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撰集抄

巻1第5話(5) 宇津山僧

校訂本文

いにしへ、あづまぢの方へさそらへまかり侍りしに、宇津の山辺の桜、見過しがたく思ひて、奥深くたづね入りて侍りしに、いとどだに蔦(つた)の細道は心細きに、日影も漏らぬ木のもとに形のごとくなる庵結びて、座禅せる僧あり。

齢は四十(よそぢ)ばかりにもなるらんと見侍り。「いかにいづくの人の、いかにかかりては、ここには住み給ふらん。また、発心の縁、聞かまほしき」よし、尋ね侍りしかば、「われはこれ、相模国の者なり。武勇の家に生れて、三尺の秋の霜を横たへて、胡録の箭をつがふべきしなの者なり。しかあれども、生死無常の恐しく思えて、よりより心をしづめて、座禅などし侍りしかども、たちまちに、世をふり捨て得ずして侍りしほどに、年ごろの女なん、身まかりにしかば、いよいよ心もとどまらで、髻(もとどり)切りて、この山に籠り侍り。はじめは松島と申す寺に侍りしを、親しき者ども、とかく申すことのむつかしくて、人にも知られず、この二年(ふたとせ)ここに侍るなり。時々里に出でて、物を乞ひて、形ごとくの命をつぐに侍る。今また、心の澄みて、いたく物なんどの食べたきわざも侍らねば、月に二三度(ど)なんど食ひ侍るなり」とぞの給はせし。

あまりに貴く、うらやましく思え侍りしかば、われももろともに住まむべきよし、聞こえ侍りしかば、「さらによしなし。われも人も誤る。たがひに知識にもなりがたし。いづくの所にも、心を澄まし給へ。また、尋ねてもおはせよかし」とて、いたくもて離れては見えざりしかども、心憂く不覚の心にて、やがて住処(すみか)ともさだめで、のちを契りて出で侍りぬ。

さても、都へ帰るさには、なほさりがてらならず、尋ね奉るべき心地して侍りしほどに、思はざるに陸奥国にさそらへまかりて久しく侍りき。上りざまには、こと道よりつたひ侍りしかば、忘れ奉るには侍らざりしかども、つひにむなしくやみぬ。

発心のありさま、ことに澄みてぞ侍る。印度・月支・唐朝もろこしは、境はるかに隔たり侍れば、しばらくこれをさしおく。秋津島の昔の賢き人は、見奉らねば知らず。いかが思しけん。これは目のあたり見侍りしに、貴さたぐひなく侍りき。

谷深くかくれて、峰の松風に雲消えて、澄める月を見給ひけん、ことにうらやましくぞ侍る。ただ、なにとなく書き置けるは、跡を聞くにも、海のほとり、深山のすまひの澄めることを見るには、そのこととなしに、涙をもよほすこと侍る。目のあたり、そのありさまを見奉りしに、いくたび随喜の涙か流れけん。「さても、今、またいかなる浄土にかおはすらむ」と、かへすがへすもうらやましく侍り。

そもそも座禅とはいかなる観法ぞや。万境を捨て、心に心をかけかへて、心を捨つべきにや。また、「泥牛、空に走り、木馬天、にいばふ」なんどいふ公案を、宗(むね)に持つべきにや。持ちてはまた、いかがあらん。ただよぎりなく守るべきにや。

せんは、まことの道心侍らば、修行は何にても侍りなん。「念は老鼠のごとし。覚は猫に似たり」といふ古人の言葉あり。よくよく心をとめて座禅し給はば、これを三業の中の意業行に侍れば、百千無量の仏塔を造らんにも、まさりやし侍らん。

何なる善も、ただ心によるべきとぞ、思え侍る。

翻刻

以往あつまちの方へさそらへまかり侍りしに宇津の
山辺の桜み過しかたく思て奥深尋入て侍りしに
いととたに蔦の細道は心ほそきに日影ももらぬ木本に
形のことくなる庵結て坐禅せる僧有齢は四そ地はかり
にも成らんと見侍りいかにいつくの人の何に懸ては是
には住給ふ覧又発心の縁聞まほしきよし尋侍りしか
は我は是相模国の者也武勇の家に生れて三尺の秋
の霜をよこたへて胡録の箭をつかふへきしなの者也/k16r
しかあれとも生死無常のおそろしく覚てよりより心をしつ
めて坐禅なとし侍りしかとも忽に世をふり捨得す
して侍りしほとに年比の女なん身まかりにしかはいよいよ
心もととまらて本とり切て此山に籠侍り初は松島と申
寺に侍りしを親物共とかく申事の六惜て人にも知れ
す此二とせ爰に侍る也時々里に出て物を乞て如形の
命をつくに侍る今又心の澄ていたく物なんとのたへ
たきわさも侍ねは月に二三となんとくひ侍る也とそ
の給はせしあまりに貴く浦山しく覚え侍りしかは
我ももろ共にすまむへきよし聞え侍りしかは更に/k16l
よしなし我も人もあやまる互に知識にも難成いつくの
所にも心を澄たまへ又尋てもをはせよかしとていたくもて
離れてはみえさりしかとも心憂不覚の心にて頓而すみか
とも定て後を契て出侍りぬさても都へかへるさには
なをさりかてらならす尋奉るへき心ちして侍りしほとに
思はさるに陸国にさそらへ罷て久侍りき上りさまには
異道よりつたひ侍りしかは忘れ奉るには侍らさりし
かともつゐに空しくやみぬ発心の有様殊にすみてそ
侍る印度月支唐朝もろこしは堺遥に隔たり侍れは
且閣之我国秋津島の昔の賢き人は見奉らねは/k17r
不知いかかおほしけん是はまのあたりみ侍りしに貴さたく
ひなく侍りき谷深かくれて峰の松風に雲消て
すめる月を見給けん殊に浦山しくそ侍る唯何と
なく書置は迹を聞にも海のほとり深山のすまひのすめる
事を見には其事となしになみたを催す事侍るまの
あたり其有様を見奉りしに幾たひ随喜の泪か流
けん扨も今又いかなる浄土にかおはすらむと返々も浦山
しく侍り抑坐禅とはいかなる観法そや万境を捨て
心に心を懸かへて心をすつへきにや又泥牛空にはし
り木馬天にいはふなんと云公案をむねにもつへき/k17l
にやもちては又いかかあらんたたよきりなく守へきにや
詮は実の道心侍らは修行は何にても侍りなん念は老鼠
の如し覚は猫に似りと云古人の言葉在よくよく心を
とめて坐禅し給はは是を三業の中の意業行に侍れは
百千無量の仏塔を造らんにもまさりやし侍らん何なる
善もたた心によるへきとそ覚え侍る/k18r
text/senjusho/m_senjusho01-05.txt · 最終更新: 2016/05/08 16:11 by Satoshi Nakagawa
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