text:kohon:kohon070
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text:kohon:kohon070 [2014/06/27 22:09] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:kohon:kohon070 [2014/06/28 02:54] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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この三井寺の仏は弥勒におはす。居丈は三尺なり。昔の仏は堂もこぼれ、仏も朽ち失せて、「昔の関寺の跡」など言ひて、御めしばかりを見て、昔の関寺の跡、知りたる人もあり、知らぬ人もあり。 | この三井寺の仏は弥勒におはす。居丈は三尺なり。昔の仏は堂もこぼれ、仏も朽ち失せて、「昔の関寺の跡」など言ひて、御めしばかりを見て、昔の関寺の跡、知りたる人もあり、知らぬ人もあり。 | ||
- | 横川の源信僧都、「もとのやうに造り建てむ。跡形もなくて、かくおはする、悲しきことなり。関の出で果てにおはすれば、よろづの国の人、拝まであるべきやうもなし。仏に向かひ奉りて、少し頭(かうべ)を傾けたる人、かならず仏になる。いかにいはむや、左右の掌(たなごころ)を合はせて、額に当てて、一専(いちせん)の心を起して拝む人は、当来の弥勒の世にかならず生まるべし。釈迦仏、かへすがへす説き給ふことなれば、仏の御法を信ぜん人は、疑ふべきにもあらず。要須(えうす)の寺なり」とおぼして、横川に〈えきう〉といひて、たううある僧に言ひつけて、知識引かせて、やうやう仏の御形に刻み奉る間、僧都失せ給ひて、この〈えきう〉聖、「故僧都の仰せ給ひしことなり」と言ひて、仏師〈かう上〉にも懇ろに語らひて造らせ給へる。 | + | 横川の源信僧都、「もとのやうに造り建てむ。跡形もなくて、かくおはする、悲しきことなり。関の出で果てにおはすれば、よろづの国の人、拝まであるべきやうもなし。仏に向かひ奉りて、少し頭(かうべ)を傾けたる人、かならず仏になる。いかにいはむや、左右の掌(たなごころ)を合はせて、額に当てて、一善の心を起して拝む人は、当来の弥勒の世にかならず生まるべし。釈迦仏、かへすがへす説き給ふことなれば、仏の御法を信ぜん人は、疑ふべきにもあらず。要須(えうす)の寺なり」とおぼして、横川に〈えきう〉といひて、たううある僧に言ひつけて、知識引かせて、やうやう仏の御形に刻み奉る間、僧都失せ給ひて、この〈えきう〉聖、「故僧都の仰せ給ひしことなり」と言ひて、仏師〈かう上〉にも懇ろに語らひて造らせ給へる。 |
僧都の仰せられしままに、二階(かい)に造りて、上の階(こし)から御顔は見え給へば、よろづの人、拝み奉る。 | 僧都の仰せられしままに、二階(かい)に造りて、上の階(こし)から御顔は見え給へば、よろづの人、拝み奉る。 | ||
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やうやう造るに、材木なども、はかばかしくも出で来ず、仏の御箔も、押し果てられ給はぬに、この牛仏拝み奉ると、よろづの物を具しつつ、この御寺に奉る物を取り集めて、堂並びに大門、また、余りたる物をば、僧房を造りて、その後にも、また物の余りたりければ、供養を設けて大会を行ひつ。それより後、にしきをひきつつ誦経を加ふ。 | やうやう造るに、材木なども、はかばかしくも出で来ず、仏の御箔も、押し果てられ給はぬに、この牛仏拝み奉ると、よろづの物を具しつつ、この御寺に奉る物を取り集めて、堂並びに大門、また、余りたる物をば、僧房を造りて、その後にも、また物の余りたりければ、供養を設けて大会を行ひつ。それより後、にしきをひきつつ誦経を加ふ。 | ||
- | おほよそ、その寺の仏を拝み奉らぬ人なし。一度も心をかけて拝む人は、かならず弥勒の世に生るへき業を作りかためつ、となむ。 | + | おほよそ、その寺の仏を拝み奉らぬ人なし。一度も心をかけて拝む人は、かならず弥勒の世に生るべき業を作りかためつ、となむ。 |
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text/kohon/kohon070.txt · 最終更新: 2016/01/29 15:38 by Satoshi Nakagawa