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text:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka01-12 [2017/10/12 21:23] – 作成 Satoshi Nakagawatext:mogyuwaka:ndl_mogyuwaka01-12 [2017/10/23 22:56] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 ** 龔勝不屈 喚子鳥 ** ** 龔勝不屈 喚子鳥 **
  
-王莽は成帝の舅。王曼の子。初め新都侯((底本「新」なし。諸本により補う。))を封ず。女(むすめ)を以て平帝の后と為し、進みて安漢土を封じ、遂に真に即す。新宅を改号し、建国と改元す。在位十五年、或いは十八年。+>王莽は成帝の舅。王曼の子。初め新都侯((底本「新」なし。諸本により補う。))を封ず。女(むすめ)を以て平帝の后と為し、進みて安漢土を封じ、遂に真に即す。新宅を改号し、建国と改元す。在位十五年、或いは十八年。
  
 漢の龔勝、意賢にして名節をあらはせりき。光禄大夫たりき。 漢の龔勝、意賢にして名節をあらはせりき。光禄大夫たりき。
行 14: 行 14:
 春の日照り水絶えて、東作を忘れ、秋は風荒く蝗(いなご)ふりて、西収怠れり。道を知る人なかりければ、行ふところ乱れて、国治まれる時なし。民疲れ、兵(つはもの)飢ゑて、金一両が値(あたひ)の米、三升になりぬ。 春の日照り水絶えて、東作を忘れ、秋は風荒く蝗(いなご)ふりて、西収怠れり。道を知る人なかりければ、行ふところ乱れて、国治まれる時なし。民疲れ、兵(つはもの)飢ゑて、金一両が値(あたひ)の米、三升になりぬ。
  
-この時、龔勝、深くこもり居ぬ。王莽、龔勝を講学に祭酒になして使はむとすれども、病のよしを答へてしたがはず。後に、大師の印綬をもつて、郡の守、龔勝が里に入りて詔を致す。重く煩へるよしを申して、東頭にして、朝服を着て、使に語りていはく、「われ、漢の厚恩受けて、報むと思ふに、年すでに老ひにたり。豈に一身をもつて二姓に事(つか)へて、故主に下見せんや。朝に来たり、夕に来たりて誘(いざな)ふとも、出づべからず」と言ひて、まさに従はず。+この時、龔勝、深くこもり居ぬ。王莽、龔勝を講学に祭酒になして使はむとすれども、病のよしを答へてしたがはず。後に、大師の印綬をもつて、郡の守、龔勝が里に入りて詔を致す。重く煩へるよしを申して、東頭にして、朝服を着て、使に語りていはく、「われ、漢の厚恩受けて、報むと思ふに、年すでに老ひにたり。豈に一身をもつて二姓に事(つか)へて、故主に下見せんや。朝に来たり、夕に来たりて誘(いざな)ふとも、出づべからず」と言ひて、まさに従はず。
  
 また、仁承君といふ賢人あり。身をたばふ心ありて、王莽に従はずしてこもりぬ。しきりに召し出ださむとすれども、偽り清盲を作りて出でず。親しき踈き、皆まことと思へり。 また、仁承君といふ賢人あり。身をたばふ心ありて、王莽に従はずしてこもりぬ。しきりに召し出ださむとすれども、偽り清盲を作りて出でず。親しき踈き、皆まことと思へり。
text/mogyuwaka/ndl_mogyuwaka01-12.txt · 最終更新: 2017/10/23 22:56 by Satoshi Nakagawa