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撰集抄

巻3第7話(23) 瞻西上人施女衣

校訂本文

東の京、雲居寺といふ所に、瞻西(せんさい)聖人といふ人いまそかりけり。智行ともにそなはりて、ひとへにこの世をなん思ひ捨て、わくかたなく後世のいとなみのみにて侍りける。

ある時、京極の大殿1)の御所、粟田口になん住み給けるころ、冬なりけるなめり、けしかる女の出で来たり侍りて、「あまりに寒く侍り。いかばかりのものなりとも得給へ」と聞こえ侍れば、「さこそ、寒かるらめ」と、あはれに思して、着給へりける小袖をなん給びてけり。

さて、明くる日、またありし女来たりて言ふやう、「昨日の小袖は、はからざるに失ひて侍り。またたまはらん」と言ひやりて、また給びてけり。

「さて、あるべきか」と思すほどに、また次の日、筵(むしろ)ばかり身にまとひ、「着物得給へ」といふ時、この聖人、心得ず思して、のたまふやう、「二度は慈悲をもて汝に与へぬ。さのみは身の力なし。かなふまじ」とのたまふ時、此女気悪しくなりて、「汝はきはまりて心小さかりけり。心小さき人の施(せ)をば、われ受けず」と言ひて、二つの小袖を投げ返して、かき消すごとく失せ侍る。

聖人、「化人の来たりて、わが心をはかり給へりけるにこそ」とて、心のほどをみづから恥ぢしめて、悔ひ悲しみ給へりけるぞ、あはれにかたじけなく思えて侍る、

かやうのことなどは、世あがりて2)書きおく跡、多く侍れども、末の世には、ためしまれなるべし。されば、「いづれの仏菩薩来て、女の姿と見えて、心をはかり給ひけん」と、ゆかしく思えて侍り。ただし、かの聖人は、「文殊の化し給ひつるにや」とのたまはせければ、いかなる験(しるし)の侍りけるやらん。聖の心の、つゆばかりも穢れざりければこそ、澄める月の空ぐもりするあやまりも侍りけめと、かへすがへす、ゆかしく思えて侍るぞや。

げに悲しきわれらかな。心一つのしづまり入らで、引き結ぶ太山の草の庵に、跡とどめがたくて3)、ただ、はかなき嬰児の遊びのごとくして、むなしく月日過ぎ行きて、老いの波路にただよひ侍りて、渚(なぎさ)に寄すれば巌(いはほ)に砕かれて、おのれのみ生死の海に帰へることの心憂さよと。

さてまた、仏菩薩の御心に背きければ、詔(みことのり)をも聞かざるままに、いよいよ、暗きより暗きにまどひて、むねの月は心もかけざるうさは4)、さらに書き述ぶべくも侍らず。

翻刻

東の京雲居寺と云所に瞻西聖人と云人いまそ
かりけり智行共にそなはりて偏に此世をなん思捨て
わくかたなく後世のいとなみのみにて侍りける或時京極
の大殿の御所粟田口になん住給ける比冬なりけ
るなめりけしかる女の出来侍りてあまりに寒侍り
いかはかりの物なりとも得給へと聞侍れはさこそさむ
かるらめと哀におほしてき給へりける小袖をなん
給てけりさて明る日又ありし女来て云やう昨日の小
袖ははからさるに失て侍り又給はらんと云やりて又
給てけりさてあるへきかとおほす程に又次日筵はかり/k73l
身にまとひき物得給へと云時此聖人心得す思して
の給やう二とは慈悲をもて汝に与へぬさのみは身の力
なしかなふましと宣ふ時此女気あしく成て汝はきは
まりて心ちいさかりけり心ちいさき人のせをは我受す
と云て二の小袖をなけ返してかきけすことく失
侍る聖人化人の来りて我心をはかり給へりけるに
こそとて心の程を自はちしめて悔悲み給へりける
そ哀に忝覚て侍るかやうの事なとは世にあかりて
書をくあと多く侍れともすゑの世にはためしまれ
なるへしされはいつれの仏菩薩来て女の姿と見え/k74r
て心をはかり給ひけんとゆかしく覚て侍り但彼聖
人は文殊の化し給つるにやとの給はせけれはいかなる
しるしの侍りけるやらん聖の心の露はかりもけかれ
さりけれはこそすめる月の空くもりするあやまりも
侍りけめと返々ゆかしくおほえて侍るそやけに悲し
き我等哉心一のしつまり入て引結ふ太山の草の
庵にあととめかたして只はかなき嬰児の遊の如し
て空く月日過行て老の波路にたたよひ侍りて
なきさに寄すれは岩ほにくたかれてをのれのみ生
死海に帰る事の心憂さよとさて又仏菩薩の御心に/k74l
背けれは御ことのりをも聞さるままに弥々くらき
よりくらきにまとひてむねの月は心もかけさる
うきは更に書述へくも侍らす/k75r
1)
藤原師実
2)
底本「世にあがりて」。諸本により「に」を削除。
3)
底本「とどめがたして」。諸本により訂正。
4)
「憂さは」は、底本「うきは」。諸本により訂正。
text/senjusho/m_senjusho03-07.txt · 最終更新: 2016/05/29 21:51 by Satoshi Nakagawa
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