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text:senjusho:m_senjusho05-05 [2016/06/19 13:28] – 作成 Satoshi Nakagawatext:senjusho:m_senjusho05-05 [2016/06/19 13:33] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 中ごろ、駿河国、いづくの者とゆくへも知らぬ僧の、つたなげなる侍り。富士の山の奥、けしかる庵を結びて、休み臥し所(ど)とはし侍りけるなめり。食ひ物は魚・鳥をも嫌はず、着物は薦・藁をいはず身にまとひて、そこはかとなきそぞろごとうち言ひて、ものぐるひのごとし。しかはあれど、さすがなる心も侍り。思ひかけぬ優(いう)なることなん、言ふ時も侍りける。 中ごろ、駿河国、いづくの者とゆくへも知らぬ僧の、つたなげなる侍り。富士の山の奥、けしかる庵を結びて、休み臥し所(ど)とはし侍りけるなめり。食ひ物は魚・鳥をも嫌はず、着物は薦・藁をいはず身にまとひて、そこはかとなきそぞろごとうち言ひて、ものぐるひのごとし。しかはあれど、さすがなる心も侍り。思ひかけぬ優(いう)なることなん、言ふ時も侍りける。
  
-ある時、覚尊聖、なすべきこと侍りて、東路(あづまぢ)に思ひ立ちて、鳴海潟を過ぎ侍りけるに、この僧、寄りてものを乞ひけるを、「いかさまにも、うちやりの乞食にしもは見えず」とて、居給へる対座に呼びすゑければ、つゆばかりだに、はばかる気色なく、座につき侍りぬ。この聖の供の者も、その里の族(やから)も、「めづらかなるわざかな」と思へる。+ある時、覚尊聖、なすべきこと侍りて、東路(あづまぢ)に思ひ立ちて、鳴海潟を過ぎ侍りけるに、この僧、寄りてを乞ひけるを、「いかさまにも、うちやりの乞食にしもは見えず」とて、居給へる対座に呼びすゑければ、つゆばかりだに、はばかる気色なく、座につき侍りぬ。この聖の供の者も、その里の族(やから)も、「めづらかなるわざかな」と思へる。
  
 やや物語聞こえて後、「さても、まことの法文、一言承はらん」と聞こえけるに、この乞食僧、うち笑ひて、かく、 やや物語聞こえて後、「さても、まことの法文、一言承はらん」と聞こえけるに、この乞食僧、うち笑ひて、かく、
text/senjusho/m_senjusho05-05.1466310481.txt.gz · 最終更新: 2016/06/19 13:28 by Satoshi Nakagawa