安倍中麿事

阿倍仲麻呂の事

今は昔、阿倍仲麻呂が唐土に遣ひにて渡りけるに、この国のはかなきことにつけて思出でられて、恋ひしく悲しくおぼゆるに、月のえもいはず明かきに、この国の方を眺めて、思ひすまして詠める。

　　天の原ふりさけ見れは春日なる三笠の山に出でし月かも

となむ、詠みて泣きける。

いまはむかしあへのなかまろかもろこし
につかひにてわたりけるにこのくにのはかなき
ことにつけて思いてられてこひしくかなし
くおほゆるに月のえもいはすあかきに
この国のかたをなかめて思ひすましてよめる
  あまのはらふりさけみれはかすかなる
  みかさの山にいてし月かも
となむよみてなきける／b120 e61