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閑居友

上第4話 空也上人、あなもの騒がしやとわび給ふ事

空也上人あなものさはかしやとわひたまふ事

空也上人、あなもの騒がしやとわび給ふ事

校訂本文

昔、空也上人、山の中におはしけるが、常には、「あな、もの騒がしや」とのたまひければ、あまたありける弟子たちも、慎しみてぞ侍りける。度々(たびたび)かくありて、ある時、掻き消つやうに失せ給ひにけり。心の及ぶほど尋ねけれども、さらにえ会ふこともなくて、月ごろになりぬ。さてしも、あるべきならねば、皆思ひ思ひに散りにけり。

かかるほどに、ある弟子、なすべきことありて、市に出でて侍りければ、あやしの薦(こも)引き回したる中に、人ある気色(けしき)して、前に異様(ことやう)なるものさし出だして、食ひ物の端々(はしばし)受け集めて置きたるありけり。「いか筋の人ならむ」と、さすがゆかしくて、さし寄りて見たれば、行方(ゆくゑ)なくなしてし我師にておはしける。

「あなあさまし。『もの騒がしき』とのたまはせし上に、かきくらし給ひてし後は、ふつに世中にまじらひていまそかるらんとは思はざりつるを」と言ひければ、「もとの住処(すみか)のもの騒がしかりしが、このほどはいみじくのどかにて、思ひしよりも心も澄みまさりてなむ侍るなり。そこたちを育み聞こえんとて、とかく思ひめぐらしし心の内のもの騒がしさ、ただおしはかり給ふべし。この市の中は、かやうにてあやしの物さし出だして待ち侍れば、食ひ物おのづから出で来て、さらに乏(とも)しきことなし。心散るかたなくて、一筋にいみじく侍り。また、頭(かうべ)に雪をいただきて、世の中を走(わし)るたぐひあり。また、目の前に偽りを構へて、悔(くや)しかるべき後の世を忘れたる人あり。これらを見るに、悲しみの涙かき尽すべきかたなし。観念たよりあり。心静かなり。いみじかりける所なり」とぞ、侍りける。弟子も涙に沈み、聞く人もさくりもよよと泣きけるとなん。

その跡とかや、北小路猪熊に石の卒都婆の侍るめるは、いにしへはそこになむ市の立ちけるに侍る。あるいは、その卒都婆は玄胘1)法師のために、空也上人の建て給へりけるとも申し侍るにや。まことにあまたの人を育まんとたしなみ給ひけむ、「さこそは」と思ひやられ侍り。

あはれ、この世の中の人々の、いとなくとも事も欠くまじきもの故(ゆゑ)に、あまた居まはりたるを、いみじきことに思ひて、これがために様々の心を乱ること、はかなくも侍るかな。命の数満ち果てて、一人中有の旅におもむかん時、誰か従ひとぶらふ者あらん。すみやかに、この空也上人のかしこきはからひに従ひて、身は錦の帳の中にありとも、心には市の中にまじはる思ひをなすべきなめり。

また、この空也上人のこと、伝には延喜御門の御子とも言ひ、また、水の流れより出でき給へる化人なりとも侍るめり。その振舞、ことにあはれにありがたく侍るなり。

翻刻

いれ侍ぬるなるへし昔空也上人山のなかにおはし
けるかつねにはあなものさはかしやとのたまひけ/上12ウb32
れはあまたありけるてしたちもつつしみてそ
侍けるたひたひかくありてあるときかきけつやうに
うせたまひにけり心のをよふほとたつねけれとも
さらにゑあふ事もなくて月ころになりぬさてし
もあるへきならねはみなおもひおもひにちりにけりかか
るほとにあるてしなすへき事ありて市にいてて
侍けれはあやしのこもひきまはしたるなかに人
あるけしきして前にことやうなるものさし/上13オb33
いたしてくひもののはしはしうけあつめておきた
るありけりいかすぢの人ならむとさすかゆかしく
てさしよりてみたれはゆくゑなくなしてし我師にて
おはしけるあなあさましものさはかしきとのた
まはせしうへにかきくらしたまひてし後は
ふつに世中にましらひていまそかるらんとはおもは
さりつるをといひけれはもとのすみかのものさはかし
かりしかこのほとはいみしくのとかにて思ひし/上13ウb34
よりも心もすみまさりてなむ侍也そこたちを
はくくみきこゑんとてとかくおもひめくらしし心
のうちのものさはかしさたたをしはかり給へし
このいちのなかはかやうにてあやしの物さし
いたしてまち侍れはくいものおのつからいてきてさらに
ともしき事なし心ちるかたなくてひとすちにい
みしく侍またかうへに雪おいたたきて世中をわし
るたくひあり又めのまへにいつはりおかまゑてくや/上14オb35
しかるへきのちのよをわすれたる人ありこれらを
みるにかなしみのなみたかきつくすへきかたなし
観念たよりあり心しつか也いみしかりける所也とそ
侍ける弟子もなみたにしつみきく人もさくりもよ
よとなきけるとなんそのあととかやきたこうち
いのくまに石のそとはの侍めるはいにしへはそこにな
むいちのたちけるに侍或はそのそとはは玄胘(ハウ)法師のた
めに空也上人のたて給へりけるとも申侍にやまこ/上14ウb36
とにあまたの人をはくくまんとたしなみたまひけ
むさこそはとおもひやられ侍あはれこの世中の人々の
いとなくとも事もかくましきものゆゑにあまた
ゐまはりたるをいみしき事におもひてこれかた
めにさまさまの心おみたることはかなくも侍かな命のかす
みちはててひとり中有のたひにおもむかんときた
れかしたかひとふらふものあらんすみやかにこの
空也上人のかしこきはからひにしたかひて身は/上15オb37
にしきの帳の中にありとも心には市の中にまし
はるおもひをなすへきなめりまたこの空也上人
の事伝には延喜御門の御子ともいひまた水のな
かれよりいてき給へる化人也とも侍めりそのふる
まひことにあはれにありかたく侍なり/上15ウb38
1)
底本、胘に「ハウ」と傍書あり。玄昉のこと。
text/kankyo/s_kankyo004.txt · 最終更新: 2015/06/02 02:00 by Satoshi Nakagawa
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