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text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka05-16

蒙求和歌

第5第16話(86) 陳平多轍

校訂本文

陳平多轍

漢の丞相陳平は、陽武の戸牖の人なり。家貧しくして、文道かしこかりき。黄老の術にあきらかなるゆゑに、漢の高祖1)、陳平がはかりごとを用ゐて、項羽を討ちしたがへ給へりけり。

時に、富人張負が一人の女孫あり。五度(たび)嫁ぎて、その夫(をとこ)死ににけり。陳平、「いかで得てしがな」と思へり。張負、「あやし」と思ひて、陳平が家に行きて見れば、筵(むしろ)を門(かど)にして、すべて貧しきありさまなれども、道にかしこかりけるゆゑに、門の外(ほか)に、長者の車跡多かりければ、心にくく思えて、張負、孫女を陳平に合はせてけり。

張負が子、仲、これを受けぬことに思ひけり。張負がいはく、「美なること陳平のごとくにして、久しく貧しく賤しきこと有むや」。

若き時、船に乗りて、津(つ)を渡るに、船人、陳平が懐(ふところ)に金あるらむと思ひて、「殺して取らむ」と思へり。陳平、悟り得て、衣を脱ぎて、船人に貸しければ、船人、金なしと知りて、殺さずなりぬ。すべて、はかりごとのかしこきこと、かくなむありける。

陳平、父母におくれて後、妻(め)また失せにけり。人、とぶらひければ、「昔、魯人王寿、夢のうちに舞ひていはく、『われ、三つの楽しみあり。一に父母(ちちはは)なし、二に妻子(めこ)なし、三に財貨(たからたくわへ)なし。このゆゑに、楽しび舞ふなり』と言へり。わが思ふ2)ところ、王寿が文のごとし3)」とぞ答へける。

  あだならぬ車の跡にしかじとや筵(むしろ)の門(かど)に心寄せける

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陳平多轍
漢ノ丞相陳平ハ陽武ノ戸牖(イフ)ノ人也家マツシクシテ文道
カシコカリキ黄老ノ術ニアキラカナルユヱニ漢ノ高祖(ソ)
陳平カハカリコトヲモチヰテ項羽ヲウチシタカヘ給ヘリケリ
時ニ冨(フ)人張負(フ)カ一リノ女孫アリ五タヒ嫁キテソノヲトコシニニケリ
陳平イカテエテシカナトヲモヘリ張負アヤシト思テ
陳平カ家ニユキテミレハムシロヲカトニシテスヘテマツシキアリ/d1-43r
サマナレトモミチニカシコカリケルユヘニカトノホカニ長者ノ車
アトヲホカリケレハココロニククヲホヘテ張負孫女ヲ陳平ニ
アハセテケリ張負カ子仲コレヲウケヌコトニヲモヒケリ張負
カ云有ムヤ美ナルコト如ニシテ陳平而久ク貧ク賤キコト乎ワカキトキ船ニノ
リテツヲワタルニ船人陳平カフトコロニ金アルラムト思テコロ
シテトラムト思ヘリ陳平サトリエテ衣ヲヌキテ船人ニカシケレハ
船人金ナシトシリテコロサスナリヌスヘテハカリコトノカシコキ
コトカクナムアリケル 陳平父母ニヲクレテ後メマタウセニ
ケリ人トフラヒケレハ昔シ魯(ロ)人(ヒト)王壽(シウ)夢ノウチニ舞(マイテ)
イハクワレ三ツノタノシミアリ一ニチチハハナシ二ニメコナシ三ニ財ラ貨(タクワヘ)
ナシコノユヘニタノシヒマウナリト云リワカモフトコロ王壽カ文ノ
□トシトソコタヘケル
  アタナラヌ車ノアトニシカシトヤムシロノカトニ心ロヨセケル/d1-43l
1)
劉邦
2)
「思ふ」は底本「もふ」。諸本により訂正。
3)
「ごとし」底本「ご」字欠損。諸本により補う。
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka05-16.txt · 最終更新: 2017/12/06 13:09 by Satoshi Nakagawa