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text:senjusho:m_senjusho07-07

撰集抄

巻7第7話(67) 無相坊事

校訂本文

近き世に、下野国利根川のほとりに、いづくの者とも知らず、形(かた)のごとくの庵(いほり)結びて、明かし暮せる僧一人侍り。よろづ無相にて、つゆばかりもけがれる心なく、行く末なく、心ざま柔和にて、腹を立つるわざ、いまだ見えざれは、里の人もあはれみ貴がりて、人は「無相房」とぞ、名に付けて呼びあひけり。

かくて、二年(ふたとせ)ばかり経て、五月のころ、利根川おびただしく出でて、思ひもかけぬ家の具足ども多く流れ失せ、命を失なふ輩、かぞへ尽すべくもなし。この里の人々、「さても、この無相房は一定流れ失せぬらん。あはれ、ゆゆしかりし道心者にてありし人を」など、おのおの忍びあひたれども、そのかひ侍るまじきことなれば、誰々も音(ね)をのみ泣きてありけるに、年ごろ、ことに檀那と頼みたりし男、あたりのありさまのおぼつかなさに、「跡をなりとも見ん」とて、人々三人とりくみて、泳ぎ渡りて見れば、庵はみな流れて、この僧、水の上に座して、目をひさぎて居たり。不思議といふもおろかに侍り。

急ぎ泳ぎ寄りて、「いざさせ給へ」と言ひければ、はるかにものものたまはず。やや待たせて、「今しばらくありて、手づから参らん。おのおの、あやまちもぞしたまふ。急ぎ帰り給ひね」とておはするを、なほあるまじく袖を引きて行かんとすれども、つゆはたらき給はず。水の 上に居給ひたれども、着給へるもの、いささかも濡れざりけり。

とかく言へども、聞き入れ給はねば、この男三人は、「くたびれもぞする」とて、つひにむなしく帰りにけり。

その後、はるかに日たけて後ぞ、着き給へりける。人々、「かかる仏にておはしけるものを」とて拝みければ、「なじかは」とのたまひてけれども、人々、聞き伝へて、走り集りて拝みければ、ある夜の夜半ばかりに失せ給ひにけりとなん。

里の者、歎き悲しみて、たづね求むれども、さらに見え給はずとぞ。あまりに1)恋慕して、年ごろ見なれ奉る仏師を呼びて、その姿を作りて、かの庵の跡に、もとのやうなる庵を建てて、「失せ給ひし日なれば」とて、十八日ごとに、一里の人々寄り集りて、「南無無相房、南無無相房」といふ御名を唱へて、縁を結びけるとぞ。

このこと、げにただごととも思えず。「観音などの化して、衆生を救ひ給ひけるやらん」とこそ思え侍れ。失せ給へる日、十八日に侍れば、『悲花経』の中に、「八月十八日を観音の日とせんと誓ひ給ひける」と説かれたるに相当(あひあた)りて、殊にいみじく思ゆる。大水の行きたりける日は八日とやらん。

なにともあれ、その里の人は、往生頼もしくぞ侍るめる。同じ水に流れ死にけむ人々までも、むつましく侍り。かの御影は、まのあたり拝み奉りき。

翻刻

近世に下野国とね川のほとりにいつくの者とも
しらすかたのことくの庵り結てあかし暮せる僧
一人侍りよろつ無相にて露はかりもけかれる心
なく行末なく心さま柔和にて腹を立るわさい
またみえされは里の人も哀みたうとかりて/k208r
人は無相房とそ名に付てよひあひけりかくて
二とせはかり経て五月の比とね河おひたたしく
出て思もかけぬ家の具足ともおほくなかれ
うせ命をうしなふ輩かそへつくすへくもなし
此里の人々さても此無相房は一定なかれうせ
ぬらんあはれゆゆしかりし道心者にて有し人
をなとおのおの忍ひあひたれとも其甲斐侍
るましき事なれは誰々もねをのみなき
てありけるに年来ことに檀那とたのみた
りし男あたりのありさまのおほつかなさに跡を/k208l
なりともみんとて人々三人とりくみておよき
渡て見れは庵はみな流て此僧水の上に坐して
目をひさきてゐたりふしきと云もおろかに侍り
いそきおよきよりていささせ給へといひけれは
遥に物もの給はすややまたせて今且くありて
手つからまい覧各あやまちもそし給ふいそき
帰り給ねとておはするを猶あるましく袖を引
てゆかんとすれとも露はたらき給はす水の
上にゐ給ひたれともき給へるものいささかもぬれ
さりけりとかくいへとも聞入給はねは此男三人は/k209r
くたひれもそするとてつゐにむなしく帰りにけり
其後はるかに日たけて後そつき給へりける人々
かかる仏にておはしける物をとておかみけれはな
しかはとの給ひてけれとも人々聞伝て走集て
おかみけれは或夜の夜半はかりにうせ給に
けりとなん里のもの歎悲て尋求れ共更にみえ
給はすとそあたりに恋慕して年来見なれ
奉る仏師をよひて其姿をつくりて彼庵の
跡に本の様なる庵を立てうせ給ひし日なれ
はとて十八日ことに一里の人々寄集て南無無相/k209l
房南無無相房と云御名を唱て縁を結ける
とそ此事けにたたことともおほえす観音なと
の化して衆生をすくひ給ひけるやらんとこそ覚
侍れ失給へる日十八日に侍れは悲花経の中に
八月十八日を観音の日とせんと誓給ひけると
説れたるに相当て殊にいみしく覚ゆる大水の
ゆきたりける日は八日とやらんなにともあれそ
の里の人は往生たのもしくそ侍るめる同水
になかれ死にけむ人々まてもむつましく侍り
彼御影はまのあたりおかみ奉りき/k210r
1)
「あまりに」は底本「あたりに」。諸本により訂正。
text/senjusho/m_senjusho07-07.txt · 最終更新: 2016/08/15 14:37 by Satoshi Nakagawa