ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:senjusho:m_senjusho04-05

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

次のリビジョン
前のリビジョン
text:senjusho:m_senjusho04-05 [2016/06/07 18:47] – 作成 Satoshi Nakagawatext:senjusho:m_senjusho04-05 [2020/02/18 21:44] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
行 6: 行 6:
 昔、中納言顕基((源顕基))と申す人いまそかりける。後冷泉院((後冷泉天皇。ただし、後一条天皇正しい。))の御時、朝に仕へ給ひて、寵愛いやめづらかにして、多くの人を越えなんどして、二品(しな)の位にのぼり給へりけるが、つねは林下の戸ぼそを求めて、世をのがるる心深くなんおはしけるなんめり((底本「めり」なし。諸本により補入。))。しかあるを、心離るる縁の、いまだ尽きやり給はざりけるに、御門はかなくならせ給ひしかば、中納言、天台山((比叡山を指す。))に登りて、頭おろして、大原といふ所になん、行ひすましていまそかりける。 昔、中納言顕基((源顕基))と申す人いまそかりける。後冷泉院((後冷泉天皇。ただし、後一条天皇正しい。))の御時、朝に仕へ給ひて、寵愛いやめづらかにして、多くの人を越えなんどして、二品(しな)の位にのぼり給へりけるが、つねは林下の戸ぼそを求めて、世をのがるる心深くなんおはしけるなんめり((底本「めり」なし。諸本により補入。))。しかあるを、心離るる縁の、いまだ尽きやり給はざりけるに、御門はかなくならせ給ひしかば、中納言、天台山((比叡山を指す。))に登りて、頭おろして、大原といふ所になん、行ひすましていまそかりける。
  
-朝に仕へしそのかみより、ただ明け暮れは、「あはれ、罪無くして配所の月を見ばや」とて、涙を流し、「古墓、いづれの世の人ぞ。姓と名とを知らず。年々春の草のみしげし」と詠じて、けしからず涙を流しけるとかや+朝に仕へしそのかみより、ただ明け暮れは、「あはれ、罪無くして配所の月を見ばや」とて、涙を流し、「古墓、いづれの世の人ぞ。姓と名とを知らず。年々春の草のみしげし」と詠じて、けしからず涙を流しけるとかや
  
 めでたく行ひすまして、智行世に聞こえ給へりしかば、宇治の大殿((藤原頼通))、法縁あらまほしく思し召して、かの大原にみゆきして、中納言入道の庵(いほ)に一夜を明かさせ給ひて、御物語の侍りけるに、この世のことをばかけふれ聞き給はで、後生のことのみにて侍りけるなり。 めでたく行ひすまして、智行世に聞こえ給へりしかば、宇治の大殿((藤原頼通))、法縁あらまほしく思し召して、かの大原にみゆきして、中納言入道の庵(いほ)に一夜を明かさせ給ひて、御物語の侍りけるに、この世のことをばかけふれ聞き給はで、後生のことのみにて侍りけるなり。
行 20: 行 20:
 ただ、人は、いかにも好む所を求むべきなり。心は所によりて住むべきにや。かの印度((「印度」は底本「印虫」。諸本により訂正。))の竹林寺・波羅提寺、もしは、跋提河・尼蓮河などの澄めるさまを聞くには、かしこにそぞろに住みたく、唐土の江州終南山・廬山((「廬山」は底本「芦山」。諸本により訂正。))の恵遠寺などの、しづかなるさまを聞くに、「かしこに住む身と、などかならざりけん」とくちをしく思え侍り。大原・小野里・吉野の奥の住居(すまゐ)こそ、あらまほしく思えて侍れ。「罪無くして配所の月を見ばや」と願ひ給ひけん、げにげにあはれに侍り。元和十五年の昔、思ひ出だされて、心の中、そぞろに澄みても侍るかな。 ただ、人は、いかにも好む所を求むべきなり。心は所によりて住むべきにや。かの印度((「印度」は底本「印虫」。諸本により訂正。))の竹林寺・波羅提寺、もしは、跋提河・尼蓮河などの澄めるさまを聞くには、かしこにそぞろに住みたく、唐土の江州終南山・廬山((「廬山」は底本「芦山」。諸本により訂正。))の恵遠寺などの、しづかなるさまを聞くに、「かしこに住む身と、などかならざりけん」とくちをしく思え侍り。大原・小野里・吉野の奥の住居(すまゐ)こそ、あらまほしく思えて侍れ。「罪無くして配所の月を見ばや」と願ひ給ひけん、げにげにあはれに侍り。元和十五年の昔、思ひ出だされて、心の中、そぞろに澄みても侍るかな。
  
-古き世の墓、その姓名を知らず、年の移るごとに、春の草のみ生ひて、古き卒塔婆、霧朽ちて傾き立てるさま、思ひ入りて見侍れば、そぞろにあはれにも侍るかな。しばしは名をば埋まねども、それさへ末は、とぶらひきざみし卒塔婆も跡形なく、同じ上に焼け上り、同じ蕀(おどろ)が下に埋(うづ)み重ねて、焼けば煙とのぼり、埋めば土となるさまこそ、身にしみてあはれにも思ひ給ひけめと思はれて、今もまた、涙のいたく落ち侍る。大原の奥の糸すすき、露のよすがの秋来れば、さもこそ玉の緒をよはみ、末葉にすがり、ぶくらめと、思え侍り。+古き世の墓、その姓名を知らず、年の移るごとに、春の草のみ生ひて、古き卒塔婆、霧朽ちて傾き立てるさま、思ひ入りて見侍れば、そぞろにあはれにも侍るかな。しばしは名をば埋まねども、それさへ末は、とぶらひきざみし卒塔婆も跡形なく、同じ上に焼け上り、同じ蕀(おどろ)が下に埋(うづ)み重ねて、焼けば煙とのぼり、埋めば土となるさまこそ、身にしみてあはれにも思ひ給ひけめと思はれて、今もまた、涙のいたく落ち侍る。大原の奥の糸すすき、露のよすがの秋来れば、さもこそ玉の緒をよはみ、末葉にすがり、かたぶくらめと、思え侍り。
  
 ===== 翻刻 ===== ===== 翻刻 =====
text/senjusho/m_senjusho04-05.1465292828.txt.gz · 最終更新: 2016/06/07 18:47 by Satoshi Nakagawa