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text:kankyo:s_kankyo016

閑居友

上第16話 下野守義朝の郎等の心を発す事

下野守義朝の郎等の心おおこす事

下野守義朝の郎等の心を発す事

校訂本文

中ごろ、四郎入道とて、ここかしこ拝み歩(あり)く者ありけり。下野守義朝1)の郎等なりけり。むらなき剛の者にてぞありける。罪のほどを思ふに、肝惑ひ胸つぶれて、にはかに己(おの)が道を改めて、菩提になんおもむきにける。

出家の日より、塩断ち、五穀を断ちて、糸・綿の毛を着ず、夏冬を分かず、柿の麻の小袖の合はせたるを一つなん着たりける。あやしの粮料(らうれう)とおぼしくて、蕎麦(そばむぎ)の粉の粗らかなるをぞ貯へたる。午の半ばばかりに、ただ一度、それを食ひて後は、またなにわざもなし。

「さのみは、蕎麦の粉もいかでかある」と人の言ひければ、「無き時は芹(せり)を摘みて食ひ、また、松の葉を食ひて、さてこそはあれ」とぞ言ひける。さて、「夏冬の替るには、着物はいかで同じさまにては」と問ひければ、「この近ごろよりは、身の上に風の渡るも、いと寒くも思えず。日の照るも、こといたくも思えず。湯など浴み侍るも、熱きもぬるきも、いと定かにも思えぬなり」とぞ言ひける。まことに、その様(さま)、ただ骨と皮とにぞ見えける。肉(しし)のあらばや、身にしむ霜風もあらん。さて、「深き山に入て、椿2)の実を取りて、油に絞りて、貴き山々・寺々に奉るを行ひにて侍り」とぞ言ひける。

人、皆あはれみて、さまざま情けをあたりけれど、得さするものなどは、ふつに得ずなん侍りける。

常に定めたる所は、宇治のそばに田原といふ所とぞ。その齢(よはひ)は八十ばかりぞ侍りける。

翻刻

中比四郎入道とてここかしこおかみありくもの
ありけり下野守義朝の郎等なりけりむら
なきかうのものにてそありけるつみのほとを
おもふにきもまとひむねつふれてにはかにおの
かみちをあらためてほたいになんおもむきにけ
る出家の日よりしほたち五こくをたちていと
わたのけをきす夏冬おわかすかきのあさのこ
そてのあはせたるを一なんきたりけるあや/上47ウb102
しのらうれうとおほしくてそはむきのこのあ
ららかなるをそたくはへたるむまのなかははか
りにたた一度それをくひてのちはまたなにわ
さもなしさのみはそはむきのこもいかてかある
とひとのいひけれはなき時はせりおつみてくひ
また松の葉をくひてさてこそはあれとそいひ
けるさて夏冬のかはるにはきものはいかておな
しさまにてはととひけれはこのちかころ/上48オb103
よりは身のうゑにかせのわたるもいとさむくも
おほえす日のてるも事いたくもおほえすゆなとあ
み侍もあつきもぬるきもいとさたかにもおほえぬ
也とそいひけるまことにそのさまたたほねとかは
とにそみえけるししのあらはや身にしむ霜か
せもあらんさてふかき山に入てつは木のみを
とりてあふらにしほりてたうとき山々てらてらに
たてまつるをおこなひにて侍とそいひける/上48ウb104
人みなあはれみてさまさまなさけをあたりけ
れとゑさするものなとはふつにえすなん侍ける
つねにさためたる所は宇治のそはにたはらといふ
所とそそのよはひは八十はかりそ侍ける/上49オb105
1)
源義朝
2)
底本「つは木」
text/kankyo/s_kankyo016.txt · 最終更新: 2015/06/22 02:36 by Satoshi Nakagawa