text:kohon:kohon028
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text:kohon:kohon028 [2014/05/18 18:51] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:kohon:kohon028 [2014/05/20 03:19] – Satoshi Nakagawa | ||
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===== 校訂本文 ===== | ===== 校訂本文 ===== | ||
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+ | 今は昔、五条わたりに古宮原の御子、兵部の大輔なる人おはしけり。心ばえあてに、古めかしければ、世にさし出でもせず、父(てて)宮の御家のこ高う大きなるに、あばれ残りたる東(ひんがし)の対(たい)にぞ住み給ひける。 | ||
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+ | 年は五十余になりぬるに、娘の十余ばかりなるが、えもいはずをかしげなる、髪よりはじめ、姿・様体(やうたい)、ここはと見ゆるところなく、心ばへ、けはひ、らうたげに美し。人様のかくめでたければ、さるべき公達(きみたち)などにあはせ給へらむに、おろかにつゆ思ふべきにもあらず。 | ||
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+ | 世に人、かくめでたしともえ知らざりければ、ことに言ふ人の無きままに、「これには、いかえか進みては言はむ。今言ふ人あらば」など、古めかしうおぼしつつみておはするに、気高き交らひもせさせまほしうおぼせど、かくうちあらぬ身のありさまなれば、思ひもかけず、心にかかりて、父(てて)も母も、ただ二人のなかに臥せて教ふることをのみなむ、し給ひける。 | ||
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+ | 乳母の心ばへのふさはしからずのみありければ、「我らが年は老いにたり。頼むべき乳母の心ばへ、うち解くべくもあらず。たのむべき兄人(せうと)だにあらば、うしろめたなくおぼゆまじきを」。ただ二所(ふたところ)して嘆き給ふ事より他になし。 | ||
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+ | かかるほどに、父・母うちつづき失せ給ひぬれば、姫君の御心、ただ推し量るべし。あはれに悲しく置き所なくおぼさるる事、例へむ方なし。はかなくて、服なと脱ぎつ、明け暮れ親たちのうしろめたなき物にのたまひしかば、この乳母、うちも解けられず、何となくて、年来経るほどに、さるべき調度どもも、あまたありしかど、この乳母、人に言ひほらされて、はかもなく、やうやうし失いつ。世の中にあるべくもあらず、心細くおぼゆる事限りなし。 | ||
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+ | かくてあるほどに、乳母言ふやう、「おのが兄人なる法師に付けて、言はせ給ふなり。某(なにがし)の前司の御子の、年十余歳ばかりなるが、かたちも良く、心ばへも良きにおはすなり。父殿は受領におはすれど、近き上達部の子にて、貴(あて)なる人なり。通ひ給はむに、賤しかるべき人にもあらず。かくて心すごくておはしますよりは」など言ふ。姫君は髪を振りかけて泣き給ふより他の事なし。 | ||
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+ | 乳母、かくて文たびたびとり伝ふれど、姫君、見も入れ給はず。ことわりなり。女房などに、姫君の御文とおぼしく、返り事はしつつやる。文、たびたびになりぬれば、その日と定めて来させつ。来初めぬれば、いふかひなくて通ひ歩かす。女の御有様は、かくめでたうおはすれば、男のこころざし、思ひ聞こえさする事、ことはりなり。また男君も、さすがに貴(あて)人の子なれば、けはひも貴やかに、有様ことに細やかにて、貴になむありける。 | ||
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+ | 頼もしき人も無きままに、頼みてあるほどに、男君の父殿、陸奥国(みちのくに)の守になりぬ。春、急ぎて下るに、男君、とまるべきことならねば、親の供に下るに、この女君を置きて行かむ事、わりなくおぼゆれど、親に知られてうち解けたる仲らひにもあらねば、具せむこと恥づかしくてえ言はず。 | ||
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+ | その日になりて、いみじきことども契りおきて、泣く泣く別れて陸奥国へ去ぬ。国へ下り着きて、「いつしかと文上げむ」と思ふに、たしかなる便りもなし。 | ||
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+ | かく過ぐる間に年月も過ぎにけり。任果てての年、いつしか上らむとするに常陸の守なる人の、はなやかなるあり。それが「婿にせむ」とて、人々おこせて迎へければ、親、「いとかしこきことなり」と喜びて遣りつ。陸奥国に五年ゐて、また常陸に行きて三・四年とゐたる間、七八年ははかなくてなりぬ。 | ||
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+ | この常陸の女は、にくからず愛敬づきなどはしたれど、京の人には似るべくもあらねば、心を京に遣りつつ、恋ひ迷へどもかひなし。 | ||
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+ | たびたび出したてて、消息を遣れど、「え尋ねず」とて、消息を持て返り、又、京にやがて使ひはとまりて、返り事も持てこずなどしてあるほどに、任も果てて上るほどに、道すがら、「いつしか」と思ふ。 | ||
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+ | 粟津に来て、「日次で悪し」とて、二三日ゐたるに、おぼつかなき事限りなし。 | ||
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+ | からうじて、よろしかりける日、京に入る。「昼は見苦し」とて、日暮してなむ入りけるに、入るや遅きと妻(め)をば常陸の家に送り置きて、さりげなきやうにて、旅装束しながら、五条に急ぎ行きてみれば、築地(ついぢ)こぼれこぼれもありしに、多うは小家ゐにけり。 | ||
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+ | 四足(よつあし)の門(かど)のありしも跡形も無し。寝殿・対などの有りしも、一つ見えず。政所屋のありし板屋なん、ゆがむゆがむ残りたる。池は水も無くて、葱(なぎ)といふ物を作りて水も無し。多かりし木も、所々切り失なひたり。 | ||
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+ | 「この辺に知りたる物やある」と尋ねさすれど、さらになし。政所屋のこぼれ残りたる所に、人の住むやうに見ゆ。人を呼べば、女法師、一人出できたり。月の明かきに見れば、樋洗(ひすまし)にてありし物の母にて、国名つきてありし物なりけり。 | ||
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+ | 寝殿の柱の倒(たう)れて残りたるがあるに、尻うち掛けて、この尼を呼び寄せて、「ここに住み給ひし人」と問へば、尼、はかばかしくも言はず。「言ふまじきなむめり」と思ひて、そのころ、十月、中の十日ごろなれば、女もいと寒げなり。着たる衣(きぬ)を一つ脱ぎて取らすれば、女、手惑ひをして、「こはいかなる人の、かうはしめ給ふにかあらむ((「かうはし給ふ」か))」と言へば、「我は、しかじかの人にあらずや。女は見忘れにたるか。おのれをば、若狭とこそ言ひしか。いつ法師にはなりしぞ。したみつとてありしおのが娘は、いづちか去にし。我をば忘れたるか。我はさらに忘れず」と言へば、女、むせかへり泣く事限りなし。 | ||
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+ | 女、「知らぬ人かとてこそ隠し申しつれ、ありのままに申し候はむ。尋ねもし奉らせ給へかし。国に下らせ給し一年ばかりは、候し人々も、「御消息やある」と、待ち聞こえさせしに、さることもかき絶えて、候はざりしかば、「忘れ果てさせ給ひたるなめり」と、さぶらひし人々も思ひて候ひしかども、おのづから候ひしほどに、御乳母、おとと((「おとこ」の誤写か。))も二年ばかりありて失せ給ひにしかば、知り奉る人、つゆ候はで、みなちりぢりにまかり失せ候ひて、寝殿は殿の内の下人の焚き物にてこぼち候しかば、倒(たふ)れ候ひにき。おはしましし対も、道行人のこぼち物にて、それも一年の大風に倒れ候ひにき。御前は侍(さぶらひ)の廊になむ、二間・三間ばかりしつらひて、おはしますにもあらでおはしますに、女はしたみづか男して、「京にては誰かは養はむ。いざ」とてまかりしかば、但馬にまかりて、去年(こぞ)なむまかり上りて候ひしに、跡形も無う殿もなり、おはしましにけむ方も知り奉らで、人々にも言ひつけ、自らも尋ね奉れど、おはします方も知り奉らず」と言ひて泣くこと限りなし。男君も、かく聞くままに、いみじく泣きて帰りぬ。 | ||
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+ | 家に来て、この人あらであるべくもおぼえねば、物詣でのやうに、藁沓(わらうづ)を履き、笠を着て、所々尋ね歩けど、何しかはあらむかし。「西の京の辺にやあらむ」と思ひて、二条より西ざまに、大垣に沿ひて行くほどに、時雨のいたうすれば、「西の曲殿((底本「かりとの」))に立ち隠れん」とて寄りたれば、連子の内に人の気配のするを、やをら寄りて覗けば、筵・薦の汚なげなるをひき廻らして、女法師一人、若き人の痩せさらぼいたる、色青みて影のやうにて、あやしのやうなる筵の破れに牛の衣(きぬ)のやうなる布の衣を着たり。破れたる筵を腰に引き掛けて、手枕(たまくら)をして臥したり。「さすがに、いみしげながら、貴(あて)なる物よ」と見立てり。なほあやしく見ゆれば、寄りて近き壁の穴より覗けば、あやしく、この失なひたる人に見なしつ。 | ||
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+ | 目も暗れて、あさましくおぼゆれば、やをらゐて目守りゐたり。女のいみじく貴に、らうたき声してかく言ふ。 | ||
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+ | 手枕のすきまの風も寒かりき身はならはしの物にぞありける | ||
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+ | かく言ふを聞きて、筵を戸にしたるをかかげて、「かくてはいかでおはしけるぞ」と言ひて、寄りて抱けば、顔を見合せて「遠う去にし人なりけり」と思ふに、えや堪へざりけむ、やがて絶え入りて、冷えすくみにけり。 | ||
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+ | 男、はかなく見なしつれば、愛宕に行きて、髻(もとどり)切りて、法師になりにけり。 | ||
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+ | このことは、詳しからねど、古今に書かれたり。 | ||
===== 翻刻 ===== | ===== 翻刻 ===== | ||
行 40: | 行 88: | ||
なしかかるほとにててははうちつつきうせ給ぬ | なしかかるほとにててははうちつつきうせ給ぬ | ||
れはひめ君の御心たたをしはかるへしあはれ | れはひめ君の御心たたをしはかるへしあはれ | ||
- | にかなしくおきところなくおほさる事 | + | にかなしくおきところなくおほさるる事 |
たとへむかたなしはかなくてふくなとぬき | たとへむかたなしはかなくてふくなとぬき | ||
つあけくれおやたちのうしろめたなき物に | つあけくれおやたちのうしろめたなき物に | ||
行 95: | 行 143: | ||
ねはこころをきやうにやりつつこひまよへとも | ねはこころをきやうにやりつつこひまよへとも | ||
かひなしたひたひたしたててせうそこ | かひなしたひたひたしたててせうそこ | ||
- | をやれとえたつなすとてせうそこをもてか | + | をやれとえたつねすとてせうそこをもてか |
へり又きやうにやかてつかひはとまりて | へり又きやうにやかてつかひはとまりて | ||
かへり事ももてこすなとしてあるほど | かへり事ももてこすなとしてあるほど | ||
行 112: | 行 160: | ||
ところやのありしいたやなんゆかむゆかむのこり | ところやのありしいたやなんゆかむゆかむのこり | ||
たるいけはみつもなくてなきといふ物を/b91 e46 | たるいけはみつもなくてなきといふ物を/b91 e46 | ||
- | | + | |
つくりてみつもなしおほかりしきもこ | つくりてみつもなしおほかりしきもこ | ||
ところところきりうしなひたりこの辺に | ところところきりうしなひたりこの辺に | ||
しりたる物やあるとたつねさすれとさらに | しりたる物やあるとたつねさすれとさらに | ||
なしまむところやのこほれのこりたる所 | なしまむところやのこほれのこりたる所 | ||
- | にひとのすむやうにみゆ人をよはへ女 | + | にひとのすむやうにみゆ人をよへは女 |
ほうしひとりいてきたりつきのあかき | ほうしひとりいてきたりつきのあかき | ||
にみれはひすましにてありし物ゝ | にみれはひすましにてありし物ゝ | ||
行 129: | 行 177: | ||
ころなれは女もいとさむけなりきたるきぬ | ころなれは女もいとさむけなりきたるきぬ | ||
をひとつぬきてとらすれは女てまとひをし | をひとつぬきてとらすれは女てまとひをし | ||
- | てこはいかなる人のかうはしめ給に給にあらむと | + | てこはいかなる人のかうはしめ給にかあらむと |
いへは我はしかしかの人にあらすや女はみ | いへは我はしかしかの人にあらすや女はみ | ||
わすれにたるかをのれをはわかさとこそいひ | わすれにたるかをのれをはわかさとこそいひ | ||
行 166: | 行 214: | ||
いゑにきてこの人あらてあるへくもおほえね | いゑにきてこの人あらてあるへくもおほえね | ||
は物まうてのやうにわらうつをはきかさを | は物まうてのやうにわらうつをはきかさを | ||
- | きてところろころたつねありけとなにしかは/b96 e49 | + | きてところところたつねありけとなにしかは/b96 e49 |
あらむかしにしのきやうのへむにやあら | あらむかしにしのきやうのへむにやあら | ||
- | と思ひて二条よりにしさまにおほかきに | + | |
そひていくほとに時雨のいたうすれは西 | そひていくほとに時雨のいたうすれは西 | ||
- | のかりとのにたちくれんとてよりたれは | + | のかりとのにたちかくれんとてよりたれは |
れむしのうちにひとのけはひのするをや | れむしのうちにひとのけはひのするをや | ||
をらよりてのそけはむしろこものきた | をらよりてのそけはむしろこものきた | ||
行 179: | 行 227: | ||
ろのやれにうしのきぬのやうなるぬののきぬ/b97 e49 | ろのやれにうしのきぬのやうなるぬののきぬ/b97 e49 | ||
- | をきたりやれたらるむしろをこしに | + | をきたりやれたるむしろをこしに |
- | ひきかけてたまくらをしてふしたりささ | + | ひきかけてたまくらをしてふしたりさ |
すかにいみしけなからあてなる物よとみ | すかにいみしけなからあてなる物よとみ | ||
たてりなをあやしくみゆれはよりて | たてりなをあやしくみゆれはよりて | ||
行 200: | 行 248: | ||
けりこのことはくはしからねと古今に | けりこのことはくはしからねと古今に | ||
かかれたり/b99 e50 | かかれたり/b99 e50 | ||
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text/kohon/kohon028.txt · 最終更新: 2014/09/15 21:48 by Satoshi Nakagawa