も無き者に於てをや」。
  
 俗云はく、「某(それがし)若き時、耳を側(そばだ)て心を傾けて聞くこと有り。未曾有経に云はく、祇陀太子、仏に白して((「白」は底本「自」。諸本により訂正。))言はく、『向(さき)に五戒を受く。酒戒持し難し。畏(かしこ)ければ罪を得んことを脱(のが)れんや。今、戒を捨て十善法を受んと欲す』。仏言はく、『飲酒の時、何の悪有るや』。答へて曰はく、『国中の豪族、時々相率て、酒食を賫持(らいじ)し、共に相娯楽するといへども、自余は悪無し。酒を得んに戒を念(おも)ふ。悪を行はざるなり』。仏言はく、『もし汝、終身飲酒するに何ぞ悪有んや』と。五戒の中戒に飲酒を許したまへば、太平楽の飲物なり。また、『酒中那有失。酔則不驚鴎。(酒中なんぞ失有らんや。酔へばすなはち鴎驚かさず。)』と東坡((蘇軾))も云へり。然れば、真俗共に過(とが)無し。 俗云はく、「某(それがし)若き時、耳を側(そばだ)て心を傾けて聞くこと有り。未曾有経に云はく、祇陀太子、仏に白して((「白」は底本「自」。諸本により訂正。))言はく、『向(さき)に五戒を受く。酒戒持し難し。畏(かしこ)ければ罪を得んことを脱(のが)れんや。今、戒を捨て十善法を受んと欲す』。仏言はく、『飲酒の時、何の悪有るや』。答へて曰はく、『国中の豪族、時々相率て、酒食を賫持(らいじ)し、共に相娯楽するといへども、自余は悪無し。酒を得んに戒を念(おも)ふ。悪を行はざるなり』。仏言はく、『もし汝、終身飲酒するに何ぞ悪有んや』と。五戒の中戒に飲酒を許したまへば、太平楽の飲物なり。また、『酒中那有失。酔則不驚鴎。(酒中なんぞ失有らんや。酔へばすなはち鴎驚かさず。)』と東坡((蘇軾))も云へり。然れば、真俗共に過(とが)無し。
text/sesuisho/n_sesuisho5-043f.txt · 最終更新: 2022/05/15 12:46 by Satoshi Nakagawa