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text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka03-09

蒙求和歌

第3第9話(44) 蘇武持節 鴈

校訂本文

蘇武持節 鴈

蘇武、漢王の使(つかひ)として、匈奴を攻めに赴きて、忠節を尽すほどに、かへりて夷(えびす)に取りこめられにけり。

匈奴王単于、蘇武を脅かして従へむとするに、漢の節を失なはずして、ひざまづかず。なほ剣(つるぎ)を輝かして責むれども、蘇武、堂々としていはく、「われ、漢の使なり。夷(えびす)に従ひには来ざりき」と答へて、刀を取りて、みづから刺すに、匈奴、おほきに驚きて、取り放ちて、傷に薬を付けて、助けてけり。

後に、深窖(しんこく)の中に籠め置きてけり。わづかに雪ばかり食ひて、命を生きけり。七日を過ぎて、開きて見るに、蘇武、つつがなし。匈奴、蘇武を、「神なり」と思ひなりぬ。

北海のほとりに出だして、羊を飼はするに、なほ漢の節を失なはず。わづかに生けるに似たりといへども、牡羊に乳を1)期して、歳花むなしく重なりにけり。

武帝、隠れ給ひて、昭帝の世になりて、帝の使、匈奴の国に至りて、蘇武を尋ぬるに、「はやく死にき」と偽り答へけり。「『いまだあり』とばかりだにも、故郷(ふるさと)の人に聞かればや」と思ふかひなし。

秋の空を迎へて、都の方へ行く雁の足に、書(ふみ)を結び付けてけり。雁、南を指して、飛び去りぬ。

帝、上林苑に遊び給ふ折しも、賓雁、書をかけて至れり。取りて、見給ふに、蘇武、去りてよりこの方、十九年の愁へを書きつづけたるなりけり。

かぎりなく、「あはれ」と思して、「たしかに蘇武を奉れ」と責められて、その時、返し奉りてけり。あまたの年を隔ててければ、顔の色衰へ、頭(かしら)白くなりて、ありしもあらすぞ、なりにける。

  へだて来し都の秋にあはましきこし路(ぢ)の雁のしるべならずは

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蘇武持節 鳫/d1-24l
蘇武漢王ノツカヒトシテ匈奴ヲセメニヲモムキテ忠節ヲ
ツクス程ニカヘリテエヒスニトリコメラレニケリ匈奴王単于
蘇武ヲヲヒヤカシテシタカヘムトスルニ漢ノ節ヲウシナ
ハスシテヒサマツカスナヲツルキヲカカヤカシテセムレトモ
蘇武堂々トシテ云ク我漢ノ使也エヒスニシタカヒニハコサ
リキトコタヘテカタナヲトリテ自カラ刺サスニ匈奴ヲホキニヲト
ロキテトリハナチテキスニクスリヲツケテタスケテケリ
後ニ深窖(シムコク)ノ中カニコメヲキテケリワツカニユキハカリクヒテ
イノチヲイキケリ七日ヲスキテヒラキテミルニ蘇武ツツ
カナシ匈奴蘇武ヲ神ナリト思ヒナリヌ北海ノホトリニ
出シテヒツシヲカハスルニナヲ漢ノ節ヲウシナハスワツカニイ
ケルニニタリトイヘトモ牡羊ニ乳期シテ歳花ムナシクカ
サナリニケリ武帝カクレタマヒテ昭帝ノ世ニナリテ帝ノ
使ヒ匈奴ノ国ニイタリテ蘇武ヲタツヌルニハヤクシニニキト/d1-25r
イツハリコタヘケリイマタアリトハカリタニモフルサト人ニキカレハ
ヤト思カヒナシアキノソラヲムカエテ宮コノカタエユク鳫ノ
アシニフミヲムスヒツケテケリ鳫南ヲサシテトヒサリヌ
帝上林苑ニアソヒタマフヲリシモ賓鳫書ヲカケテ
イタレリトリテミタマフニ蘇武サリテヨリコノカタ十九
年ノウレヘヲカキツツケタルナリケリカキリナクアハレト
ヲホシテタシカニ蘇武ヲタテマツレトセメラレテソノトキ
カヘシタテマツリテケリアマタノトシヲヘタテテケレハカヲ
ノ色ヲトロヘカシラシロクナリテアリシモアラスソナリニケル
  ヘタテコシミヤコノアキニアハマシキコシチノカリノシルヘナラスハ/d1-25l
1)
底本「を」なし。書陵部本により補う。
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka03-09.txt · 最終更新: 2017/11/06 22:50 by Satoshi Nakagawa