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閑居友

下第7話 唐土の人、馬牛の物憂ふる聞て発心する事

もろこしの人馬牛の物うれうる聞て発心する事

唐土の人、馬牛の物憂ふる聞て発心する事

校訂本文

唐土(もろこし)に侍りし時、人の語り侍りしは、昔、この国に卑しからぬ人ありけり。その家、極めて豊かなり。

秋夜、高楼に登りて、月を眺めてありけるに、夜静まり、人寝さだまりて、音する物なし。かかりけるに、そこなりける馬と牛と物語りをなんしける。馬の言ふやう、「あな、悲し、わびし。いかなる罪の報ひにて、この人に使はれて、昼は日暮しといふばかりに、かく使はれ居(お)るらん。夜も心よくうち休むべきに、杖目(つゑめ)ことに痛くわびしく、あまり苦しくて、心のままにもえ休まず。明日、またいかさまに使はれんとすらん。これを思ふに、とにかくに寝(い)ねも安からず」と言ふ。また、牛の言ふやう、「さればこそ。あはれ悲しきものかな。我、かかる身を受けたるとは思へども、さしあたりては、ただこの人の恨めしさ、するかた なく思ゆる」と言ひけり。

これを聞くに、心もあられず悲しくて、妻(め)と娘とに言ふやう、「我は、今夜(こよひ)忍びてこの家を出でんと思ふことあり。かかること侍るぞや。今、あり経んままには、かやうのことぞ積るべき。財(たから)は身の敵(あた)にて侍るにこそ。この家をば捨てて、いづくともなく行きて、人もなからん所の、静かならんに行きて、後世のこと思ひてあらむずるなり。そこたちは、ここに留(と)まるべし」と言ひければ、二人の人の言ふやう、「誰を頼みてある身なればか、残りては侍るべき。いづくにても、おはせん方にこそ慕ひ聞こえめ」と言ふ。「さらば、さにこそは侍るなれ」とて、親子三人、忍びに出でにけり。

さて、遥かに行きて、思ひかけぬ山の麓に、庵、形のやうに構へて、笊器(さうき)といふものを日に三つ作りて、この娘にて売りに出だしける。

かくて世を渡りけるほどに、ある時、この笊器を買ふ人なし。むなしく返りぬ。また次の日の分、具して持(も)て出でたれども、その日も買う者なし。また次の日の分、具して九の笊器を持て行きたりけれども、この日も買う者なし。娘、思ひ歎きて、かくてのみ日は重なる。我が父母の命も長らへがたかるべし。いかさまにせむ」と煩ひけるほどに、道に銭を一貫落したりけり。この女、笊器をこの銭に結び付けて、笊器の価(あたひ)を数へて、銭を取りて、残りの銭と笊器とをば、もとの所に置きて来にけり。

さて、このよしを語りければ、父、大きに驚きて言ふやう、「何わざ営まんとて、持ちたる銭にかありつらむ。親のものにてもありつらむ、主(しう)のものにてもあるべし。たとひ取るにても、一つの笊器を置きて一の価をこそ取るべけれ。いかなる者か、一人して笊器を九つ買ふことあるべき。かかる濁りある心持たらん者は、踈ましく思ゆ。はや、みな持て行きて、もとの銭に貫き具して、ただ笊器を取りて来よ」と言ふ。娘、行きて見るに、この銭、なほありければ、もとのままにして、笊器を取りて来て見れば、父も母も共に手を合はせて、頭(かうべ)を垂れて死ににけり。「あな、悲しのわざや。我もありては何(なに)かせん」とて、娘もそばに居て死ににけりとなん。

これを聞き侍りしに、あはれ尽しがたく侍りき。まことに、さやうの心を持ちてこそ、仏の道をも願ふべきに、身にはわづかに道を学ぶやうにすれども、心は常に濁りに染みたらんは、さだめて三宝を欺く咎もあるべし。いかが侍るべからむと、悲しくあぢきなし。

かの昔の三人、今いかなる菩薩にて、いづれの仏の御国(みくに)にかいまそかるらん。「願はくは、我心をあはれみて、念々に彼に等しからむと思ふ心を給へ」と、心の中(うち)に念じ侍りき。

さても、この人どもの姿をも、絵に描きて売るとぞ、語り侍りし。すべて唐土は、かやうのことはいみじく情けありて、亡き後までも侍るにや。この日本(やまと)の国には、さやうの人の姿、買う者もよにあらじ。描きて売らんとする人も、また稀(まれ)なるべきにや。

翻刻

もろこしに侍し時人のかたり侍しは昔この
国にいやしからぬ人ありけりそのいゑきはめて/下22オb193
ゆたか也秋夜高楼にのほりて月おなかめてありけ
るに夜しつまり人ねさたまりておとする物なし
かかりけるにそこなりけるむまとうしともの
かたりをなんしける馬のいふやうあなかなし
わひしいかなるつみのむくひにてこの人につか
はれてひるは日くらしといふはかりにかくつかはれおる
らんよるも心よくうちやすむへきにつゑめことに
いたくわひしくあまりくるしくて心のままにもゑ/下22ウb194
やすますあすまたいかさまにつかはれんとすらん
これををもふにとにかくにいねもやすからすといふ
また牛のいふやうされはこそあはれかなしき
ものかな我かかる身をうけたるとはおもへともさし
あたりてはたたこの人のうらめしさするかた
なくおほゆるといひけりこれをきくに心もあられす
かなしくてめとむすめとにいふやう我はこよひし
のひてこのいゑをいてんとおもふ事ありかかる/下23オb195
事侍そやいまありへんままにはかやうの事そつもる
へきたからは身のあたにて侍にこそこのいゑ
をはすてていつくともなくゆきて人もなからん
所のしつかならんにゆきて後世の事おもひ
てあらむする也そこたちはここにとまるへしと
いひけれはふたりの人のいふやうたれをたのみ
てある身なれはかのこりては侍へきいつくにて
もおはせんかたにこそしたひきこゑめといふ/下23ウb196
さらはさにこそは侍なれとておやこ三人しのひに
いてにけりさてはるかにゆきて思ひかけぬ山の
ふもとにいほりかたのやうにかまゑてさうきといふ
ものおひに三つくりてこのむすめにてうりに
いたしけるかくてよをわたりけるほとにある時
このさうきをかふ人なしむなしく返ぬまた
つきの日のふんくしてもていてたれともその日も
かうものなしまたつきの日のふんくして九の/下24オb197
さうきおもてゆきたりけれともこの日もかうもの
なしむすめ思なけきてかくてのみ日はかさなる
わか父母の命もなからゑかたかるへしいかさまにせ
むとわつらひけるほとに道にせにを一貫おとした
りけりこの女さうきをこのせににむすひつけて
さうきのあたひをかそゑてせにをとりてのこり
のせにとさうきとをはもとの所におきてきにけり
さてこのよしをかたりけれは父おほきにおとろ/下24ウb198
きていふやうなにわさいとなまんとてもちたる
銭にかありつらむおやのものにてもありつらむし
うのものにてもあるへしたとひとるにても一の
さうきおおきて一のあたひをこそとるへけれいか
なるものかひとりしてさうきを九かう事あるへ
きかかるにこりある心もたらんものはうとましく
おほゆはやみなもてゆきてもとの銭につらぬき
くしてたたさうきをとりてこよといふむすめゆき/下25オb199
てみるにこのせになをありけれはもとのままにして
さうきをとりてきてみれはちちも母もともにてを
あはせてかうへをたれてしににけりあなかな
しのわさや我もありてはなにかせんとてむす
めもそはにいてしににけりとなんこれをきき
侍しにあはれつくしかたく侍きまことにさやうの心
をもちてこそ仏のみちをもねかふへきに身にはわつ
かに道をまなふやうにすれとも心はつねににこりに/下25ウb200
しみたらんは定て三宝をあさむくとかもある
へしいかか侍へからむとかなしくあちきなしかのむか
しの三人いまいかなる菩薩にていつれの仏のみ国
にかいまそかるらんねかはくは我心をあはれみて念々に
かれにひとしからむとおもふこころをたまへと
心のうちにねんし侍きさてもこの人とものすかた
をもゑにかきてうるとそかたり侍しすへても
ろこしはかやうの事はいみしくなさけありてなき/下26オb201
あとまても侍にやこのやまとの国にはさやうの
人のすかたかうものもよにあらしかきてうらん
とする人もまたまれなるへきにや/下26ウb202
text/kankyo/s_kankyo028.txt · 最終更新: 2015/08/03 16:33 by Satoshi Nakagawa
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