text:karakagami:m_karakagami2-29
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text:karakagami:m_karakagami2-29 [2022/12/22 00:25] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:karakagami:m_karakagami2-29 [2022/12/22 00:56] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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- | 秦の始皇((始皇帝))は荘襄王(さうしやうわう)の子なり。まことには呂不韋(りよふゐ)の子とかや申しき。正月に生まれ給へるによりて、諱(いみな)をば政とす。蜂隼((蜂准の誤り。鼻が高いこと。底本「蜂」に「ハチノ」、「隼」に「ナゝ」「ハヤフサ」と読み仮名及び注。))、長き目、鷲((底本「シ/ハヤフサ」と読み仮名及び注。))の胸、犲(おほかみ)の声あり。 | + | 秦の始皇((始皇帝))は荘襄王(さうじやうわう)の子なり。まことには呂不韋(りよふゐ)の子とかや申しき。正月に生まれ給へるによりて、諱(いみな)をば政とす。蜂隼((蜂准の誤り。鼻が高いこと。底本「蜂」に「ハチノ」、「隼」に「ナゝ」「ハヤフサ」と読み仮名及び注。))、長き目、鷲((底本「シ/ハヤフサ」と読み仮名及び注。))の胸、犲(おほかみ)の声あり。 |
年十三にして荘襄王失せ給ひぬれば、秦王となり給ふ。今年乙卯年に、日本国孝霊天皇四十四年に当たりし。二十二にして冠して、剣をはき給ふ。 | 年十三にして荘襄王失せ給ひぬれば、秦王となり給ふ。今年乙卯年に、日本国孝霊天皇四十四年に当たりし。二十二にして冠して、剣をはき給ふ。 | ||
- | この時に長信侯樛毒((嫪毐(ろうあい)の誤り。底本、「シウドク」もしくは「レウドク」と読み仮名。))、謀叛のことあらはれぬ。咸陽にて戦はしむるに、首を斬れること数百、戦(いくさ)敗れて、樛毒ら逃げぬ。「生き長らへたらむ者には銭百万、殺せらむには五十万を賜ふべし」とぞ示されける。つひに首を斬り、また車裂きにせらるる者もありけり。 | + | この時に長信侯樛毒((嫪毐(ろうあい)の誤り。以下同じ。底本、「シウドク」もしくは「レウドク」と読み仮名。))、謀叛のことあらはれぬ。咸陽にて戦はしむるに、首を斬れること数百、戦(いくさ)敗れて、樛毒ら逃げぬ。「生き長らへたらむ者には銭百万、殺せらむには五十万を賜ふべし」とぞ示されける。つひに首を斬り、また車裂きにせらるる者もありけり。 |
- | この時夏四月、寒くして凍して((「凍えて」の誤りか。))死ぬ者あまた聞こえけり。彗星(けいせい)西方また此方(こなた)に見えて、八十日に及べり。また相国呂不韋、樛毒にて見しけり((「見えけり」の誤りか。))といふこと聞こえて免しぬ。そののち呂不韋死ぬ。李斯(りし)といふ人にぞ政事を仰せ合はせて用ゐられける。 | + | この時夏四月、寒くして凍して((「凍えて」の誤りか。))死ぬ者あまた聞こえけり。彗星(けいせい)西方また此方(こなた)に見えて、八十日に及べり。 |
- | 二十年にぞ燕の太子丹、荊軻(けいか)を使(つかひ)に参らせて、王をさゑ((「刺し」の誤りか。))奉らんとせしかども、王、さりとて荊軻を殺して、太子丹が首を斬りつ((「斬りつ」は底本「きれつ」。文脈により訂正。)) | + | また、相国呂不韋、樛毒にて見しけり((「見えけり」の誤りか。))といふこと聞こえて免しぬ。そののち呂不韋死ぬ。李斯(りし)といふ人にぞ、政事を仰せ合はせて用ゐられける。 |
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+ | 二十年にぞ、燕の太子丹、荊軻(けいか)を使(つかひ)に参らせて、王を刺し((「刺し」は底本「さゑ」。文脈及び『史記』の記述により訂正。))奉らんとせしかども、王、さりとて荊軻を殺して、太子丹が首を斬りつ((「斬りつ」は底本「きれつ」。文脈により訂正。))。 | ||
二十八年、封禅((底本「ホウセン/マツルコト也」と読み仮名及び注。))のことありて、泰山にのり給ふ。その樹を感じて、五大夫の爵(しやく)をぞ賜ひし。 | 二十八年、封禅((底本「ホウセン/マツルコト也」と読み仮名及び注。))のことありて、泰山にのり給ふ。その樹を感じて、五大夫の爵(しやく)をぞ賜ひし。 |
text/karakagami/m_karakagami2-29.1671636350.txt.gz · 最終更新: 2022/12/22 00:25 by Satoshi Nakagawa