ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:karakagami:m_karakagami3-09

差分

このページの2つのバージョン間の差分を表示します。

この比較画面へのリンク

次のリビジョン
前のリビジョン
text:karakagami:m_karakagami3-09 [2023/01/17 13:50] – 作成 Satoshi Nakagawatext:karakagami:m_karakagami3-09 [2023/02/12 14:40] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
行 8: 行 8:
 第二の主をは孝恵帝((劉盈))と申しき高祖((劉邦))の太子なり。丁未(ていび)の年、十六にして位につき給ふ。 第二の主をは孝恵帝((劉盈))と申しき高祖((劉邦))の太子なり。丁未(ていび)の年、十六にして位につき給ふ。
  
-御母呂后((呂雉))、きわめたる嫉妬((底本「モノネタミ」と読み仮名。))の人にて、高祖の愛し給ひし戚夫人を恨みて、捕へ((「捕へ」は底本「とちへ」。底本の異本注記により訂正。))給ひ、その子趙王如意を召しにつかはす。御使(つかひ)、三度(みたび)までむなしくぞ帰りける。建平侯周昌といふ人、その使に申しけるは、「趙王をばみまはくり((不明。))奉るべきよし、高祖のたまひき。伝へ聞けば、太后((底本「太公」。内閣文庫本により訂正。))、戚夫人を恨みて、趙王を殺し奉らんとすと聞けば、いかでかやり奉るべき。そのうへになやみ給ふ」と申す。+御母呂后((呂雉))、きわめたる嫉妬((底本「モノネタミ」と読み仮名。))の人にて、高祖の愛し給ひし戚夫人を恨みて、捕へ((「捕へ」は底本「とちへ」。底本の異本注記により訂正。))給ひ、その子趙王如意((劉如意))を召しにつかはす。御使(つかひ)、三度(みたび)までむなしくぞ帰りける。建平侯周昌といふ人、その使に申しけるは、「趙王をばみまはくり((不明。))奉るべきよし、高祖のたまひき。伝へ聞けば、太后((底本「太公」。内閣文庫本により訂正。))、戚夫人を恨みて、趙王を殺し奉らんとすと聞けば、いかでかやり奉るべき。そのうへになやみ給ふ」と申す。
  
 呂后、なほなほ召しければ、恵帝、あさましく思して、みづから迎へ奉りて、内裏にすゑて、同じやうに起き臥し立ちゐて、御供などもまいりけり。されば、太后殺し奉らむとし給へども、ひまなかりけり。 呂后、なほなほ召しければ、恵帝、あさましく思して、みづから迎へ奉りて、内裏にすゑて、同じやうに起き臥し立ちゐて、御供などもまいりけり。されば、太后殺し奉らむとし給へども、ひまなかりけり。
行 20: 行 20:
 この御時、春三月に、宜陽(ぎやう)といふ所に血降ることありき。一項(けい)あまりおびたたしくて見えしか。また十月に、桃李(たうり)実なることありき。 この御時、春三月に、宜陽(ぎやう)といふ所に血降ることありき。一項(けい)あまりおびたたしくて見えしか。また十月に、桃李(たうり)実なることありき。
  
-七年秋八月に、未央宮(びうきう)にして崩じ給ひぬ。在位七年、御歳二十二なり。太后哭(こく)し給へども、御涙は落ちず。+七年秋八月に、未央宮(びうきう)にして崩じ給ひぬ。在位七年、御歳二十二なり。太后哭(こく)し給へども、御涙は落ちず。
  
 [[m_karakagami3-08|<<PREV]] [[index.html|『唐鏡』TOP]] [[m_karakagami3-10|NEXT>>]] [[m_karakagami3-08|<<PREV]] [[index.html|『唐鏡』TOP]] [[m_karakagami3-10|NEXT>>]]
text/karakagami/m_karakagami3-09.1673931034.txt.gz · 最終更新: 2023/01/17 13:50 by Satoshi Nakagawa