text:senjusho:m_senjusho02-01
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text:senjusho:m_senjusho02-01 [2016/05/17 02:29] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:senjusho:m_senjusho02-01 [2016/05/17 15:30] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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- | 昔、興福寺の僧にて、一和僧都といふ人あり。智行ともにそなはりて、僧都の位にのぼり給へり。のちには、世をのがれて、外山といふ山里に住みわたり給へりけるとかや。そのかみ、『遊心集】を見侍りしに、この僧都のありさま、おろおろしるし載せて侍りしは。 | + | 昔、興福寺の僧にて、一和僧都といふ人あり。智行ともにそなはりて、僧都の位にのぼり給へり。のちには、世をのがれて、外山といふ山里に住みわたり給へりけるとかや。そのかみ、『遊心集』を見侍りしに、この僧都のありさま、おろおろしるし載せて侍りしは。 |
かの興福寺維摩会とて、いふべきかたなくめでたき法会侍る。講師は八宗の明匠、ときの名高きを撰び給ふことにこそ。読むなる縁起は、菅丞相((菅原道真))の御筆、かけまくもかしこき神の詔(みことのり)に侍り。持つなる如意は、聖宝僧正の道具とぞ。勅使立ちなんどして、ことにやんことなき無上の梵筵に侍り。 | かの興福寺維摩会とて、いふべきかたなくめでたき法会侍る。講師は八宗の明匠、ときの名高きを撰び給ふことにこそ。読むなる縁起は、菅丞相((菅原道真))の御筆、かけまくもかしこき神の詔(みことのり)に侍り。持つなる如意は、聖宝僧正の道具とぞ。勅使立ちなんどして、ことにやんことなき無上の梵筵に侍り。 |
text/senjusho/m_senjusho02-01.1463419788.txt.gz · 最終更新: 2016/05/17 02:29 by Satoshi Nakagawa