text:kohon:kohon065
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
次のリビジョン | 前のリビジョン | ||
text:kohon:kohon065 [2014/06/18 03:11] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:kohon:kohon065 [2014/09/21 13:30] (現在) – [第65話 信濃国の聖の事] Satoshi Nakagawa | ||
---|---|---|---|
行 1: | 行 1: | ||
+ | 古本説話集 | ||
====== 第65話 信濃国の聖の事 ====== | ====== 第65話 信濃国の聖の事 ====== | ||
- | **信濃国聖事((下巻目録に標題がないため、『宇治拾遺物語』によって補った。))** | + | **信濃国聖事((下巻目録に標題がないため、『宇治拾遺物語』目録によって補った。))** |
**信濃国の聖の事** | **信濃国の聖の事** | ||
行 7: | 行 8: | ||
===== 校訂本文 ===== | ===== 校訂本文 ===== | ||
- | 作成中 | + | 今は昔、信濃の国に法師ありけり。さる田舎にて法師になりにければ、また受戒(ずかい)もせで、「いかで京に上りて、東大寺といふ所に参りて受戒せん」と思ひて、かまへて上りて受戒してけり。 |
+ | |||
+ | さて、「もとの国へ帰らむ」と思ひけれど、「よしなし。さる無仏世界のやうなる所に行かじ。ここに居なむ」と思ふ心つきて、東大寺の仏の御前に候ひて、「いづくにか行ひして、のどやかに住みぬべき所」とよろづの所を見回しければ、未申の方に山かすかに見ゆ。「そこに行ひて住まむ」と思ひて、行きて、山の中に、えもいはず行ひて過すほどに、すずろに小さやかなる厨子仏を行ひ出でたりければ、そこに小さき堂を建てて、据ゑ奉りて、えもいはず行なひて、年月を経るほどに、山里に下衆に人とて、いみしき徳人ありけり。 | ||
+ | |||
+ | そこに僧の鉢は常に飛び行きつつ、物は入りて来けり。大きなる校倉のあるを開けて、物取り出でさするほどに、この鉢飛びて、例の物乞ひに来たりけるを、「例の鉢来にたり。ゆゆしく、ふくつけき鉢よ」とて、取りて、倉の隅に投げ置きて、とみに物も入れざりければ、鉢は待ち居たりけるほどに、物どもしたため果てて、この鉢を忘れて、物も入れず、取りも出でで、倉の戸をさして、主、帰りぬるほどに、とばかりて、この倉、すずろにゆさゆさと揺るぐ。 | ||
+ | |||
+ | 「いかにいかに」と見騒ぐほどに、揺るぎ揺るぎして、土より一尺ばかり揺るぎ上がる時に、「こはいかなることぞ」と怪しがり騒ぐ。「まこと、まこと、ありつる鉢を忘れて、取り出でずなりぬれ。それがけにや」など言ふほどに、この鉢、倉より漏り出でて、この鉢に倉載りて、ただ上りに、空ざまに一・二尺ばかり上る。 | ||
+ | |||
+ | さて、飛び上るほどに、人々、見ののしり、あさみ、騒ぎ合ひたり。倉主もさらにすべきやうもなければ、「この倉の行かむ所を見む」とて、尻に立ちて行く。そのわたりの人々、皆行きけり。 | ||
+ | |||
+ | さて見れば、やうやう飛びて、河内(かうち)の国に、この聖の行ふ傍らに、どうと落ちぬ。「いといとあさまし」と思ひて、さりとて、あるべきならねば、聖のもとにこの倉主寄りて申すやう、「かかるあさましきことなむ候ふ。この鉢の常に詣(ま)で来れば、物入れつつ参らするを、今日、まぎらはしく候ひつるほどに、倉に置きて忘れて、取りも出でで、錠をさして候ひければ、倉ただ揺るぎに揺るぎて、ここになむ飛びて詣で来て、落ち立ちて候ふ。この倉返し給ひ候はん」と申す時に、「まことに怪しきことなれど、さ飛びて来にければ、倉はえ返し取らせじ。ここにもかやうの物も無きに、をのづからさやうの物も置かん。よしよし、内ならむ物は、さながら取れ」とのたまへば、主の言ふやう、「いかにしてか、たちまちには運び取り候ふべからむ。物千石積みて候ひつるなり」と言へば、「それはいとやすき事なり。たしかに、我運びて取らせむ」とて、この鉢に米一俵(ひとたわら)を入れて飛すれば、雁(かり)などの続きたるやうに、残りの米ども、続きたり。群雀(むらすずめ)などのやうに飛び続きたるを見るに、いといとあさましく貴ければ、主の言ふやう、「しばし皆な遣(つか)はしそ。米二三百は留めて使はせ給へ」と言へば、聖、「あるましきことなり。それ、ここに置きては、何にかせん」と言へば、「さは、ただ使はせ給ふばかり、十廿をも」と言へど、「さまでも、要るべき事あらばこそ留めめ」とて、主の家にたしかに皆落ちゐにけり。 | ||
+ | |||
+ | かやうに貴く行なひて過ぐすほどに、その頃、延喜の御門、重くわづらはせ給ひて、さまざまの御祈りども、御修法(ずをう)、御読経など、よろづにせらるれど、さらにえ怠らせ給はず。ある人の申すやう、「河内に信貴(しんぎ)と申す所に、この年ごろ行ひて里へ出づる事もせぬ聖候ふなり。それこそ、いみじく貴く、験(しるし)ありて、鉢を飛ばし、さて居ながらよろづの有難きことをし候ふなれ。それを召して祈らせさせ候はば、怠らせ給ひなむかし」と申せば、「さは」とて、蔵人を使ひにて召しに遣はす。 | ||
+ | |||
+ | 行きて見るに、聖のさま、ことに貴くめでたし。「かうかう宣旨にて召すなり」とて参るべきよしいへば、聖、「何しに召すぞ」とて、さらに動きげもなければ、「かうかう候ふ。御悩の大事におはします。祈り参らせ給はむに」と言へば、「それは、ただ今参らずとも、ここながら祈り参らせ候はん」と言はば、「さては、もし怠らせおはしましたりとも、いかて聖の験とは知るべき」と言へば、「それは誰(た)が験といふこと知らせ給はずとも、ただ御心地だに怠らせ給ひなば、よく候ひなん」と言へば、御使の蔵人、「さるにても、いかでか数多(あまた)の御祈りの中にも、その験と見えんこそよからめ」と言へば、「さらば祈り参らせん。止ませ給へらば、剣の護法(ごをう)と申す護法を参らせむに、おのづから御夢にも幻にも御覧ぜば、さとへ知らせ給へ。剣を編みつつ衣(きぬ)に着たる護法(ごう)なり。さらに、京へはえ出でじ」と言へば、勅使の使ひ帰り参りて、「かうかう」と申すほどに、三日といふ昼つかた、きとまどろませ給ふともなきに、きらきらとある物見えさせ給へば、「いかなる人にか」とて御覧ずれば、「あの聖の言ひけむ護法なり」とおぼしめすより、御心地、さはさはとなりて、いささか心苦しきこともなくて、例ざまにならせ給ひにければ、人々喜び、聖をも貴がり、賞であひたり。 | ||
+ | |||
+ | 御門、御心地にも、めでたく貴くおぼしめせば、人遣はす。「僧都・僧正にやなるべき。また、その寺に御庄なとをや寄すべき」と仰せ遣はす。聖、承りて、「僧都・僧正、さらに候ふまじきこと。また、かかる所に庄など、数多よりぬれば、別当・なにくれなど出できて、中々むつかしく、罪得がましきこと出で来(く)。ただ、かくて候はん」とてやみにけり。 | ||
+ | |||
+ | かかるほどに、この聖の姉ぞ一人ありける。この聖、「受戒(ずかい)せむ」とて、上りけるままに、かくて年ごろ見えねば、「あはれ、この小院(こゐむ)、『東大寺にて受戒せむ』とて上りしままに見えぬ。かうまて年ごろ見えぬ。いかなるならむ」とおぼつかなきに、「尋ねて来ん」とて、上りて山階寺・東大寺のわたりを尋ねけれど、「いざ知らず」とのみ言ふなる。 | ||
+ | |||
+ | 人ごとに、「命蓮小院(まうれんこゐん)といふ人やある」と問へど、「知りたり」と言ふ人なければ、尋ねわびて、「いかにせむ。これが有様(ありさま)聞きてこそ帰らめ」と思ひて、その夜、東大寺の大仏の御前に候ひて、夜一夜、「この命蓮が有所教へさせおはしませ」と申しけり。 | ||
+ | |||
+ | 夜一夜申して、うちまどろみたる夢に、この仏、仰せらるるやう、「尋ぬる僧のある所は、これより西の方に、南に寄りて、未申の方に((以下、底本脱文。[[text: | ||
+ | |||
+ | 「いつしか、とく夜の明けかし」と思ひて見ゐたれば、ほのぼのと明方になりぬ。未申の方を見やりたれば、山かすかに見ゆるに、紫の雲たなびきたり。 | ||
+ | |||
+ | うれしくて、そなたを指して行きたれば、まことに堂などあり。人ありと見ゆる所へ寄りて、「命蓮小院やいまする」と言へば、「誰そ」とて出でて見れば、信濃なりしわが姉なり。「こは、いかにして尋ねいましたるぞ。思ひがけず」と言へば、ありつる有様を語る。 | ||
+ | |||
+ | 「さて、いかに寒くておはしつらん。これを着せ奉らんとて、持たりつる物なり」とて、引き出でたるを見れば、ふくたいといふ物を、なべてにも似ず太き糸して、厚々(あつあつ)と細かに強げにしたるを持てきたり。悦びて、取りて着たり。もとは紙衣一重をぞ着たりける。さて、いと寒かりけるに、これを下に着たりければ、暖かにてよかりけり。 | ||
+ | |||
+ | さて、おほくの年ごろおこなひけり。さて、この姉の尼ぎみももとの国へ帰ずとまりゐて、そこにおこなひてぞありける。 | ||
+ | |||
+ | さて、おほくの年ごろ、この((『宇治拾遺物語』からの補入はここまで。))ふくたいをのみ着て行ひければ、果てにはやれやれとなしてありけり。 | ||
+ | |||
+ | 鉢に載りて来たりし倉をば「飛び倉」とぞいひける。その倉にぞ、ふくたいの破(や)れなどは納め、まだにあんなる。その破れの端をつゆばかりなど、をのづから縁にふれて得たる人は守(まぼ)りにしける。その倉も朽ち破(やぶ)れていまだあなり。その木の端をつゆばかり得たる人は守りにし、毘沙門(びさもん)を造り奉りて、持(ぢ)し奉る人は、必ず徳付かぬはなかりけり。されば、人もかまへてその縁を尋ねて、その倉の折れの木の端をば買ひ取りける。 | ||
+ | |||
+ | さて、信貴(しんぎ)とて、えもいはず験じ給ふ所にて、今に人々明け暮れ参る。この毘沙門は命蓮聖の行ひ出で奉りたりけるとか。 | ||
===== 翻刻 ===== | ===== 翻刻 ===== | ||
行 45: | 行 82: | ||
いててこのはちにくらのりてたたのほりにそらさま | いててこのはちにくらのりてたたのほりにそらさま | ||
に一二尺はかりのほるさてとひのほる程に人々 | に一二尺はかりのほるさてとひのほる程に人々 | ||
- | みののしりあさみさはきあひてりくらぬしもさら | + | みののしりあさみさはきあひたりくらぬしもさら |
にすへきやうもなけれはこのくらのいかむ所をみむとて/b238 e122 | にすへきやうもなけれはこのくらのいかむ所をみむとて/b238 e122 | ||
しりにたちていくそのわたりのひとひとみないきけり | しりにたちていくそのわたりのひとひとみないきけり | ||
さてみれはやうやうとひてかうちのくににこのひし | さてみれはやうやうとひてかうちのくににこのひし | ||
- | りのおこなふかたわらにとうとをりぬいといと | + | りのおこなふかたわらにとうとをちぬいといと |
あさましと思ひてさりとてあるへきならねはひし | あさましと思ひてさりとてあるへきならねはひし | ||
りのもとにこのくらぬしよりて申やうかかるあさま | りのもとにこのくらぬしよりて申やうかかるあさま | ||
行 56: | 行 93: | ||
れつつまいらするをけふまきらはしく候つるほとにくら | れつつまいらするをけふまきらはしく候つるほとにくら | ||
にをきてわすれてとりもいててしやうをさして候 | にをきてわすれてとりもいててしやうをさして候 | ||
- | けれはくらたたゆるきにゆるきてここなむとひてま | + | けれはくらたたゆるきにゆるきてここになむとひてま |
うてきてをちたちて候このくらかへし給候はんと申/b239 e122 | うてきてをちたちて候このくらかへし給候はんと申/b239 e122 | ||
行 70: | 行 107: | ||
めなとのやうにとひつつきたるをみるにいといとあさま/b240 e123 | めなとのやうにとひつつきたるをみるにいといとあさま/b240 e123 | ||
- | たうとけれはぬしのいふやうしはしみなな | + | |
つかはしそこめ二三百はととめてつかはせ給へ | つかはしそこめ二三百はととめてつかはせ給へ | ||
といへはひしりあるましきこと也それここにおき | といへはひしりあるましきこと也それここにおき | ||
行 76: | 行 113: | ||
十廿をもといへとさまてもいるへき事あらはこそとと | 十廿をもといへとさまてもいるへき事あらはこそとと | ||
めめとてぬしの家にたしかにみなをちゐにけ | めめとてぬしの家にたしかにみなをちゐにけ | ||
- | りかやうにたうとくおこなひてすくすほとにそのこ | + | りかやうにたうとくおこなひてすくすほとにそのこ |
- | | + | |
いのりとも御すをう御と経なとよろつにせらるれと | いのりとも御すをう御と経なとよろつにせらるれと | ||
さらにえをこたらせ給はすあるひとの申やうかうちに/b241 e123 | さらにえをこたらせ給はすあるひとの申やうかうちに/b241 e123 | ||
行 111: | 行 148: | ||
なりていささか心くるしきこともなくてれいさまに | なりていささか心くるしきこともなくてれいさまに | ||
ならせ給にけれは人々よろこひひしりをもたうとかり | ならせ給にけれは人々よろこひひしりをもたうとかり | ||
- | めてあひたり御かと御心ちにもめてたくたうとくは | + | めてあひたり御かと御心ちにもめてたくたうとくお |
ほしめせはひとつかはす僧都僧正にやなるへき/b244 e125 | ほしめせはひとつかはす僧都僧正にやなるへき/b244 e125 | ||
又そのてらに御庄なとをやよすへきとおほせつかは | 又そのてらに御庄なとをやよすへきとおほせつかは | ||
すひしりうけ給はりて僧都僧正さらに候ましき | すひしりうけ給はりて僧都僧正さらに候ましき | ||
- | ことまたかかるところにさうなとあまたよりにれは | + | ことまたかかるところにさうなとあまたよりぬれは |
別当なにくれなといてきて中々むつかしくつみえ | 別当なにくれなといてきて中々むつかしくつみえ | ||
- | かましきこといててたたかくて候はんとてやみに | + | かましきこといてくたたかくて候はんとてやみに |
- | けりかかるほとにこのひしりのあねそ一人あり | + | けりかかるほとにこのひしりのあねそ一人あり # |
けるこのひしりすかいせむとてのほりけるままに | けるこのひしりすかいせむとてのほりけるままに | ||
かくてとしころみえねはあはれこのこゐむとうたい | かくてとしころみえねはあはれこのこゐむとうたい | ||
行 127: | 行 164: | ||
たつねてこんとてのほりてやましなてらとうたい | たつねてこんとてのほりてやましなてらとうたい | ||
しのわたりをたつねけれといさしらすとのみいふなる | しのわたりをたつねけれといさしらすとのみいふなる | ||
- | ひところにまうれんこゐんといふ人やあるととへとしり | + | ひとことにまうれんこゐんといふ人やあるととへとしり |
たりといふ人なけれはたつねわひていかにせむこれか | たりといふ人なけれはたつねわひていかにせむこれか | ||
ありさまききてこそかへらめと思ひてその夜東大寺 | ありさまききてこそかへらめと思ひてその夜東大寺 | ||
行 133: | 行 170: | ||
ところをしへさせおはしませと申けりよひと | ところをしへさせおはしませと申けりよひと | ||
よ申てうちまとろみたるゆめにこのほとけお | よ申てうちまとろみたるゆめにこのほとけお | ||
- | ほせらるるやうたつぬる僧のある有ところはこれより | + | ほせらるるやうたつぬる僧のあるところはこれより |
にしのかたにみなみによりてひつしさるのかたに/b246 e126 | にしのかたにみなみによりてひつしさるのかたに/b246 e126 | ||
- | | + | |
となしてありけりはちにのりてきたりしくら | となしてありけりはちにのりてきたりしくら | ||
をはとひくらとそいひけるそのくらにそふくたいの | をはとひくらとそいひけるそのくらにそふくたいの |
text/kohon/kohon065.txt · 最終更新: 2014/09/21 13:30 by Satoshi Nakagawa