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唐物語

第20話 晋の景公といふ人ありけり・・・(杵臼・程嬰)

校訂本文

昔、晋の景公といふ人ありけり。そのつかはれ人趙朔、国の政(まつりごと)をとれり。屠岸賈といふ人、争ふ心やありけん、ややもすれば、「この趙朔を退けん」と思ふ心深くて、失を求め、無きことを言ひつけて、罪に行なはるべきよしを主(あるじ)に言ひけれども、用ゐられざりければ、心中に憤り深くて明かし暮らすに、なほやすめ難くや思えけん、趙朔を始めとして、兄弟さなから亡ぼし1)失なひてけり。

その中に年ごろ相具したりける妻なん、一人このことに免れにける。折しも、ただならぬことさへありて、隠れ惑ふにつけても、わりなく2)悲しかりけるを、杵臼・程嬰といふ二人のつかはれ人、主を思ふ心深ければ、人知れず隠し育みて、「もし生まれたらん子、男子(をのこ)ならば、親の敵(かたき)をも思ひ知りなん。ただ、いかにもして、事なく人とならむことを思ひはからひけるを、敵、漏れ聞きて、めざましくなん思えければ、なほ尋ね求めても、その跡を失なはん」と思へりけり。

これによりて、この女、隠れ惑ひながら、本意のごとく男子を生みてけり。杵臼・程嬰、限りなく嬉しく思ひけるにも、わりなくして、手づからみづから隠し忍びつつ、養へりけるほどに、この敵の屠岸賈、このことを聞きつけて、あながちにあさり求めけり。母の心に、せんかたなく思えながら、着たりける袴の中に子を入れて、教へていはく、「親の跡を継ぎて、君に仕へ奉るべきものならば、物の心を知らずいとけなしといふとも、声を立てて泣くことなかれ。もしまた、この時に当りて、子孫長く絶ゆべきならば、早く泣くべし」と心の内に思ひつつ、深く隠れ居たるに、本意のごとくおとなかりければ、敵求めかねて帰りぬ。

母の心に喜び深し。しかれども、「この愁へにおきては、絶ゆる時あるべからず」と歎き侘びつつ、程嬰に杵臼、語らひていはく、「この人を事なく養ひ立てて、父の跡を継がせんと、命を捨てんと、いづれか難かるべき」。程嬰、答へていはく、「死なむは易し。平らかに養ひ立てんことはいと難し」と言ふに、杵臼がいはく、「恩の深きことは、君、我に勝れりき。易きにつけても、我まづ死なば、その後難きことを遂げて、必ず仇(あだ)を報ひ給へ」と言ひつつ、幼なき子を一人抱(いだ)きて、深き山の中に隠れ居たり。

程嬰、敵に告げて、偽りていはく、「我、求め給へる子のあり所を知れり。願はくば、金(こがね)千両を給へて、教へ奉らん」と言へるを、敵、喜び騒ぎて、たちまちに金千両を与へつ。をこかましく思えながら、しるべをして、この所に向へるに、杵臼、子を抱きて、あきれたる気色にて居たり。敵、これを見て、いつしか殺さんとす。

杵臼、叫びていはく、「愚かなるかな程嬰。昔の恩を忘れて、もろとも3)に人となさずといふとも、いかでか千々の金に耽りて、一人の子をば殺すべき。今は我を失なはんことは、そのいはれなきにあらず。いとけなき子に4)おきては、何の罪かはあるべき。願はくは生けよ」と言ひけれど、たちまちに二人ながら殺しつ。この後、まことの子をば程嬰取りて、山の中に隠せり。

年月を経れども、敵、疑ふ心なければ、またその煩(わづら)ひなくて、十五になりぬ。この時に主人、病(やまひ)に煩ひ給ひて、いと大事におはしけり。このことを占はしめ給ふに、「罪なくして罪をかぶれる人の祟り」と占ひ申しけり。趙朔を滅ぼすことは、またく我心よりおこらず。ただ、屠岸賈みづからの憤りに、世をなきになしてふるまへるゆゑに、我、今この病を受けたる。天(あめ)の下に主として、あるまじきことをする者を退けぬは、限りなき我が咎(とが)なり。しかれば、いかなることをしてか、この病をやむべき」と宣ふに、韓厥といふ人、よろづに暗きことなかりければ、はからひ申していはく、「趙朔が後(のち)を仕はせ給ふべし。十五になる子一人、平らかにて侍り。有様をば細かに知らせ給はずや」と申しけり。「あさまし」と思して、たちまちに召しとりて見給ふに、昔殺されし親に、つゆばかりも違(たが)はず似たりけるを、あはれにいみじく思して、いつしか父の後を継がせ、位、身にあまるほどになりて後、本意のごとく親の敵を滅ぼし失なひつ。

さるべきことにやありけむ。何事につけても、世に用ゐられ、人に恥ぢられて二十にもなりぬれば、程嬰心やすく思えけり。かくて後、この主に暇(いとま)を乞ひていはく、「我は早く死に侍りなん」と言ふ時に、主、物思えず、心慌てて、「こはいかに」と言へり。程嬰いはく、「我、昔杵臼に誓ひき。易きにつけてまづ死なば、恩の深きによりて、難きことを遂げて後、必ず報ふべしと申しき。しかるを、我、今死なずば、杵臼にそら頼めするにあらずや。かしこき人は言ひつることを違へず」とばかり聞こえて、遂に我身を刺し殺しつ。

この時に主、あやなく思して、「かかることを見ながら世にあらんことは恥なる」と思えけれど、むなしく父の跡を断たむことは本意ならず思えければ、命をば捨てずして、藤の衣(ころも)をぞ、三年(みとせ)まで脱がざりける。歎き悲しむこと年月を経れども、さらに怠らざりけり。

  思ひ知る心は誰も深けれどかかるためしはまたもあらじな

このつかはれ人二人が、後のことより他のいとなみなかりけるも、まことに理(ことはり)なり。主の名をば趙武とぞいひける。

翻刻

むかし晋の景公といふひとありけりそのつかはれ
人趙朔くにのまつりことをとれり屠岸賈(トカンカ)と
いふ人あらそふ心やありけんややもすれはこの
趙朔をしりそけんと思心ふかくて失をもと
めなき事をいひつけてつみにおこなはるへき
よしをあるしにいひけれとももちひられさり
けれは心中にいきとをりふかくてあかしく
らすに猶やすめかたくやおほえけん趙朔をは
しめとして兄弟さなからほのほしうしな
ひてけりそのなかにとしころあひくしたりける/m401
妻なんひとりこのことにまぬかれにけるおりしも
たたならぬ事さへ有てかくれまとふにつけ
てもはりなくかなしかりけるを杵臼(キヨキウ)程嬰(テイエイ)といふ
二人のつかはれ人あるしを思心ふかけれはひとしれす
かくしはくくみてもしむまれたらんこおの
こならはおやのかたきをも思しりなんたたいか
にもして事なく人とならむことを思はから(れりイ)ひ
けるをかたきもれききてめさましくなん
覚けれはなをたつねもとめてもそのあとを
うしなはんと思へりけりこれによりてこの女かく/m402
れまとひなから本意のことくおのここをうみて
けり杵臼程嬰かきりなくうれしく思けるにも
わりなくしててつからみつからかくし忍つつや
しなへりけるほとにこのかたきの屠岸賈こ
のことをききつけてあなかちにあさりもと
めけりははの心にせんかたなくおほえなからき
たりけるはかまのなかにこをいれてをしへてい
はくおやのあとをつきて君につかへたてまつ
るへきものならは物の心をしらすいとけなし
といふともこゑをたててなくことなかれもし/m403
又この時にあたりて子孫なかくたゆへきならは
はやくなくへしと心のうちにおもひつつふかく
かくれゐたるに本意のことくをとなかりけれは
かたきもとめかねてかへりぬ母の心によろこひ
ふかししかれともこのうれへにをきてはたゆる
時あるへからすとなけきわひつつ程嬰に杵臼
かたらひていはくこの人をことなくやしなひ
たててちちのあとをつかせんといのちをすてんと
いつれかかたかるへき程嬰こたへていはくしな
むはやすしたいらかにやしなひたてん事/m404
はいとかたしといふに杵臼かいはくをんのふかきこ
とはきみ我にまされりきやすきにつけて
も我まつしなはそののちかたきことをとけて
かならすあたをむくひ給へといひつつおさなき
こをひとりいたきてふかき山のなかにかくれいたり
程嬰かたきにつけていつはりていはくわれも
とめ給へる子のあり所をしれりねかはくはこか
ね千両をたまへてをしへたてまつらんといへ
るをかたきよろこひさはきてたちまちに
こかね千両をあたへつおこかましくおほえなから/m405
しるへをしてこの所にむかへるに杵臼子をいたき
てあきれたる気しきにてゐたりかたきこれをみ
ていつしかころさんとす杵臼さけひていはく
をろかなるかな程嬰むかしのをんをわすれても
つともにひととなさすといふともいかてか千々の
こかねにふけりてひとりのこをはころすへき
いまは我をうしなはん事はそのいはれなきに
あらすいとけなきこにはおきてはなにのつみ
かはあるへきねかはくはいけよといひけれとたち
まちにふたりなからころしつこの後まことの/m406
こをは程嬰とりて山のなかにかくせりとし月を
ふれともかたきうたかふ心なけれは又そのわつら
ひなくて十五になりぬこの時に主人やまひに
わつらひ給ていと大事におはしけりこの事を
うらなはしめ給につみなくしてつみをかふれ
る人のたたりとうらなひ申けり趙朔をほろ
ほす事はまたく我心よりおこらすたた屠
岸賈みつからのいきとをりに世をなきになし
てふるまへるゆへに我いまこのやまひをうけ
たるあめのしたにあるしとしてあるましき/m407
事をするものをしりそけぬはかきりなき我か
とか也しかれはいかなる事をしてかこのやまひを
やむへきとのたまふに韓厥(カンケツ)といふ人よろつに
くらきことなかりけれははからひ申ていはく趙朔
かのちをつかはせ給へし十五になる子ひとりたい
らかにて侍りありさまをはこまかにしらせた
まはすやと申けりあさましとおほしてたち
まちにめしとりて見給にむかしころされし
おやにつゆはかりもたかはすにたりけるをあは
れにいみしくおほしていつしかちちのあとをつ/m408
かせくらゐ身にあまる程になりてのち本意
のことくおやのかたきをほろほしうしなひつ
さるへき事にやありけむなにことにつけて
も世にもちいられ人にはちられて廿にもな
りぬれは程嬰心やすくおほえけりかくてのち
このあるしにいとまをこひていはく我ははやく
しに侍なんといふ時にあるし物おほえす
心あはててこはいかにといへり程嬰いはく我
むかし杵臼にちかひきやすきにつけてま
つしなは恩のふかきによりてかたき事を/m409
とけて後かならすむくふへしと申きしかるを
我いましなすは杵臼にそらたのめするにあらすや
かしこき人はいひつることをたかへすとはかり
きこえてつゐに我身をさしころしつこの
時にあるしあやなくおほしてかかる事を
見なから世にあらん事ははちなるとおほえ
けれとむなしくちちのあとをたたむ事は本意
ならすおほえけれはいのちをはすてすして
ふちのころもをそみとせまてぬかさりけ
るなけきかなしむ事年月をふれともさらに/m410
おこたらさりけり
  おもひしるこころはたれもふかけれと
  かかるためしはまたもあらしな
このつかはれ人ふたりかのちの事よりほかのい
となみなかりけるもまことにことはりなりある
しのなをは趙武とそいひける/m411
1)
底本「ほのほし」。諸本により訂正
2)
底本「はりなく」。諸本により訂正
3)
底本「もつとも」。諸本により訂正
4)
底本「子には」。諸本により訂正。
text/kara/m_kara020.txt · 最終更新: 2014/12/02 15:10 by Satoshi Nakagawa
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