text:karakagami:m_karakagami3-06
唐鏡 第三 漢高祖より景帝にいたる
6 漢 高祖(6 白登山の戦い)
校訂本文
1)七年冬十月に、帝2)、平城(へいぜい)に至り匈奴(きようど)のために囲まれて、七日になりぬ。すべき方なきに、陳平と申す大臣、謀(はかりごと)をめぐらして、みめよき女を絵に書きて、えびすの妻3)に見せていはく、漢にはかかる美女多し。帝をかくのごとくあやぶみ4)奉れば、かやうの美女をえびすの王5)に奉らむ」と言ひければ、妻の思ふやう、「かかる美女出で来たりなば、われら憎まれなむ」と思ひて、えびすの王に申して、囲みをときぬれば、帝は逃れ出で給ひぬ。
翻刻
(イ去)七年冬十月に帝平城(ヘイセイ)にいたりて匈奴(クヰウト)のためにか こまれて七日になりぬすへき方なきに陳平と 申す大臣はかりことをめくらしてにめよき女を/s75l・m135
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/75
絵に書てえひすの妻(イ目)にみせていはく漢にはかかる 美女おほし帝をかくのことくあやふめ(イニミ)たてまつれ はかやうの美女をえひすの王にたてまつらむと いひけれは妻のおもふやうかかる美女出来たりなは われらにくまれなむと思ひてえひすの王に申て かこみをときぬれは帝はのかれ出給ぬ高祖孝恵/s76r・m136
text/karakagami/m_karakagami3-06.txt · 最終更新: 2023/01/15 21:30 by Satoshi Nakagawa