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唐鏡 第六 魏蜀呉より余晋恭帝にいたる
19 東晋 孝武帝
校訂本文
次は孝武帝1)と申しき。諱は燿(えう)2)、字は昌明、簡文帝3)の第三の御子なり。簡文帝崩じ給ひて、位に即き給ふ。
寧康元年五月に、桓温薨じて、崇徳太后4)、朝に臨みて政(まつりごと)を摂す。
太元元年、帝、御元服。皇太后、政を返し給ふ。
六年正月、帝、仏法を崇(あが)めて、精舎を内裏に建て、諸の沙門を引きて置かしめ給ふ。
二十一年に清暑殿を造る。
九月、帝、崩じ給ふ。御年三十五、在位二十四年なり。晋の祚、正統長く傾く。
長子徳宗7)、位に即く。これを安帝と号す。晋の武帝8)、魏の禅を受け給ひて、愍帝9)に至るまで西晋と号す。すべて四帝五十三年。元帝10)より孝武帝まで、九帝七十九年。これを東晋とす。東西晋百四十二年は正統なり。この間、寺を造ること一千七百六十八所、訳経二十七人二百六十三部。僧尼二万四千人。
翻刻
次孝武帝と申き諱は燿(えう)字昌明(しやうめい)簡文帝第三御子也簡 文帝崩給て位に即給 寧康元年五月に桓温薨して崇徳 太后朝に臨て政を摂す 太元々年帝御元服皇太后政を 返し給 六年正月帝仏法を崇て精舎を内裏にたて諸の沙 門を引てをかしめ給ふ 廿一年に清暑殿をつくる後魏の道武 皇帝魏王の位につく九月帝崩給御年三十五在位 廿四年也晋の祚正統長く傾長子徳宗位に即是を安帝と 号す晋の武帝魏禅を受給て愍帝に至るまて西晋と号都て四帝五/s168l・m299
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十三年元帝より孝武帝まて九帝七十九年是を東晋とす東 西晋百四十二年は正統なり此間寺を造こと一千七百 六十八所訳経二十七人二百六十三部僧尼二 万四千人/s169r・m300
text/karakagami/m_karakagami6-19.txt · 最終更新: 2023/07/28 11:55 by Satoshi Nakagawa