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text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka07-01

蒙求和歌

第7第1話(101) 袁宏泊渚

校訂本文

袁宏泊渚 晋代人1)

晋の袁宏、字(あざな)彦伯といふ。若くより文道を好みて、名を得たりき。ことにふれて情け深かりし人なり。

袁宏、海の渚(なぎさ)、船の泊(とまり)2)のものあはれ3)なるに、一人心を澄ましけり。時は秋の初めなり。更䦨夜閑にして、風凉しく、月明らかなるに、遠漢の禀れたるにあたりて、長江の眇々たるをのぞばめば、松の響き、波の音、一つとして心をくだかずといふことなし。来(き)し方行く末のことを思ひ続けて、涙を押えて、みづから作れる詠史の詩を誦しけり。

時に、謝鎮西といふ琵琶弾き、同じ渚に泊り4)あへり。ほのかに詩を誦する音を聞くに、何となく旅の心あくがれて、商人の船に漕ぎ交はりて、近く寄りて、「誰(たれ)ぞ」と問はするに、「袁宏」となむ聞こえければ、船を進めて、語らひ寄りて、旅天の景気ものかなしきに、あるひは、往事の夢に似たることを憂ひ、あるひは、旧友の長く去れることをあはれみつつ、互ひに袂(たもと)を絞りけり。

かくて、月、西に傾(かたぶ)き、雲、東に明けなむとすれば、泣く泣く名残を惜しみて、別れ去りけり。

  いかにせむ同じうきねにありあけの月のともぶね漕ぎ別れては

翻刻

袁宏泊渚 晋(シン)代人(是ハソクシヤウ晋也秦平声秦也)
晋ノ袁宏アサナ彦伯ト云ワカクヨリ文道ヲコノミテ名ヲ
エタリキコトニフレテナサケフカカリシ人也袁宏海ノナキサ
船ノトマ□ノ物アレハナルニヒトリ心ヲスマシケリ時ハ秋ノ
初也更蘭夜閑ニシテ風ススシク月アキラカナルニ遠漢
ノ禀レタルニアタリテ長江ノ眇々タルヲノソハメハ松ノヒヒ
キ浪ノヲトヒトツトシテ心ヲクタカスト云コトナシキシカタユク/d1-49l
スヱノ事ヲ思ヒツツケテ涙ヲヲサエテミツカラツクレル詠史ノ
詩ヲ誦ケリ時ニ謝鎮西ト云ヒワヒキ同シナキサニトマ□
アヱリホノカニ詩ヲ誦スル音ヲキクニナニトナク旅ノ心ア
クカレテ商人ノ船ニコキマシハリテチカクヨリテタレソトトハ
スルニ袁宏トナムキコエケレハフネヲススメテカタラヒヨリ
テ旅天ノ景気モノカナシキニアルヒハ往事ノ夢ニニタル
コトヲウレヱ或ハ旧友ノナカクサレル事ヲアハレミツツ
タカヒニタモトヲシホリケリカクテ月西ニカタフキ雲
東ニアケナムトスレハナクナクナコリヲヲシミテワカレサリケリ
  イカニセムヲナシウキネニアリアケノ月ノトモフネコキワカレテハ/d1-50r
1)
底本続けて「是ハソクシヤウ晋也秦平声秦也」と注記
2)
「とまり」底本「り」虫損。諸本により補う。
3)
「ものあはれ」は底本「物アレハ」。書陵部本(桂宮本)により訂正。
4)
「泊り」は底本虫損。諸本により補う。
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka07-01.txt · 最終更新: 2017/12/24 14:00 by Satoshi Nakagawa