閑居友
上第11話 播磨の国の僧の心を発す事
はりまの国の僧の心おおこす事
播磨の国の僧の心を発す事
校訂本文
中ごろ、播磨の国に、落ちたる僧往き止まりて居(お)るありけり。するわざもなければ、朝夕も嘆かしくて、田を作りてなん身を過ぐしける。秋刈り、冬収むるわざも、思ふほどもえ無かりけるなめり。所の長(おさ)なりけるもの、「なすべきものに未進(みしむ)あり」とて、捕へて牢に籠めたりけり。
さすがにほどあることなれば、つひには出でにけるなるべし。さて、返りて妻子(めこ)に言ふやう、「今は我に暇(いとま)くれよ。ゆるぎなく思ひ固めたるなり」とて、ある山寺に登りぬ。異(こと)わざなく一筋に念仏をぞ申しける。人々、みなあはれみて、「ようようのことは、のたまはせかけよ」と、我も我もと言ふ。
さて、しばしはさるほどの御料(ごれう)を日に二度(たび)食ひけるが、後には一日に一合の御料を一度なん食ひける。
さて、三年といふに、おのが庵の前に札を書きて立てたり。「何わざを愁へたる札ぞ」と見れば、「久しく世にありても、その用なく侍れば、心と命を捨ててむと思ひ給ふるなり。この上の山に見置きたる岩屋の侍るにまかりなん籠りぬる。もし、我を我と思さば、ものさわがしく尋ね訪(とぶら)ひ給ふことなかれ」とぞ書きたる。人、みなあはれみて、尋ね問ふこともなし。
さて、おのづから日ごろにもなりにければ、心ある人々、少々尋ね歩(あり)きけるに、西向きにありける岩屋に、生きたるやうにて手を合はせ、西に向ひて死にたりけり。時の人、いみじくあはれがりけり。その名をば発心房とぞいひける。いとあはれなりけることかな。
げにいたづらに明け暮れて、つひに病に取り籠められなん後には、身も弱く心も溺れて、思ひのごとくもなくて終りを取らむこと、本意(ほい)なくてぞ侍るべき。我が心の違はぬ時、仏の誓ひを仰ぎて命を捨ててむこと、かしこかるべし。「誰をあはれまん」と誓ひ給へる仏なればか、さばかり惜しうする命を奉らん人を見過(みすぐ)し給ふべき。手足の指を焚きて仏に供養するをば、法華経にも上なき功徳と讃めたり。梵網経1)にもあまた勧めたり。いはんや、「この命をみな仏に奉りて、この功徳を捧げて、うき世を出づる種とせん」と願はむは、ゆゆしき心ざしなるべし。
また、「求道の、寒来たり、木(こ)の実尽きて、山を出でて里に向ふに、山に住む大蛇の、今より後、経の声を聞かざらむことを悲しみて、眼に血の涙を流して、高き木に登りて遥かに見送るに、やうやう遠くなりつつ、つひに見えずなりぬれば、罪のほどを悲しみて、様々の善心を発(をこ)して、木の上より身を投げたりけるが、兜率天2)に生まれて、昔の屍(かばね)を供養す」など、経には侍るぞかし。
唐土(もろこし)の伝には、釈の恵猛3)、高岸(底本右に「カウカン」、左に「たかききし」と傍書。)より身を投げて死ぬるに、いまだ半ばのほどにて、紫雲身をまつふ」とも侍る。また、「明安といふ尼、江のほとりに身を投ぐるに、金色の光ありて、水の中に入る」とも侍るめるは、いみじく尊くこそ侍れ。
しかはあれど、かやうのこと、昔より今に至るまで、とかく様々に一かたならず言ふ人もあるべし。詮(せん)はただ我が心にはからひて、進みも退きもすべきにこそ。善道和尚、あまねく勧め、義浄((底本「キシヤウ」と傍書。)三蔵((底本「蔵」に「サウ」と傍書。)は広くいましめ給へり。これみな、機をはかりてのたまふなるべし。よくよく思ふべし。
翻刻
中ころはりまの国におちたる僧ゆきとまりて おるありけりするわさもなけれはあさゆふもな けかしくて田おつくりてなん身おすくしける秋 かり冬おさむるわさもおもふほともえなかりける なめり所のおさなりけるものなすへきものにみ しむありとてとらゑてろうにこめたりけり/上31オb69
さすかにほとある事なれはついにはいてにけるなるへ しさて返てめこにいふやういまは我にいとまく れよゆるきなく思ひかためたるなりとてある山 寺にのほりぬことわさなく一すちに念仏おそ申ける 人々みなあはれみてようようの事はのたまはせかけよと 我も我もといふさてしはしはさるほとのこれうを日に二 たひくひけるか後には一日に一合のこれうを一たひな んくひけるさて三年といふにおのかいほりのまへに/上31ウb70
ふたをかきてたてたりなにわさをうれへたるふた そとみれはひさしくよにありてもそのようなく侍れは 心と命をすててむと思ひ給也このうへの山にみをき たるいはやの侍にまかりなんこもりぬるもし我を我 とおほさはものさはかしくたつねとふらひたまふ 事なかれとそかきたる人みなあはれみてたつね とふ事もなしさておのつから日ころにもなりにけれ は心ある人々せうせうたつねありきけるに西むきにあ/上32オb71
りけるいはやにいきたるやうにて手をあはせ西にむか ひてしにたりけり時の人いみしくあはれかりけり その名をは発心房とそいひけるいとあはれ也ける事 かなけにいたつらにあけくれてついに病にとりこめ られなんのちには身もよはく心もおほれて思ひのこ とくもなくてをはりおとらむ事ほいなくてそ侍へ きわか心のたかはぬとき仏のちかひをあふきて命 をすててむ事かしこかるへしたれをあはれまんと/上32ウb72
ちかひたまへる仏なれはかさはかりおしうする いのちをたてまつらん人おみすくし給へき手足のゆ ひをたきて仏に供養するをは法花経にもうゑ なき功徳とほめたり梵網(マウ)経にもあまたすす めたりいはんやこのいのちをみな仏にたてま つりてこの功徳をささけてうきよをいつる たねとせんとねかはむはゆゆしき心さしなるへし また求道の寒きたりこのみつきて山をいてて/上33オb73
さとにむかふに山にすむ大蛇のいまより後経のこゑ をきかさらむ事をかなしみて眼にちのなみた おなかしてたかき木にのほりてはるかにみをく るにやうやうとおくなりつつつひにみえすなりぬれ はつみのほとをかなしみてさまさまの善心ををこ して木のうへより身をなけたりけるか都率(トソツ) 天にむまれて昔のかはねを供養すなと経には侍そか しもろこしの伝には釈ノ恵猛(エミヤウ)高岸(カウカン・たかききし)より/上33ウb74
身おなけてしぬるにいまたなかはのほとにて紫 雲身をまつふとも侍また明安といふあま江のほと りに身をなくるに金色の光ありて水のなかにいる とも侍めるはいみしくたうとくこそ侍れしかはあ れとかやうの事むかしよりいまにいたるまてとかく さまさまに一かたならすいふ人もあるへしせんはたた我心 にはからひてすすみもしりそきもすへきにこそ 善道和尚あまねくすすめ義浄(キシヤウ)三蔵(サウ)はひろく/上34オb75
いましめたまへりこれみなきをはかりてのたま ふなるへしよくよくおもふへし/上34ウb76