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撰集抄

巻1第2話(2) 祇園示現(御歌)

校訂本文

過ぎにしころ、九重の外、白河のほとりに、形ばかりなる庵(いほり)むすびて、深く後世のいとなみする人侍り。

この人、親の処分をゆゑなく人に押し取られて、せむかたなく侍りけるままに、祇園に七日こもりて、「ことはり給へ」と祈り申し侍りけるに、七日と申すに、暁、御殿の御戸を開かれて、「やや」と仰せられければ、「大明神の御託宣にこそ」と思ひて、急ぎ起きなほり、かしこまりて侍るに、気高き御声して、

  長き世の苦しきことを思へかし仮の宿りを何歎くらん

と、「御託宣なりぬ」と思ひて、うち驚きぬ。

この御歌につきて、つくづく案ずるに、「げにも、あだにはかなきはこの世なり。宵(よひ)に見し人、朝に死し、朝にありしたぐひ、夕べに白骨となる。悦びもさむる時あり、歎きもはるるすゑあり。無常転反、憂喜、手の裏をかへす世の中に、思ひをとどめて、おろかにも来世の長き苦を歎かざりけんことのはかなさよ」と思ひて、はや手づから髻(もとどり)を切りて、妻子にも、「かく」とも言はずして、白河のほとりにて、竹など拾ひあつめて、形のごとく庵しめぐりて、明け暮れ念仏をぞ申し侍りける。

「この身を惜しむにはあらざりければ、ただ息のかよはんを限りとすべし」と思ひて、里に出でて、ものを乞ふわざも侍らず。ただ二心なく念仏を申し侍りければ、あたり近き人々、あはれみて、命を継ぐたよりをぞし侍りける。

かくて日数経にければ、妻子、聞き得て、かの所に来たり侍りて、とかくこしらへ侍りけれど、あへて返事もし給はず。いよいよ念仏をぞし給ひける。いかにしてか、道心もさむべきなれば、こしらへかねて、帰り侍りぬ。

さて、かの女房の沙汰にて、庵さるべきやうにつくろひ、世渡るべきほどの具足、ととのへければ、てづからいとなみてぞ、日数を送り給ひける。

さるほどに、世の中かくれなきわざなれば、処分押し取りける人、これを聞きて、「あさましや。かくほどまでは思はざりき。げにも1)長き世の闇こそ悲しかるべきに」とて、押し取りける所をば、もとの主の、道心おこせる人の北方に取らせて、やがて髻切りて白河の庵にいたりて、「しかじか」と言ふに、もとの聖もあはれに思ひて、よよと泣くめり。「さらにいづちへかおはすべき2)。これにて、もろともに念仏し給へかし」と言へば、「さうなり。いづちへか帰るべき。一所に侍らんこそ、本意ならめ」と言ひて、内に入りぬれば、むつまじき友となり侍りて、同声に念仏し給へりければ、功積み貴く澄みわたりて、夜を残す老ひの寝覚にはあはれと聞きて、涙を流す人のみ多く侍りけり。

かくて、二年(ふたとせ)と申しける三月十四日の暁に、さきに世のがれ給ひし人は、西に向き座し、のちに家を出で給ひし聖は、かの座せる上人の膝を枕にて、眠れる如くして、終りを取り給へり。

明けにしかば、人、雲霞のごとく走り集りて、「往生人」とて、結縁し侍りける。その形を写しとどめて、今に侍るとかや。

このことを聞くに、そぞろに涙ところせきまで侍り。かくのごとく、よしなく人に妨げをなさるるには、かなはぬまでも、夜昼ひまをうかがひて、すずろに心をつくし、神仏に詣でても、「あしかれ」とのみ祈りて、いとど思ひに思ひを重ね、ますます歎きに歎きをそへて、この世むなしく、来世いたづらになり果てぬるは、世の中の人なるぞかし。しかるに、この聖の、神の詔(みことのり)を「げに」と深く思ひ入りて、悲しう思えし女、いとほしかりし子をふり捨て、桑門のたぐひとなり給ひけん、すべてありがたきには侍らずや。

わがごときの者の、今の示現を蒙り侍りたらんには、「まづ申す所をばかなへ給はで、あはれ道心の歌、何とも思えず」と、神をそしり申すとも、よもこの世をば振り捨てじと、いとど口惜く侍り。

また押し取りけん人の発心は、なほたけ高く貴く侍り。さやうの敵などの出家遁世せんは、いとど嬉しくて、ますます財宝にこそつながるべきに、「あさまし」と思ひて、一つ庵に行きて、後世のつとをたくはへ給はんこと、筆にも述べがたく侍り。

印度・唐土(もろこし)・我朝に、つらつら昔のあとをとぶらふに、憂きことにあひて、逃るるたぐひは多く侍れども、いまだ聞かず、喜びありて世を捨つとは。されば往生の素懐をとげ給ふも理(ことはり)なり。

和光利物の御恵み、かへすがへすもかたじけなく侍り。「本体盧舎那、久遠成正覚、為度衆生故、示現大明神」これなり。久遠正覚の如来、雑類同塵し給ふらん。ことにかたじけなく侍りけり。

翻刻

過にし比九重の外白河の辺に形はかりなるいほりむすひて
ふかく後世のいとなみする人侍り此人祖の処分を無故人
に押取られて詮かたなく侍りけるままに祇薗に七日籠て
ことはり給へと祈申侍りけるに七日と申に暁御殿の御
戸を開かれてややと被仰けれは大明神の御託宣に
こそと思て急きおきなをり畏て侍るに気高き
御声して
  なかき世のくるしき事を思へかし仮の舎を何歎らん/k7l
と御託宣なりぬと思ひて打驚きぬ此御歌に
付てつくつく案するに実もあたにはかなきは此世也
よひにみし人朝に死し朝にありし類夕に白骨となる
悦もさむる時ありなけきもはるる末有無常転反
憂喜手の裏をかへす世中に思を留ておろかにも
来世のなかき苦を歎かさりけん事のはかなさよと
おもひてはや手つからもととりを切て妻子にも
かくともいはすして白川の辺にて竹なと拾あつめて如形
いほりし廻て明暮念仏をそ申侍りける此身をおし
むにはあらさりけれはたたいきのかよはんを限とすへしと/k8r
思ひて里に出て物をこふわさも侍らす唯二心なく
念仏を申侍りけれはあたり近き人々哀みて命をつく
たよりをそし侍りけるかくて日数へにけれは妻子聞
得て彼所に来侍りてとかくこしらへ侍りけれと
敢て返事もし給はす弥々念仏をそし給ける何してか
道心もさむへきなれはこしらへかねて帰り侍りぬさて
彼女房の沙汰にていほりさるへき様につくろい世渡
へきほとの具足ととのへけれは手自いとなみてそ
日数を送り給ける去ほとに世中隠なきわさなれは
処分押取ける人是を聞て浅増やかくほとまては/k8l
思はさりきけるにも長き世の暗こそ悲かるにへきとて
押とりける所をは本の主の道心おこせる人の北方に
とらせて頓而もととり切て白川のいほりに至てしかしかと云
に本の聖も哀に思てよよとなくめりさらにいつちへか
おはへきこれにてもろともに念仏し給へかしといへは
さうなりいつちへか帰るへき一所に侍らんこそ本意ならめ
と云て内に入ぬれはむつましき友と成侍りて同声に
念仏し給へりけれは功積貴すみ渡て夜を残す老
の寝覚には哀と聞て泪をなかす人のみおほく侍り
けりかくて二とせと申ける三月十四日の暁に/k9r
先に世遁給し人は西にむき座し後に家を出給し
聖はかの座せる上人のひさを枕にて眠れる如くして
終を取給へりあけにしかは人雲霞のことく走集て往
生人とて結縁し侍りける其形をうつし留て今に侍と
かや、此事を聞にそそろに涙所せきまて侍り如此よしなく
人にさまたけをなさるるにはかなはぬまても夜ひる隙を
伺てすすろに心をつくし神仏に詣てもあしかれと
のみ祈ていととおもひに思を重ねますます歎に歎を
そへて此世むなしく来世いたつらに成はてぬるは世中
の人なるそかししかるに此聖の神のみことのりをけにと/k9l
ふかく思入て悲しふおほえしおんないとをしかりし子を
ふり捨て桑門の類と成給けんすへて難有には侍ら
すや我こときのもののいまの示現を蒙り侍りたらん
には先申所をはかなへ給はてあはれ道心の哥何とも
おほえすと神をそしり申ともよも此世をは振捨しといとと
口惜く侍り又押取けん人の発心はなをたけ高く貴
く侍りさ様の敵なとの出家遁世せんはいととうれしく
てますます財宝にこそつなかるへきに浅増と思ひて
一いほりに行て後世のつとをたくはへ給はん事
筆にものへかたく侍り印度もろこし我朝につらつら/k10r
昔の迹を訪にうき事にあひてのかるる類は多く侍
れとも未聞よろこひ有て世を捨つとはされは往生の
素懐をとけ給も理也和光利物の御めくみ返々もかた
しけなく侍り本体盧舎那久遠成正覚為度衆生
故示現大明神是也久遠正覚の如来雑類同塵し
給らん殊にかたしけなく侍りけり/k10l
1)
底本「けるにも」。諸本により訂正。
2)
底本「おはべき」。諸本により補入。
text/senjusho/m_senjusho01-02.txt · 最終更新: 2016/05/03 18:55 by Satoshi Nakagawa
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