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text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka14-49 [2018/04/11 19:33] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka14-49 [2018/04/11 22:44] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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後漢の王吉、字を子陽といふ。瑯琊の人なり。子孫に及びて、奉養甚だ奢れり。しかはあれども、移り去る時は、衣入れたる嚢(ふくろ)一つ、持ちたりける。「奢侈の名を消さむ」とて、嚢に衣ばかりを入れて、他国へ去りけるなり。 | 後漢の王吉、字を子陽といふ。瑯琊の人なり。子孫に及びて、奉養甚だ奢れり。しかはあれども、移り去る時は、衣入れたる嚢(ふくろ)一つ、持ちたりける。「奢侈の名を消さむ」とて、嚢に衣ばかりを入れて、他国へ去りけるなり。 | ||
- | 時に馬援、はじめ交趾にある時、常に薏苡(つしだま)((「薏苡」ヨクイ、ジュズダマに同じ。))を沐(よく)して、身を軽(かろ)くしけり。南方に薏苡の実大きなるあり。行きて、その実みを送りて、一車に積みて帰りければ、時の人、南土の珍怪と思へりけり。貴賤、皆これを望む。 | + | 時に馬援、はじめ交趾にある時、常に薏苡(つしだま)((「薏苡」ヨクイ、ジュズダマに同じ。))を沐(よく)して、身を軽(かろ)くしけり。南方に薏苡の実大きなるあり。行きて、その実を送りて、一車に積みて帰りければ、時の人、南土の珍怪と思へりけり。貴賤、皆これを望む。 |
- | 馬援、時に寵有り。故に以聞ゆるものなし。率するに及びて後、上書して、これを讃しむる者、「以為(おもへらく)、前に載せて還へる所、皆、明珠文犀」と言へり。 | + | 馬援、時に寵有り。故に以聞ゆるものなし。卒するに及びて後、上書して、これを譖しむる((「譖しむる」は底本「讃シムル」。典拠「後人譛之」により訂正。))者、「以為(おもへらく)、前に載せて還へる所、皆、明珠・文犀」と言へり。 |
また、呉祐が父、恢((底本「恠」。))、南海の太守たる時、青竹を取りて、書を写さむとしけるに、呉祐、いさめて((底本「イイサメテ」。衍字とみて一字削除。))いはく、「昔、馬援は薏苡(つしだま)によりて、謗(そし)りを負ひ、王陽は衣(ころも)の嚢(ふくろ)をもて、名もとむ。嫌疑の間、まことに先賢の慎む所なりと言ひけり」と言ひけり。 | また、呉祐が父、恢((底本「恠」。))、南海の太守たる時、青竹を取りて、書を写さむとしけるに、呉祐、いさめて((底本「イイサメテ」。衍字とみて一字削除。))いはく、「昔、馬援は薏苡(つしだま)によりて、謗(そし)りを負ひ、王陽は衣(ころも)の嚢(ふくろ)をもて、名もとむ。嫌疑の間、まことに先賢の慎む所なりと言ひけり」と言ひけり。 |
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka14-49.txt · 最終更新: 2018/04/11 22:44 by Satoshi Nakagawa