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蒙求和歌

第10第3話(133) 屈原沢畔 漁父江浜

校訂本文

屈原沢畔 漁父江浜

楚の屈原、懐王に仕へて、三閭大夫たり。王、はなはだ世の宝として、同列の大夫靳尚が心に、屈原が才智のすぐれ賢慮の至れるをそねみ、ねたましく思ひなりぬ。さまざま謀(はかりごと)をめくらして、王に讒しければ、王、人のことにつきて、科(とが)なき屈原を流し放たれぬ。

屈原、江浜に遊びて、沢畔に吟(さまよ)ふ。顔色衰へたるさまなり。時に漁父、江浜に釣りするあり。屈原が欣然として、みづから楽しべるを見て、「なんぢは三閭の大夫にあらずや。ここには何せらるるぞ」と問ふ。屈原いはく、「世はみな濁れり。われ一人澄めり。衆人はみな酔(ゑ)へり。われ一人覚めたり。このゆゑに放たれたるなり」と云へり。

漁父がいはく、「聖人はものに凝滞せず。かるがゆゑに世と教ふる。世みな濁れらば、何ぞその泥を混ぜ濁して、波を上げざる。衆人、みな酔へらば、何ぞその糟(かす)を哺(くら)ひて、その醨(しる)を啜(すす)らざる」。屈原がいはく、「われ聞く、新たに沐(かしらをあら)ふ者は、かならず冠(かんむり)を弾(はじ)く。新たに浴(ゆ)あぶるものは、衣を振ふ。いづくんぞ、身のよく察々たるをもて、物の汶々たるを受けむや」と言ふ。

漁父、莞爾として、笑ひて、船ばたを叩きて去りにけり。また、歌ひていはく、「滄浪の水澄めらば、わが纓を漱ぐべし。滄浪の濁れらば、わが足を洗ふべし」かく言ひて、去りて、ともにもの言はずなりぬ。

懐王、秦に至らむとするを、「秦は虎・狼のごとし。君、行きて、帰ることを得じ」と、屈原、諫(いさ)むれども聞かずして、秦に向ひて、項羽がために亡ぼされぬ1)

襄王、位に即きて後、靳尚が讒につきて、屈原をすすめられざりければ、退きこもりにけり。屈原、五月五日に身を投げて死ぬ。世の賢人を求めず、人を知らざるにぞなりにける。

後に、妻のゆめのうちに、屈原来たりて、告げていはく、淵中、竜集まりて、わが食を奪へり。なんぢ、飯を五色の糸して飾りて、竜の形のごとくして、五月五日を迎へて、淵に投げよ。龍は恐れて去りなむ。われ走りて受けむ」と言へり。妻、夢の告げのままに調(ととの)へけり。

楚国の人、今日ごとに屈原を祀(まつ)れり。楚の襄王、馳て射(しや)をととのへ、一日の宴を設けて、祀れり。

  むすぶ手に濁るしづくもあるものを一人すみける山の井の水

翻刻

屈原沢畔 漁父江浜
楚屈原懐王ニツカヘテ三閭大夫タリ王甚世ノタカラト
シテ同列ノ大夫靳(キム)尚(シヤウ)カ心ニ屈原カ才智ノスクレ賢
慮ノイタレルヲソネミネタマシク思ナリヌサマサマハカリコトヲ
メクラシテ王ニ讒シケレハ王人ノコトニツキテトカナキ屈原/d2-12r
ヲナカシハナタレヌ屈原江浜ニアソヒテ吟(サマヨウ)沢畔ニ顔色ヲ
トロヘタルサマナリ時ニ漁父江浜ニツリスルアリ屈原カ欣然
トシテミツカラタノシヘルヲミテ汝チハ三閭ノ大夫ニアラスヤココニハ
ナニセラルルソトトフ屈原イハクヨハミナニコレリワレヒトリスメリ
衆人ハミナヱヱリワレヒトリサメタリコノユエニハナタレタルナリ
ト云リ漁父カ云ク聖人ハモノニ凝滞セスカルカユエニ世トヲ
シウル世ミナニコレラハ何ソソノ泥ヲ混ニコシテナミヲアケサル
衆人ミナヱヱラハ何ソソノ糟(カスヲ)哺(クラヒテ)ソノ醨(シルヲ)啜(ススラサル)屈原カ
イハク我キクアラタニ沐(カシラヲアラフ)モノハカナラス弾(ハシク)冠(リヲ)アラタニ浴(ユ)
アフルモノハ衣ヲフルフ安(クムソ)身ノヨク察(サツ)々タルヲモテモノノ
汶(フム)々タルヲウケムヤト云漁父唍(クハム)尓シトシテワラヒテフナハタ
ヲタタキテサリニケリ又ウタヒテ云ク滄浪水スメラハワカ纓ヲ
ススクベシ滄浪ノニコレラハワカアシヲアラフヘシカク云テサリ
テトモニモノイハスナリヌ/d2-12l
懐王秦ニイタラムトスルヲ秦ハトラヲホカミノ如シキミユキテ
カヘルコトヲエシト屈原イサムレトモキカスシテ秦ニムカヒテ
項羽カタメニホロホサレヌ襄王位ニツキテ後靳尚カ讒
ニツキテ屈原ヲススメラレサリケレハシリソキコモリニケリ屈
原五月五日ニ身ヲナケテシヌヨノ賢人ヲモトメス人ヲシラ
サルニソナリニケル後ニ妻ノユメノウチニ屈原キタリテツケテ云ク
渕中龍アツマリテ我ガ食ヲ奪ヘリ汝チ飯ヲ五色ノ糸
シテカサリテ龍ノカタチノコトクシテ五月五日ヲムカヘテ渕
ニナケヨ龍ハヲソレテサリナムワレハシリテウケムト云リ妻ユメノ
ツケノママニトトノヘケリ楚国ノ人今日コトニ屈原ヲマツレリ
楚ノ襄王馳テ射(シヤ)ヲトトノヘ一日ノ宴ヲマウケテマツレリ
  ムスフテニニコルシツクモアルモノヲヒトリスミケル山ノ井ノミツ/d2-13r
1)
「項羽がために亡ぼされぬ」は書陵部本「死す」。国会図書館本古注蒙求の頭注「死於秦長子頃襄王立・・・」を誤読したものか。
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka10-03.txt · 最終更新: 2018/01/28 16:42 by Satoshi Nakagawa
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