text:senjusho:m_senjusho09-07
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text:senjusho:m_senjusho09-07 [2016/10/20 13:06] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:senjusho:m_senjusho09-07 [2016/10/20 13:13] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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されば、今、心をかけて思ひをつくす女の色も、知らず、過ぎし世の父母にてや侍らん。しかあらば、びんなかるべし。また、草むら中にぞ入りて、人に恐ぢられし蛇にもや侍らん。また、口に食ふところの鱗(いろくづ)、世々の恩愛といふことをわきまへず。 | されば、今、心をかけて思ひをつくす女の色も、知らず、過ぎし世の父母にてや侍らん。しかあらば、びんなかるべし。また、草むら中にぞ入りて、人に恐ぢられし蛇にもや侍らん。また、口に食ふところの鱗(いろくづ)、世々の恩愛といふことをわきまへず。 | ||
- | しかあれば、仏は生きとし生けるたぐひを、等しくあはれみ給ふ。「誰ももて離れじ」とは思ひ侍れども、思ひかけぬに、草むらより蛇の出で侍れば、心さはぎて逃げまどふことの悲しさよ。 | + | しかあれば、仏は生きとし生けるたぐひを、等しくあはれみ給ふ。「誰ももて離れじ」とは思ひ侍れども、思ひかけぬに、草むらより蛇の出で侍れば、心さはぎて逃げまどふことの悲しさよ。「今より後は、たとひ頭(かしら)にかかり((「かかり」は底本「かかる」。諸本により訂正。))侍りとも、さはぐ心は侍らじ」と思ひさだめて侍り。いはんや、また、是三無差別の理をわきまへんには、なとか、仮にもそばむべきな。 |
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- | 「今より後は、たとひ頭(かしら)にかかり((「かかり」は底本「かかる」。諸本により訂正。))侍りとも、さはぐ心は侍らじ」と思ひさだめて侍り。いはんや、また、是三無差別の理をわきまへんには、なとか、仮にもそはむべきな。 | + | |
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