text:kohon:kohon052
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text:kohon:kohon052 [2014/09/21 13:25] – [第52話 極楽寺の僧、仁王経の験を施す事] Satoshi Nakagawa | text:kohon:kohon052 [2016/01/29 15:05] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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===== 校訂本文 ===== | ===== 校訂本文 ===== | ||
- | 今は昔、堀河の太政大臣と申す人、世心地、大事にわづらひ給ひければ、御祈りども、さまざまにせらる。世にある僧ども、参らぬはなし。参りて御祈りどもす。殿中騒ぐこと限りなし。 | + | 今は昔、堀河の太政大臣((藤原基経))と申す人、世心地、大事にわづらひ給ひければ、御祈りども、さまざまにせらる。世にある僧ども、参らぬはなし。参りて御祈りどもす。殿中騒ぐこと限りなし。 |
- | 極楽寺はこの殿の造り給へる所なり。その寺に住みける僧ども、「御祈りせよ」といふ仰せもなかりければ、御しんにも召さず。このときに僧どもの、「御寺にやすく住むことは、殿の御徳にてこそあれ。殿失せ給ひなば、世にあるべきやうもなく」おぼえければ、年ごろ持ち奉りたりける仁王経を具して、殿に参りて、人騒がしかりけれども、中門の北の廊の隅に屈まりゐて、つゆ目も見かくる人も無きに、二時(とき)ばかりありて、殿の仰せらるるやう、「極楽寺になにがし大徳(だいとこ)やある」と仰せられければ、「中門の脇の廊になん候ふ」と申しければ、「それ、こなたへ呼べ」と仰せらるるに、人々、「あやし」と思ひて、「そこばくの僧を召すことなし。参りてゐたるをよしなし」と見ゐたるほどに、かく仰せられて、召しあれば、心も得ねども、召すよしを言へば参る。 | + | 極楽寺はこの殿の造り給へる所なり。その寺に住みける僧ども、「御祈りせよ」といふ仰せもなかりければ、御しんにも召さず。このときに僧どもの、「御寺にやすく住むことは、殿の御徳にてこそあれ。殿失せ給ひなば、世にあるべきやうもなく」思えければ、年ごろ持ち奉りたりける仁王経を具して、殿に参りて、人騒がしかりけれども、中門の北の廊の隅にかがまりゐて、つゆ目も見かくる人も無きに、二時(とき)ばかりありて、殿の仰せらるるやう、「極楽寺になにがし大徳(だいとこ)やある」と仰せられければ、「中門の脇の廊になん候ふ」と申しければ、「それ、こなたへ呼べ」と仰せらるるに、人々、「あやし」と思ひて、「そこばくの僧を召すことなし。参りてゐたるをよしなし」と見ゐたるほどに、かく仰せられて、召しあれば、心も得ねども、召すよしを言へば参る。 |
- | 僧どもの、つき並びたる後ろの縁に屈まりゐたり。「さてある」と問ひ給ひければ、南の簀子(すのこ)に候ふよし申せば、「呼び入れよ」とて、御殿籠りたる所へ召し入る。むげに物も仰せられず、重くおはします御心ちに、この僧めすほどの御気色の、こよなくよろしくおぼえさせ給ふめり。 | + | 僧どもの、つき並びたる後ろの縁にかがまりゐたり。さて、「ある」と問ひ給ひければ、南の簀子(すのこ)に候ふよし申せば、「呼び入れよ」とて、御殿籠りたる所へ召し入る。むげに物も仰せられず、重くおはします御心ちに、この僧召すほどの御気色の、こよなくよろしく思えさせ給ふめり。 |
- | 入れて、御枕の几帳のほどに候ふに、仰せらるるやう、「眠(ねぶ)りたりつる夢に、我が辺りに恐しげなる鬼どもの、我身をとりどりに打ち凌じつるほどに、びんづら結いたる童の、楚(すはへ)持ちたるが、中門の方より入り来て、楚してこの鬼どもを片端より打ち払ひつれば、『何物のかくはするぞ』と問ひつれば、『極楽寺に候ふ某(それがし)が、わづらはせ給こと、いみじく嘆きき申して、年ごろ読み奉る仁王経を、必ず必ず験あらせ給へと念じて、中門の脇の内につとめてより候ひて、仁王経読み奉るあひだ、一文字も異(こと)事を思はず、ひとへに念じ読み奉る験の現はれて、その護法(ごをう)のつけんに候はん。『悪しき者ども、払はん』と、般若の仰せ給ひつれば、追い給ひ候ふなり』と答ふるを、貴しと思ひ、おどろきたるに、掻い拭(のご)ふやうに、さはやみたれば、『まことに参りて、経読むか』と問はせ給ひつるに、『今朝よりあり』と聞けば、喜び言はんとて」。手をすりて拝ませ給ふ。 | + | 入れて、御枕の几帳のほどに候ふに、仰せらるるやう、「眠(ねぶ)りたりつる夢に、我が辺りに恐しげなる鬼どもの、我身をとりどりに打ち凌じつるほどに、びんづら結いたる童の、楚(すはへ)持ちたるが、中門の方より入り来て、楚してこの鬼どもを片端より打ち払ひつれば、『何物のかくはするぞ』と問ひつれば、『極楽寺に候ふ某(それがし)が、わづらはせ給こと、いみじく嘆き申して、年ごろ読み奉る仁王経を、『必ず必ず験あらせ給へ』と念じて、中門の脇の内に、つとめてより候ひて、仁王経読み奉るあひだ、一文字も異(こと)事を思はず、ひとへに念じ読み奉る験の現はれて、その護法のつけんに候はん。『悪しき者ども、払はん』と、般若の仰せ給ひつれば、追い給ひ候ふなり』と答ふるを、貴しと思ひ、おどろきたるに、掻い拭(のご)ふやうに、さはやみたれば、『まことに参りて、経読むか』と問はせ給ひつるに、『今朝よりあり』と聞けば、喜び言はんとて」。手をすりて拝ませ給ふ。 |
- | 御衣架に懸かりたる御衣(ぞ)を召して、かづけさせ給ひて、「すみやかに寺に帰りて御祈りよくよくせよ」と仰せらるれば、喜びてまかり出づるほどに、僧俗の見合ひたるほど、いみじくやむごとなし。中門の脇に終日(ひめもす)に眠(ねぶ)りいたりつるおぼえなさに思ひ比ぶるに、いみしく貴し。 | + | 御衣架に懸かりたる御衣(ぞ)を召して、かづけさせ給ひて、「すみやかに寺に帰りて御祈りよくよくせよ」と仰せらるれば、喜びてまかり出づるほどに、僧俗の見合ひたるほど、いみじくやむごとなし。中門の脇に終日(ひめもす)に眠(ねぶ)りいたりつるおぼえなさに思ひくらぶるに、いみじく貴し。 |
寺に帰りたるに、僧、思ひたる気色、ことのほかなり。 | 寺に帰りたるに、僧、思ひたる気色、ことのほかなり。 | ||
- | 人の祈りは貴きも汚きも、ただよく心に入りたるが験あるなり。されば、「母の尼して祈りはすべし」と昔より言ひ置きたることなり。 | + | 人の祈りは、貴きも汚きも、ただよく心に入りたるが験あるなり。されば、「母の尼して祈りはすべし」と昔より言ひ置きたることなり。 |
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text/kohon/kohon052.txt · 最終更新: 2016/01/29 15:05 by Satoshi Nakagawa