唐鏡 第一 伏羲氏より殷の時にいたる
10 帝舜
校訂本文
次をは帝舜と申しき。土徳。有虞氏とも申しき。黄帝の孫。父を瞽叟(こそう)といふ。母をば握登(あくとう)といふ。大虹1)を見て、意に感じて生み奉れり。御目に重瞳(ちようどう)ましますゆゑに重華とも申しき。竜顔大口にして黒色2)にまします。御身のたき六尺一寸なり。御夢に、眉の長さ髪と等しと御覧ぜられき。
初めは田を作り、魚をすなどり、土器(かはらけ)を作り、かやうのいやしきことのみぞし給ひし。この御母失せて後(のち)、父、さらに妻(め)をとりて、少子をまうけたり。名をば象3)といふ。父、この象を愛し、常に舜を失なひ奉らんとす。
舜を倉4))にのぼせ奉りて、父、倉に火をつけたるに、舜、笠二つを羽として飛び降り給ひぬ。また井を掘らしむ。かくやうやうにするを、「われを殺さんとす」と、舜御心して、そばの方(かた)へ出づべき路を、みそかにまうけ給へり。父それを知らずして、象とともに土をこねて埋(うづ)まんとす。舜、心得給へることなれば、その5)穴より出で給ひぬ。
舜をば尭の聟(むこ)として、女子を二人ながらあはせ給ひて、琴をも給へり。また倉や牛・羊などをとらせてぞ飼はす。父も弟(おとと)も舜をば「死に給ぬらん」と思ひて、倉や宝ものをば父取りつ、尭の二女と琴とをば弟取りて、舜宮にゐて琴を弾きてをり。舜、井より出で給ひて、つつがもなくて家へ帰り給ふ。弟、驚きて、「われ舜を思ひて歎きつるなり」と言ふ。舜、「さぞありつらん」とて、さりけなくてまします。かやうなれども、父に仕へ給ふことも、弟を愛し給ふこともおろかならず。
三十の年、登用せられ給ひて、二十八年の間摂政し給ひて、八十一の御年の十一月甲子の日ぞ位にはつき給ひし。尭の御子丹朱こそ位を嗣(つ)ぎ給ふべかりしに、不肖の人、諸侯6)帰り去りしかば、この舜のつき給ひしなり。
父瞽叟(こそう)のもとへ行幸なりたりしに、瞽叟7)めしひなりしが8)、あまりのめでたさ嬉しさにや、目すなはち開き、明らかにして見奉られけん、さこそは侍りけめ。
西王母とて仙人あり。この君の徳をめで奉りて参りて、白環9)をたてまつり益地図10)などを参らせき。ゆゆしかりしことなり。
常には五絃の琴を弾きて、南風の詩11)を歌ひ給ふに、詩はこれはじめなり。五明の扇もこの御時作りはじめ12)られき。八元八愷(はちぐわんはちがい)とて、いみじき臣十六人御政をたすけ奉りき。13)
帝、金をば山に捐(す)て、珠をは淵に沈め給ひき。世のため益なく、飢寒(きかん)を支ヘざるものなれば用ゐるべからず。また貪心を塞(ふさ)がむ14)ゆゑに捨てらるるなり。
在位二十年、御年一百歳なり。蒼梧(さうご)といふ所へぞ、送り奉りし。二人の后の名をば、娥皇(がくわう)・女英(ぢよえい)と申しき。舜におくれ奉りて、湘浦(しやうほ)といふ所に住まし給ひて、恋慕の涙に竹の色さへ紅(くれなゐ)になりたりしこそ、あはれに侍りしか。
さても異説に、この帝、尭を捕らへ奉りて殺して位には即き給へりと聞きしこそ、まことしからず侍れ。さらんには、いかでかこれほどの聖徳はおはしますべき。囚尭台(しうげうだい)と申すところは、まさしく侍るとかや。
黄帝・顓頊・高辛15)・尭・舜を五帝と称す。史記の説なり。少昊・顓頊・高辛・尭・舜を五帝と称す。孔安国が説なり。伏羲・神農・黄帝・少昊・顓頊を五帝とす、家語16)の説なり。黄帝・金天17)・高辛・尭・舜を五帝とす。六人を五帝と称するは徳五帝座に合ひ18)て、帝六人その星に合ふゆゑといへり。鄭玄19)が説なり。
翻刻
次をは帝舜と申き土徳(トトク)有虞(イウグ)氏とも申き黄帝の孫 父を瞽叟(コソウ)といふ母をは握登(アクトウ)といふ大虹(オホキナルニシ)を見て意に感して むみたてまつれり御目に重瞳(チヨウドウ)ましますゆへに重華とも/s16r・m30
申き龍顔(ガン)大口にして黒色(クロキイロ)にまします御身のたき六尺一寸也 御夢に眉のなかさかみとひとしと御らんせられきはしめは 田を作り魚をすなとりかはらけをつくりかやうのいやしき事 のみそし給しこの御母うせてのち父更(サラ)に妻(メ)をとりて少子を まうけたり名をは象(シヨウ/ザウ)といふ父この象を愛し常に舜を うしなひたてまつらんとす舜を倉(クラ/ヤネヘノホセ)にのほせたてまつ りて父倉に火をつけたるに舜笠二をはねとしてとひ をりたまひぬ又井をほらしむかくやうやうにするを我を ころさんとすと舜御心してそはのかたへいつへき路をみそ かにまうけ給へり父それをしらすして象とともに土を/s16l・m31
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/16
こねてうつまんとす舜心え給へることなれはそ(ハイ)のあな よりいて給ぬ舜をは尭の聟(ムコ)として女子を二人なからあ はせ給て琴をも給へり又倉や牛(ウシ)羊(ヒツシ)なとをとらせてそ かはす父も弟(ヲトト)も舜をは死給ぬらんと思ひて倉やたから ものをは父取つ尭の二女と琴とをは弟とりて舜宮に ゐて琴をひきてをり舜井よりいて給てつつかもなくて 家へかへり給弟おとろきて我舜を思ひてなけきつるなり といふ舜さそありつらんとてさりけなくてましますか やうなれとも父に仕へ給事も弟を愛し給こともおろか ならす卅のとし登用(トウヨウ)せられ給て廿八年のあひた摂政(セツシヤウ)/s17r・m32
し給て八十一の御としの十一月甲子の日そ位にはつき給し尭の御 子丹朱こそ位を嗣(ツキ)給へかりしに不肖(フシヨウ)の人諸侯(大名ノコト也)帰さりしかは この舜のつき給し也父瞽叟(コソウ)のもとへ行幸なりたりしに 瞽(メクラ也)叟めしゐな(リイ)しかあまりのめてたさうれしさにや目すなは ちひらきあきらかにしてみたてまつられけんさこそは侍けめ 西王母とて仙人ありこの君の徳をめてたてまつりてまい りて白環(ハククワン/タマキ)をたてまつり益地図(ヱキチト)なとをまいらせきゆゆし かりしことなり常には五絃の琴をひきて南風の詩を 歌給に詩はこれはしめ也五明の扇もこの御時つくりはし(めイ) られき八元(クワン)八愷(カイ)とていみしき臣十六人御政をたすけたて イニ 八元伯奮仲堪叔獻季仲伯虎仲熊叔豹季狸 イニ八愷蒼舒隤敳檮戭大臨尤降庭堅仲容叔達/s17l・m33
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/17
まつりき帝金をは山に捐(ステ)珠をは渕に沈(シツ)め給き世のため 益なく飢寒(キカン)を支(ササヘ)さるものなれは用るへからす又貪(トン)心を塞(フサ)(防イ) かむゆへにすてらるるなり在位廿年御年一百歳なり蒼梧(サウコ) といふところへそをくりたてまつりしふたりの后の名をは 娥皇(ガクワウ)女英(チヨエイ)と申き舜にをくれたてまつりて湘浦(シヤウホ)といふと ころにすまし給て恋慕の涙に竹の色さへくれなゐになり たりしこそあはれに侍しかさても異(イ)説にこの帝尭をとらへ たてまつりてころして位には即(ツキ)給へりとききしこそまこと しからす侍れさらんにはいかてかこれほとの聖徳はおはしますへ き囚尭臺(シウケウタイ)と申すところはまさしく侍とかや/s18r・m34
黄帝顓頊(ゼンギヨク)高辛尭舜を五帝と称す史記の説なり少昊 顓頊高辛尭舜を五帝と称す孔安国(クアンコクカ)説なり伏羲神農黄 帝少昊顓頊を五帝とす家語説なり黄帝金高辛尭 舜を五帝とす六人を五帝と称するは徳五帝坐に合(カナイ)て帝 六人其星に合ゆへといへり鄭玄(チヤウクヱンカ/テイケン)説なり/s18l・m35