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撰集抄

巻7第5話(65) ※前話のつづき

校訂本文

延喜1)の御代の末つかたのころ、この仲算大徳、同朋あまたいざなひて、東(ひがし)のかたへ修行し給ひけるに、天下日照り、すべて絶えせぬ清水(しみづ)なとも、みな干乾(ひかわ)きて、飢ゑ疲るる者多く侍り。

しかは2)あれども、仏菩薩の御助けや侍りけむ、近江国に、ある山中に清水のありけるを、はるかの所より集り汲みけるなり。ある女の、水をいただきて行きけるを、仲算大徳、「疲れ侍り。ちとのど潤へむ」とあるに、この女いふやう、「貴けなる聖の、水をも涌かし出だして飲み給へかし。われわれがはるばるの所より、からうじて汲みたるものを、乞ひ給ふべき理(ことわり)なし」と、答へければ、この大徳、「さらなり。さらば水を涌かして飲みなん」とて、山の岸に走り寄りて、剣を抜きて、山のはなを切り給ひたりければ、冷(すず)しく清き水の、滝のごとくにて、流れ出で侍りけり。「さめがへ3)の清水」といふはこれなり。

さて、その里の者ども、目もめづらかに思えて、あさみののしるわざ、こともなのめならず。そののちはいかなる日照りにも絶えずぞ侍りける。

さて、その四五日経て、浄蔵貴所の過ぎられけるが、この清水のこと聞き給ひて、「われも、さらば結縁せん」とて、またそばを切られたりければ、先のよりは少なけれども、清水流れ涌きけり。「こさめかへ4)」といふはこれに侍る。

あはれ、めでたくいまそかりける人々かな。ただし、この仲算大徳、蓑尾にて千手観音とあらはれて、滝につたひてのぼり給ひしのちは、またも見え給はずと、伝には注(しる)せり。されば、久遠正覚の如来にていまそかりければ、かやうの不思議もあらはし給ふわざ、必ずしも驚きさはぐべきにしも侍らず。

浄蔵は善宰相5)のまさしき八男ぞかし。それに、八坂の塔のゆがめるを6)祈り直し、父の宰相の、この土の縁尽きて去り給ひしに、一条の橋のもとに行き合ひて、しばらく観法して、蘇生し奉られけり。伝へ聞くもありがたくこそ侍れ。

さて、その一条の橋をば、「戻橋」といへるとは、宰相の蘇り給へるゆゑに名付けて侍り。「『源氏』の宇治の巻に、『行くは帰る橋なり』と申したるはこれなり」とぞ、行信は申されしか。「宇治の橋」といふは、あやまれることにや侍らん。

翻刻

をあらはす事不思義にしも侍らしかし延喜の御/k204l
代の末つかたの比この仲筭大徳同朋あまたいさな
ひてひかしのかたへ修行し給ひけるに天下日て
りすへてたえせぬし水なとも皆ひかはきてう
へつかるる者おほく侍りあれとも仏菩薩の御助や
侍りけむ近江国にある山中に清水の有けるを
遥の所よりあつまり汲ける也或女の水をいた
たきて行けるを仲筭大徳つかれ侍りちとのと
うるゑむとあるに此女云様貴けなる聖の水を
もわかし出してのみ給へかし我々かはるはるの所より
からうして汲たる物を乞給ふへき理なしと/k205r
答へけれは此大徳さらなりさらは水をわかしてのみ
なんとて山の岸に走寄て釼を抜て山のはなを
切給ひたりけれは冷しく清き水の滝のことく
にて流いて侍りけりさめかへのし水と云は是なり
さて其里の者とも目もめつらかに覚てあさみのの
しるわさ事もなのめならす其後はいかなる日照に
もたえすそ侍りけるさて其四五日へて浄蔵貴
所の過られけるか此清水の事聞給ひてわれ
もさらは結縁せんとて又そはを切られたりけれは
先のよりは少なけれとも清水なかれ涌けりこさ/k205l
めかへと云は是に侍るあはれ目出いまそかりける人々
哉但此仲筭大徳䒾尾にて千手観音と顕て滝
につたひてのほり給ひしのちは又もみえ給はすと
伝には注せりされは久遠正覚の如来にていまそ
かりけれはかやうの不思義も現し給ふわさ必し
も驚さはくへきにしも侍らす浄蔵は善宰
相の正き八男そかし其に八坂の塔のゆるめかを
祈直し父の宰相の此土の縁つきて去給ひしに
一条の橋のもとに行合て且く観法して蘇生し
奉られけり伝へ聞も有かたくこそ侍れさて/k206r
其一条の橋をはもとり橋といへるとは宰相のよ
みかへり給へる故に名付て侍り源氏の宇治の
巻に行はかへるはしなりと申たるは是也とそ行
信は申されしか宇治の橋といふはあやまれ
る事にや侍らん/k206l
1)
醍醐天皇
2)
「しかは」底本なし。諸本により補う。
3)
醒井か
4)
小醒井か。
5)
三善清行
6)
「ゆがめるを」は底本「ゆるめかを」。諸本により訂正
text/senjusho/m_senjusho07-05.txt · 最終更新: 2016/08/13 17:53 by Satoshi Nakagawa
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