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text:kohon:kohon070 [2014/09/21 16:05]
Satoshi Nakagawa [第70話 関寺の牛の間の事]
text:kohon:kohon070 [2016/01/29 15:38] (現在)
Satoshi Nakagawa
ライン 8: ライン 8:
 ===== 校訂本文 ===== ===== 校訂本文 =====
  
-今は昔、左衛門の大夫、平の義清(のりきよ)が父、越後の守、その国より白き牛を得たり。年ごろ乗りて歩(あり)くほどに、清水なる僧に取らせて、また関寺の聖の関寺造るに、空車(むなぐるま)を持ちて、牛のなかりければ、この牛を聖に取らせつ。+今は昔、左衛門の大夫、平の義清(のりきよ)が父、越後の守((平中方))、その国より白き牛を得たり。年ごろ乗りて歩(あり)くほどに、清水なる僧に取らせて、また関寺の聖の関寺造るに、空車(むなぐるま)を持ちて、牛のなかりければ、この牛を聖に取らせつ。
  
 聖、このよしを言ひて、寺の木を引かす。木のある限り引き果てて後に、三井寺の前大僧正、夢に関寺に参り給ひけるに、御堂の前に白き牛繋ぎてあり。僧正、「こはなんぞの牛ぞ」と問ひ給へば、牛の言ふやう、「己は迦葉仏なり。しかるを、『この寺の仏を助けむ』とて、牛になりたるなり」と見て、夢覚めぬ。「心得ぬ夢かな」とおぼして、僧一人をもちて、関寺に「寺の木引く牛やある」と問ひに遣り給ふ。 聖、このよしを言ひて、寺の木を引かす。木のある限り引き果てて後に、三井寺の前大僧正、夢に関寺に参り給ひけるに、御堂の前に白き牛繋ぎてあり。僧正、「こはなんぞの牛ぞ」と問ひ給へば、牛の言ふやう、「己は迦葉仏なり。しかるを、『この寺の仏を助けむ』とて、牛になりたるなり」と見て、夢覚めぬ。「心得ぬ夢かな」とおぼして、僧一人をもちて、関寺に「寺の木引く牛やある」と問ひに遣り給ふ。
ライン 16: ライン 16:
 そのよしを申せば、驚き尊び給ひて、三井寺より多くの僧ども引き具して、関寺へ参り給ふ。牛を尋ね給ふに、見えず。問ひ給へば「飼ひに山の方へ遣はしつ。取りに遣はさむ」と言ひて、童を遣りつ。牛、童に違(ちが)ひて、御堂の後ろの方に来たり。「取りて率てこ」とのたまへば、取られず。僧正のかたじけながりて、「な取りそ。離れて歩かむを拝むべし」とて、拝み給ふと、僧どもも拝む。その時に、牛、御堂を三巡(みめぐ)り巡りて、仏の方に向ひて寄り臥しぬ。「稀有の事なり」と言ひて、聖はじめて、泣くこと限りなし。 そのよしを申せば、驚き尊び給ひて、三井寺より多くの僧ども引き具して、関寺へ参り給ふ。牛を尋ね給ふに、見えず。問ひ給へば「飼ひに山の方へ遣はしつ。取りに遣はさむ」と言ひて、童を遣りつ。牛、童に違(ちが)ひて、御堂の後ろの方に来たり。「取りて率てこ」とのたまへば、取られず。僧正のかたじけながりて、「な取りそ。離れて歩かむを拝むべし」とて、拝み給ふと、僧どもも拝む。その時に、牛、御堂を三巡(みめぐ)り巡りて、仏の方に向ひて寄り臥しぬ。「稀有の事なり」と言ひて、聖はじめて、泣くこと限りなし。
  
-それより後、世に広ごりて、京中の人、こぞりて詣でずといふことなし。入道殿より始め奉りて、殿ばら、上達部、参らぬなきに、小野宮右の大臣(おとど)のみぞ参り給はざりける。閑院のおほき大殿参り給ひて、下衆のやんごとなく多かりければ、車より降りて歩まむ。軽々(きやうきやう)におぼしければ、この寺に車に乗りながら入り給ふを、罪得がましくやおぼしけむ、縄を引き切りて、山ざまへ逃げて往ぬ。大殿、下りゐて、「乗りながらありつるを、『無礼(むらい)なり』とおぼして、この牛は逃げぬるなめり」と、悔い悲しみ給ふこと限りなし。+それより後、世に広ごりて、京中の人、こぞりて詣でずといふことなし。入道殿((藤原道長))より始め奉りて、殿ばら、上達部、参らぬなきに、小野宮右の大臣((藤原実資))のみぞ参り給はざりける。閑院のおほき大殿((藤原公季))、参り給ひて、下衆のやんごとなく多かりければ、車より降りて歩まむ。軽々(きやうきやう)におぼしければ、この寺に車に乗りながら入り給ふを、罪得がましくやおぼしけむ、縄を引き切りて、山ざまへ逃げて往ぬ。大殿、下りゐて、「乗りながらありつるを、『無礼(むらい)なり』とおぼして、この牛は逃げぬるなめり」と、悔い悲しみ給ふこと限りなし。
  
-その時に、かく懺悔(さんくゑ)し給ふを、「あはれ」とやおぼしけむ、やをら山から下り来て、牛屋の内に寄り臥しぬ。その折に大殿(おとど)、草を取りて牛に食はせ給ふ。牛、異草(ことくさ)は食はぬ心に、この草をくぐめば、大殿、直衣(なをし)の袖を顔にふたぎて、泣き給ふ。見る人も貴がりて泣く。鷹司殿の上、大殿の上も、皆参り給へり+その時に、かく懺悔(さんくゑ)し給ふを、「あはれ」とやおぼしけむ、やをら山から下り来て、牛屋の内に寄り臥しぬ。その折に大殿(おとど)、草を取りて牛に食はせ給ふ。牛、異草(ことくさ)は食はぬ心に、この草をくぐめば、大殿、直衣(なをし)の袖を顔にふたぎて、泣き給ふ。見る人も貴がりて泣く。鷹司殿の上((藤原道長室源倫子))、大殿の上((藤原公季室))も、皆参り給へり
  
 かくのごとく、四五日がほど、こぞりて参り集ふほどに、聖の夢に、この牛言ふやう、「今はこの寺の事し果てつ。明後日(あさて)の夕方帰りなんず」と言ふ。夢覚めて、泣き悲しみて、僧正候ふ房に参りて申すに、「この寺にも、かかる夢見て語る人ありつ。あはれなることかな」と言ひて、いみじう貴がり((底本「たうかり」))給ふ。その時に、よろづの人聞きつきて、いよいよ参ること、道の隙さりあふることなし。 かくのごとく、四五日がほど、こぞりて参り集ふほどに、聖の夢に、この牛言ふやう、「今はこの寺の事し果てつ。明後日(あさて)の夕方帰りなんず」と言ふ。夢覚めて、泣き悲しみて、僧正候ふ房に参りて申すに、「この寺にも、かかる夢見て語る人ありつ。あはれなることかな」と言ひて、いみじう貴がり((底本「たうかり」))給ふ。その時に、よろづの人聞きつきて、いよいよ参ること、道の隙さりあふることなし。


text/kohon/kohon070.txt · 最終更新: 2016/01/29 15:38 by Satoshi Nakagawa