Recent changes RSS feed

撰集抄

巻2第3話(11) 依妻別発心(播州平野)

校訂本文

中ごろ、播磨国に平野といふ所の山の麓に、海に向ひて、かたばかりなる庵(いほり)結びて行ふ法師侍り。明け暮れ念仏を申してなん侍りけり。

ある時、人行きて、発心の因縁を尋ね侍りければ、「いとむつましく侍りし妻なん、はかなくみなしてしかば、『いづれの所に、いかなる苦を受けてか歎くらん』と悲しく思えて、『かの女の後世をとぶらひ侍らん』と思ひて、田などの侍りしをもみな捨て、かくまかりなりし後には、念仏すべておこたりなく侍り」とぞ語りける。里へ出るわざなんどもせざりければ、人々あはれみて、食物かたのごとくしてぞ、渡世をしける。

ある時、例ならず、この僧、里に出でて人々に言ふやう、「おのれは、暁、往生し侍るべければ、今は限りの対面もあらまほしくて、出で侍るなり。この日ごろのあはれび、尽しがたく思え侍り」と、よにもあはれに言ひけれども、まことしくも思はざりけるに、言ひしごとく、暁、息絶えてけり。あやしき雲、空にそびき、常ならぬ香、庵(いほ)に満ちて、眠れるがごとくして、西に向き、手を合はせて侍りけり。

このこと、伝へ聞くに、あはれに悲しく侍り。まことに、妻男となれるならひ、偕老同穴の契りこまやかに、来ん世を引きかけて頼むわざ浅からず。

かの唐土(もろこし)の帝の、空翔けらば、翼を並ぶる鳥となり、地に住まば、枝を連ぬる身とならむ契り、この大和国には、鶉(うづら)となりて鳴きおらんなんど聞くめる。げに、罪深く、頼むめれども、死にて後は、人の心うたてさは、あらぬ色にのみうつりて、頼めし人のことは忘れはてて、こまごまに後世とぶらふ情けを尽くさざるに、この僧の思ひ入りて勤めけん、けにありがたく思えて侍る。「とぶらふ聖、往生し侍りぬれば、とはるる女、よもむなしきわざ侍らじ」と、かへすがへすうらやましく侍り。げに、「いかなれば、生けるほどは、そのこととなく、身のいたづらになりぬるまで、思ふ人の死にて後の苦しみを歎かざるらん」と、悲しく思えて侍り。

さても、この聖は、いづくの人にてか侍りけん。所も知り侍らず、姿ありさまなんどはつた なげに侍りける1)。発心の始めより、命終の終るまで澄みてぞ思え侍る。

翻刻

中比播磨国に平野と云所の山の麓に海に向て
かたはかりなるいほり結て行ふ法師侍り明暮念
仏を申てなん侍りけりある時人行て発心の因
縁を尋侍りけれはいとむつましく侍りし妻なん
はかなくみなしてしかは何の所にいかなる苦をうけ
てかなけくらんとかなしく覚て彼女の後世を訪ひ
侍らんと思ひて田なとの侍りしをも皆捨てかく罷
なりし後には念仏すへて懈りなく侍りとそ語ける/k39l
里へ出るわさなんともせさりけれは人々哀て
食物かたのことくしてそ渡世をしけるある時例
ならす此僧里に出て人々にいふやうをのれは暁往
生し侍るへけれは今限の対面もあらまほしくていて
侍る也此日比のあはれひ尽しかたく覚侍りとよに
も哀に云けれとも実しくもおもはさりけるに云
しことく暁息たえてけりあやしき雲空に
そひき常ならぬ香いほにみちて眠れるかことくし
て西にむき手を合て侍りけり此事伝聞に
あはれに悲しく侍り実妻男となれるならひ階/k40r
老同穴の契こまやかに来ん世を引かけて頼む
わさあさからすかのもろこしの御門の空かけらは
つはさをならふる鳥となり地にすまは枝を連る
身とならむ契此大和国にはうつらと成て泣をらん
なんと聞めるけに罪深くたのむめれとも死て
後は人の心うたてさはあらぬ色にのみうつりて頼
めし人のことは忘はててこまこまに後世とふらふ
なさけを尽さるに此僧の思入て勤けんけに難有
覚えて侍る訪聖往生し侍りぬれはとはるる
女よもむなしきわさ侍らしと返々浦山しく侍り/k40l
けにいかなれはいけるほとは其事となく身のいたつらに
なりぬるまて思ふ人の死て後の苦みを歎かさる覧
と悲しく覚て侍りさても此聖はいつくの人にて
か侍りけん所も知侍らす姿ありさまなんとはつた
なけに侍りける発心の始より命終のをはるまて
すみてそ覚侍る/k41r
1)
以下、諸本は「なりと聞くにも、いよいよ心の中ゆかしく思ひやられて侍り」と続く。
text/senjusho/m_senjusho02-03.txt · 最終更新: 2016/05/18 21:19 by Satoshi Nakagawa
CC Attribution-Share Alike 4.0 International
Recent changes RSS feed Driven by DokuWiki

yatanavi.org ©2004-2017 Satoshi Nakagawa