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text:kohon:kohon047 [2014/09/17 00:02] – [第47話 興福寺建立の事] Satoshi Nakagawatext:kohon:kohon047 [2016/01/29 14:25] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 ===== 校訂本文 ===== ===== 校訂本文 =====
  
-今は昔、山階寺焼けぬ。この寺の仏は、丈六の釈迦(さか)仏におはします。昔、鎌足の大臣(おとど)の子孫のために造り給ひて、北山階に堂を建てて安置し給へり。されは山階寺とは所変れどもいふなり。+今は昔、山階寺((興福寺))焼けぬ。この寺の仏は、丈六の釈迦(さか)仏におはします。昔、鎌足の大臣(おとど)((藤原鎌足))の子孫のために造り給ひて、北山階に堂を建てて安置し給へり。されは山階寺とは所変れどもいふなり。
  
-天智天皇の、粟津の宮こに、御門おはしますあひだに造らるるなり。その大臣(おとど)の御子に不比等の大臣の御時に、今の山階寺の所に造り移されたるなり。三百余歳になりて焼けしなり。それを当時の御世に造らせ給へるなり。+天智天皇の、粟津のに、御門おはしますあひだに造らるるなり。その大臣(おとど)の御子に不比等の大臣((藤原不比等))の御時に、今の山階寺の所に造り移されたるなり。三百余歳になりて焼けしなり。それを当時の御世に造らせ給へるなり。
  
-かの御寺の地は、異(こと)所よりは地の体(てい)亀の甲のやうに高ければ、井を掘れども水出でこず。されば、春日野より流るる水、寺の内に掘り入れて、よろづの房の内へも流し入れつつ、一寺(ひとてら)の人は使ふなり。それに、この御堂の廻り廊中門の北の講堂((底本「かはたう」))西の西金堂南の南円堂東(ひんがし)の東金堂食堂細殿北室の上(かむ)の階(しな)の僧坊西室東室中室の大小房どもの壁塗るに、国々の夫、多く集まりて水を汲むに、二三町のほどなれば、汲みもやらねば、え塗りもやらで、ことの離(さか)るに、夕立の少ししけるに、講堂の西の方に、庭の少し窪みたるに、溜り水のただ少ししたるを、壁塗りの寄りて、その水を汲みつつ、壁土に混ずとて汲むに、尽きもせず水のあれば、あやしがりて少しばかり掻い掘りて、水底より水湧き出づ。+かの御寺の地は、異(こと)所よりは地の体(てい)亀の甲のやうに高ければ、井を掘れども水出でこず。されば、春日野より流るる水、寺の内に掘り入れて、よろづの房の内へも流し入れつつ、一寺(ひとてら)の人は使ふなり。それに、この御堂の廻り廊中門の北の講堂((底本「かはたう」))西の西金堂南の南円堂東(ひんがし)の東金堂食堂細殿北室の上(かむ)の階(しな)の僧坊西室東室中室の大小房どもの壁塗るに、国々の夫、多く集まりて水を汲むに、二三町のほどなれば、汲みもやらねば、え塗りもやらで、ことの離(さか)るほどに、夕立の少ししけるに、講堂の西の方に、庭の少し窪みたるに、溜り水のただ少ししたるを、壁塗りの寄りて、その水を汲みつつ、壁土に混ずとて汲むに、尽きもせず水のあれば、あやしがりて少しばかり掻い掘りて、水底より水湧き出づ。
  
-稀有がりて、方二三尺、深さ一尺余ばかり掘りたれば、まことに出づる水なり。それをそこそばくの壁の料に汲むに、水尽きもせず。+稀有がりて、方二三尺、深さ一尺余ばかり掘りたれば、まことに出づる水なり。それをそこそばくの壁の料に汲むに、水尽きもせず。
  
 さて、その水をもちて、多くの壁を塗れば、遠く汲みしよりは、ことただなりになりぬれば、「さるべくて、出でくる水なり」と、御寺の僧どもも、石畳をして、屋を造り覆ひて、今に井にてあれば、稀有のことにする。その一つなり。 さて、その水をもちて、多くの壁を塗れば、遠く汲みしよりは、ことただなりになりぬれば、「さるべくて、出でくる水なり」と、御寺の僧どもも、石畳をして、屋を造り覆ひて、今に井にてあれば、稀有のことにする。その一つなり。
  
-また、供養の日の寅の時に、仏渡り給ふに、空つつ闇になり、曇りて星も見えねば、「何をしるしにてか、時をはからはすきやうもなし」など言ふほどに、風も吹かぬに、御堂の上にあたりて、雲、方四五丈ばかり晴れて、七星きらきらと見え給ふ。それをもちて時をはかる。寅二つになりにけり。喜びながら、仏渡り給ひぬ。空は星も見せで、すなはち、もとのやうに暗がりぬ。これ稀有のなり。+また、供養の日の寅の時に、仏渡り給ふに、空つつ闇になり、曇りて星も見えねば、「何をしるしにてか、時をはからはすきやうもなし」など言ふほどに、風も吹かぬに、御堂の上にあたりて、雲、方四五丈ばかり晴れて、七星きらきらと見え給ふ。それをもちて時をはかる。寅二つになりにけり。喜びながら、仏渡り給ひぬ。空は星も見せで、すなはち、もとのやうに暗がりぬ。これ稀有のことなり。
  
-仏渡り給ひて、天蓋を吊るに、仏師定朝(てう)がいはく、「蓋は覆いなる物なれば、吊り金ども打ちつけん料に、組入(くみれ)の上に横ざまに、尺九寸の木の、長さ二丈五尺ならん、三筋渡すべかりけり。思ひ忘れて、兼ねて申さざりけり。いかがせんずる」。「ただ今上げば、あなない結ふべし。また壁ども、所々こぼつべし」。「さらば、多くの物ども損じて、今日の供養にしあはすべきにあらず。いかにせん」とののしりあひたるに、大工吉忠(よしただ)、中の間造る長(をさ)にていはく、「中の間の梁(うつばり)の上に上げ過ぐして、尺九寸の木の三丈なるをこそ、三筋あげて候へ。『勘当やある』とて、申さざりつるなり。それも天蓋に吊らんほどに当りてや候ふらん」と言へば、「いみじきことかな」と言ひて、仏師を上にのぼせて、「いかやうにか、その木は置かれたる」と見すれば、仏師のぼりて、見て帰りていはく、「つぶと当たりて候ふ。塵ばかりも直すべからず」と言へば、天蓋の吊り金ども通して、打ち、吊るに、つゆ筋違(すじか)たることなし。これまた稀有のことなり。+仏渡り給ひて、天蓋を吊るに、仏師定朝(てう)がいはく、「蓋は覆いなる物なれば、吊り金ども打ちつけん料に、組入(くみれ)の上に横ざまに、尺九寸の木の、長さ二丈五尺ならん、三筋渡すべかりけり。思ひ忘れて、兼ねて申さざりけり。いかがせんずる」。「ただ今上げば、あなない結ふべし。また壁ども、所々こぼつべし」。「さらば、多くの物ども損じて、今日の供養にしあはすべきにあらず。いかにせん」とののしりあひたるほどに、大工吉忠(よしただ)、中の間造る長(をさ)にていはく、「中の間の梁(うつばり)の上に上げ過ぐして、尺九寸の木の三丈なるをこそ、三筋あげて候へ。『勘当やある』とて、申さざりつるなり。それも天蓋に吊らんほどに当りてや候ふらん」と言へば、「いみじきことかな」と言ひて、仏師を上にのぼせて、「いかやうにか、その木は置かれたる」と見すれば、仏師のぼりて、見て帰りていはく、「つぶと当たりて候ふ。塵ばかりも直すべからず」と言へば、天蓋の吊り金ども通して、打ち、吊るに、つゆ筋違(すじか)たることなし。これまた稀有のことなり。
  
 「世の末になりたれども、〓((底本「本」と傍注あり。添付画像参照))はことまことなれば、かくあらたに験(しるし)はある物なりけり。まいて、目に見えぬ御功徳、いかばかりならん」と、世の人も仰(あふ)ぎ拝み奉るなりけり。 「世の末になりたれども、〓((底本「本」と傍注あり。添付画像参照))はことまことなれば、かくあらたに験(しるし)はある物なりけり。まいて、目に見えぬ御功徳、いかばかりならん」と、世の人も仰(あふ)ぎ拝み奉るなりけり。
text/kohon/kohon047.txt · 最終更新: 2016/01/29 14:25 by Satoshi Nakagawa